それがやさしさじゃ困る
177件の記録
ヒナ@yofukashikeikaku2025年11月26日読み終わった「関係は突然プツリと途切れて、あとは詩になるだけです」この一文のおかげで心が軽くなった。わたしは何でも執着しちゃいがちだけど詩になるなら手放せるかもしれないと思えた
回寅治@Mawari_trahal2025年11月23日読んでる借りてきた私の子供時代に重ね合わせながら読んでいる。ものの数年で子供に対する考え方が大きく変わったことを知り、いやもしかしたら私の子供時代の風潮こそがこのような反省を促したんじゃないか、などと考えたりした。
sun@book32025年11月20日買った以前本屋で滝口悠生さんのセレクト本フェアをやっていて「親子の手帖」をおすすめされていて気になっていた作家さん。 他の方の感想を読んでいたら、自分に刺さる文章がたくさんありそうだったので購入。 写真が植本一子さんなのも納得。


- ツン読のムシ@tsun_reader2025年11月16日読んでる自分の劣等感とかってもしかしてここから来てるんじゃないかとドキッとすることが書かれている。子どもという年からは相当な年月を経ていてるけど、自分の弱い部分とかって実はずっと昔から引き摺ってる何かがあるんではないかということに気づいた気がする。恥ずかしいし、情けなくて目を逸らしてしまいたい気もあるけど、やはり向き合った方が良いのだろう。


blue-red@blue-red2025年11月16日読み終わった子どもが「つくる」ことについて触れた収録論文が特に良かった。 確かに自分も、幼少・小学ぐらいまでショボいけれども何か作ってやろうとしていたが、思春期ぐらいから作ること・出来たものを正に「気恥ずかしく」なっていき、純粋に作れなくなった。 けれども、年を取り、「つくる」ことに向き合っている。一周して昔の自分に再会したようだ。




いま@mayonakayom222025年11月15日読み終わった朝に少しずつ読み進めて読了。 ほぼすべてのページに付箋を貼りたくなるくらい、大切な一冊。 またここから先迷ったら何度も手に取ると思う。 植本一子さんの写真も装丁も全てが相まって愛が滲み出ているような本だと思う。 旅のときに生徒一人ひとりのことをこんなに思い返すことはないと書いてあり、鳥羽先生のもとで学ぶ子供達のことがうらやましくなる。
JUMPEI AMANO@Amanong22025年11月15日読み終わった@ カフェ第六章(やさしさと配慮)読み終わる。かみしめたい言葉が随所に散らばっている。どこを開いても言葉と交わる喜びがある。名著。 〈[...]平成と令和の間に変化したのは、どちらかというと子どもではなく、子どもに対する見立ての方である。いまの子どもたちは大人に分析されすぎていて、それが「配慮」という新しい管理の口実になっている。〉(188頁) 〈[...]そんな試練は子ども時代には必要なかったし、その傷はあなたの傷というより無意味の傷なんだと言う大人がいないとダメだと思うが、大人だってもはや同じことになっている。〉(192頁) 〈[...]子どもの言葉の使い方を正したいのならば、それがその子の関係性、その子の「世界」に依拠した形でなければ、その子が自分独特の言葉を見つける過程を殺してしまうことになりかねない。〉(195-196頁) 〈[...]目の前にいる人が傷ついてそれに反応するのと、不特定の誰かの「傷つき」に対して配慮するのは全然違う。〉(196頁) 〈裏を読む癖がある人は努めてそれをやめるべきだと思う。〉(219頁)






ひろこ@hiloco2025年11月15日買った読み始めた@ 自宅装丁が面白い。1ページの中に、上が教育にまつわるエッセイ(自身の小学生の頃の思い出とか)、下が現在の塾講師としての日付入り所感(日記と呼ぶべきか)が配されていて、上と下をいったりきたりしながら読むのが楽しい。書いてあることがすごく面白い。 合間に植本一子が撮った子どもたちの写真が、写真用紙へのプリントのように挿まれている(写真の裏面はICHIKOFILMというロゴが模様として並んでいる)。

JUMPEI AMANO@Amanong22025年11月14日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第五章(お悩み相談室)を読み終わる。キレッキレな回答とキレッキレな日記の相乗効果でぐいぐい。 〈一月四日 自らの親を「毒親」と名指すことは、自分が子どもから降りないこと、親に捉われ続けることをおのずと含んでいる。何かを否定することは常にその問題を孕むわけで、捉われから自由になりたいなら別の方法を採る必要がある。〉(172頁) 〈一月一八日 賛否両論が白熱しているときにはどちらかが正しいというより、両論あることが波打ち際の防波堤になって現実や倫理を支えていることが度々ある。だから、必ずしも二者のどちらかを選ばなければならないわけでもないし、明確な解決法や結論が必要とは限らない。[...]〉(178頁)
JUMPEI AMANO@Amanong22025年11月13日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第四章読み終わる。 〈声はもっと世界に開かれた媒体であるはずだという見立てが同時に求められる。〉(145頁)


