

福藻
@fuku-fuku
図書館勤務。その前は本屋で働いていました。猫と暮らしています。本を読むのとラジオ体操が日課です。
- 2025年5月22日毎日読みますファン・ボルム,牧野美加読みたい
- 2025年5月18日自分で「始めた」女たちグレース・ボニー,月谷真紀読みたい
- 2025年5月15日ケアと編集白石正明読みたい
- 2025年5月15日オズの魔法使いライマン・フランク・ボーム,河野万里子読み終わった児童文学というものをまったく読まないまま大人になった。だからこそ今、小さな私に読んであげるような気持ちで読んでいる。小さな私は物語の世界に新鮮に驚き、喜び、自分でも気づかなかった本当の気持ちに気づいて泣く。児童文学を読むことは、今の私にとって何よりのセルフケアになっている。 小さな私には物語が必要だった。今いる世界が全てではないと知ることが絶対に必要だったのだ。読むことをとおして、居場所がなかった小さな私に、ここにいてもいい、そのままでいいと伝えたい。私自身が私にとっての居場所になりたい。 初めて読む『オズの魔法使い』も、小さな私と一緒に楽しんだ。ひとの善意に触れるたび、その一つひとつに心から感動するドロシーが愛しい。受け取った善意を勇気に変えていく姿も愛しい。私はと言えば、差し伸べられた手を何度跳ね除けてきたことか。真っ直ぐなドロシーに憧れる。他の訳でも読んでみたい。
- 2025年5月13日橙が実るまで田尻久子読み終わった幼い頃の自分の声に耳を傾けるように、久子さんは言葉を紡ぐ。文体は淡々としているけれど、ここまで真っ直ぐに書くのは苦しい作業だったんじゃないか。そこに、倫子さんの写真がやさしく寄り添う。淡く、影のある写真。古いアルバムをめくっているような気持ちになる。 彼女たちの言葉と写真にふれて、私自身の記憶がよみがえる。誰にも見せられない、深いところにあるどろっとした記憶。あたらしい土地で暮らしはじめて生まれ変わったような気持ちでいたけれど、まだまだ過去に縛られている。移住して2か月。穏やかな湖を眺めながら、ただただ、心に波風を立てないように過ごしてきた。でも、湖にだって、荒く波打つ灰色の日はある。見たくないことから、目を背け続けることはできない。 久子さんの母親は、久子さんが中学生の頃に蒸発した。そして、何十年も経って、我が子のもとに戻ってきた。認知症の症状が現れはじめた母親に、久子さんはこう尋ねる。 「なんで殴るような人と結婚したと?」 私もいつか、母にそう尋ねる日が来るような気がする。
- 2025年5月11日沖で待つ絲山秋子読みたい
- 2025年5月10日
- 2025年5月10日ウィキッド(下)グレゴリー・マグワイア読み終わった
- 2025年5月10日小さき者たちの松村圭一郎読みたい
- 2025年5月8日ウィキッド(上)グレゴリー・マグワイア読み終わった
- 2025年5月8日ウィキッド 上グレゴリー・マグワイア,市ノ瀬美麗読み始めた好きなポッドキャスト番組で特集されていたのをきっかけに映画を観てきた。苦しかった。でも、観なきゃよかったということじゃない。観るべきだった。ただ、このままの状態でパート2の公開まで待つのは拷問……。映画館を出たその足で図書館に向かって、原作を借りた。(あって良かった〜)今から読む。
- 2025年5月7日辻征夫詩集辻征夫読みたい
- 2025年5月7日辻征夫詩集辻征夫読みたい
- 2025年5月6日
- 2025年4月30日ここすぎて水の径石牟礼道子読み終わった移住前に買ったさいごの本。信頼している本屋で、これからのお守りになるような本を探していたときに見つけた。目次をひらくと「湖」というタイトルが目に入り、これだ、と思った。大きな湖のある町に移り住もうとしている今、この本が手元にほしい。 熊本では、湖と言えば江津湖だった。写真2枚目。長っちょろい湖で、ぐるりには芝生広場や遊歩道、動物園なんかもあって週末はけっこう賑わっている。スワンボートにも乗れる。ところどころでぽこぽこと地下水の湧き出る市民のオアシス。私もここで友だちと散歩したり、甥っ子と水遊びをしたりした。この湖のほとりで、晩年の石牟礼道子はものを書いていた。 見慣れた江津湖も、石牟礼道子がことばにするとまったく違った景色に見える。こんなにも神秘に満ちあふれた場所だったとは。よく知っているつもりでも、なんにも知りはしないのだ。自分の小ささを思う。もう一度江津湖を見たい。 ちび、ちびとひと月かけて読んだ。ゆっくり読めば読むほど味わい深く、一気読みなんて勿体なくてできない。ちょうど、こないだそういうチーズを食べた。箸の先でちょん、と掬ってほんの小さなかけらを舐める。そして白ワインをひと口。なんとも至福の時間だった。あの感じとよく似ている。じゃあ、この本を読みながらあのチーズを舐めたら……?と、わるいことを考えている。
- 2025年4月23日新装版 苦海浄土石牟礼道子読んでる油揚げを切っていた時。 「昨日ね、おでん煮よる間、台所で本読みよったよ。グツグツ言う音聞きながら読むの、なんか良いとよね」 いつか歳上の友だちがそう言っていたことを、ふと思い出した。今夜は煮物をしようと思っていたのだ。煮る間、真似してみようと思い立った。 椅子がないから折りたたみの踏み台に腰掛けて、読みかけのこの本とともに鍋の目の前に居座った。立ち上る湯気はお醤油のいい匂いで、なんて幸せな空間だろうと思う。あの時の友だちも、にやにやと、幸せそうな顔をしていた。 明日、友だちに手紙を書こうと思う。
- 2025年4月22日短篇集 ヘンルーダ松岡千恵再読したあたらしい土地に越して早ひと月。最近仕事を始めた。しばらくは緩やかなペースで働きたくて、近場の書店でパートタイマーをやっている。 書店といえば『短篇集 ヘンルーダ』の「備品奇譚集」が思い出され、再読した。大型書店を舞台にした物語で、静ひつなのにへんてこなところがとても良い。何度読んでも良い。 作中には素敵な書店員がさまざま登場する。真面目なNさん、しっかり者のYさん、職人肌のGさん、お嬢様育ちのSさん——。性質はバラバラだけれど、書店を愛してやまないという点で彼女たちは繋がっている。著者の松岡千恵さんは現役の書店員で、実在のスタッフをモデルにしたキャラクターもいるという。 Nさんたちと是非とも一緒に働いてみたい。現実の職場にはどんな人たちがいるのかまだよく分からない。今はNさんたちを心の同僚に、身構えすぎず、大らかに、一年ぶりの書店員を楽しみたい。
- 2025年4月22日言葉を失ったあとで上間陽子,信田さよ子読みたい
- 2025年4月22日目をあけてごらん、離陸するから大崎清夏読み終わった目をあけてごらん、離陸するから。って唱えると、胸の内で何かがぱちん、と弾けて静かな希望が生まれる。それは滲むように広がって、全身に行き届き、ぎゅっと閉じた瞼をほぐす。見ることを怖がらないでいようと思える。だからこの本はいつでも目に触れるところに置いていたい。 この本に収められたエッセイのような、小説のような一編一編はいずれも、エッセイです。小説です。とは言い切ってしまえない曖昧さを持つ。これが詩か、と打ち震えてしまった。 意味なんて言葉の持つ一側面でしかないのに、私はいつも言葉に意味を求め過ぎてしまう。「どういう意味?」が口ぐせの、味気のない人間である。 言葉はもっと自由でしょう、とこの本に諭された今、言葉を、頭だけじゃなくもっと身体で感じてみたい。大崎清夏という人の言葉にもっと触れたい。もうすぐ彼女は新刊を出す。タイトルは、『湖まで』。余白を求めて湖のそばで暮らしはじめた今の私に、もっとも必要な本なんじゃないかと思われてやまない。ものすごく待ち遠しい。
- 2025年4月21日となりのせきのますだくん武田美穂読みたい
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