JUMPEI AMANO@Amanong22025年11月12日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅早いけど今年最初の忘年会。今年最初の「良いお年を」を言う。お酒を飲んだのであまり長風呂はできず。第四章の144頁まで読む。 〈十一月四日 勉強する意味。新しい言葉を知ると、その言葉によって目の前の世界が変わってしまう。これだけでもじゅうぶんすぎて手に負えないほどに意味がある。〉(137頁) いまつくっている本のテーマが「手に負えない」なので、嬉しくなってしまった。「手に負えないほどに意味がある」、いい言葉だ。







たまのきゅうか@yutomsm2025年11月12日読んでるp.50 二分の一成人式 「しかし、それに強烈な違和感を覚えていても、実際に子どもが感謝を述べている場面に立ち会うと、たいていの親は涙を押し留めることができない。この、大人が子どもにいだいてしまう感情の、どうしようもない身勝手さ」 子供は欺瞞的な企ての中でも本当の「いま」への献身をしてしまえて、親はそこに泣いてしまうこともある。
たまのきゅうか@yutomsm2025年11月12日読んでる@ 自宅自分の中の子供の部分が喜んでいる。 p.47-49 不登校について 「気持ちよく生きてさえいれば、機が熟したタイミングで勝手に人生は動き始める。だから、子どもの足を引っ張らないことを最優先に、その子の特性に合った選択に知恵を絞るのが大人の務めである。」 「個性というのはわざわざ磨かなくてもすでにあるものであり、その個性がそれぞれの環境で揉まれる間におのずと花を咲かせる。/それを見逃すことなく、あなたはこんなにきれいな花を咲かせているよと感動をもって伝える。」
JUMPEI AMANO@Amanong22025年11月11日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第四章(受験)、129頁まで読む。 〈十月一六日① 思春期の子どもたちが大人の欺瞞や汚い部分に反発するのって「大人はちゃんとしてる」という建前があって初めて旨味があったわけで、昨今建前がなくなって反発するフォーマット自体が瓦解したのって子どもにとって不幸すぎるな。〉 わー、これはなるほど、おもしろい。たしかにそうかもしれない。





JUMPEI AMANO@Amanong22025年11月9日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第二章(親と子)を読み終わる。鳥羽さんの文章がキレッキレなのはもちろん、本文設計もあいまって読み出したら容易には止められない感じ。よくできた本だ。 〈八月七日 中1のIくん、夏休みの人権作文の冒頭を「世界」と勢いよく書き始めたまま2文字だけで止まっているらしい。今年いちばん感動した。〉(89頁) これは確かに感動的。







JUMPEI AMANO@Amanong22025年11月9日読み始めた@ カフェ〈リスクを避けるためのやさしさと配慮が、常に先回りして相手の反応を封じこめ、結果として、理解そのものを遠ざけてしまうのです。そこでは、いつも個人の欲望が置き去りにされたままです。そして、その置き去りにされた欲望がたまらず声をあげたときには、やさしい人たちはこう囁くでしょう——「せっかく配慮してあげたのに」と。〉(7頁) 第一章(学校)を読み終わる。そもそもの本文設計と造本が神がかり過ぎている。日記の組み込み方もすごい。どのページを開いてもハッとさせられるから、付箋や傍線を付けようがない。







Yamada Keisuke@afro1082025年11月1日読み終わった植本さんが写真を担当されていると知って読んだ。子どもがあくびをしている表紙からは、朴訥で柔らかい内容を想像していたが、実際にはどこでも読んだことのない刺激的な教育論が詰まっており、そのギャップに驚いた。子どもと接することについて、これだけ言語化された書籍は、後にも先にも登場しないかもしれないと思わされるほどの傑作だった。 まず印象的だったことは、本著を手に取ったときの感触である。普段読む本ではおよそ感じない独特のツルツルとした質感からして、ただものではない気配が漂っている。内容は、鳥羽氏の各種媒体での連載と書き下ろしをテーマ別にまとめたもので、その合間に植本さんの写真が挟まれている。さらにページ下部には鳥羽氏による日記が添えられており、圧倒的な情報量だ。論考も日記もそれぞれ一冊の本にできるほどの分量があり、読後の満足感を考えると、この値段は破格に感じる。 メインでは、子どもとの関わりや教育に関する論考が中心に展開される。ときに重たく感じる箇所もあるが、実際の子どもとの触れ合いに裏打ちされた思索であることが、写真や日記によって可視化されており、構成として興味深い。特に写真の扱いが印象的だった。よくあるモノクロの挿絵的な扱いではなく、カラーで大胆に差し込まれ、裏面にはフィルム写真のような仕様が施されている芸の細かさ。写真を一つの独立した芸術として取り扱う意図が伝わってきて、その心意気に胸を打たれた。そして、植本さんの写真はもちろんバッチリな仕上がり。つい考え込んでしまいそうな瞬間に、子どもたちのなんでもない日常の姿、表情が、現実へ引き戻してくれる。 モノとしての完成度は当然ながら、中身も圧巻だった。鳥羽氏は塾、単位制高校、オルタナティブスクールを運営しており、日々子どもと向き合う中での思索があますことなく書かれている。タイトルのとおり、品行方正であることが当然の社会で、「やさしさ」があらゆる場面で子どもに対して発揮される現在、本当にそれは子どものためになっているのか?大人が思考を停止し、責任を放棄するための仮初の「やさしさ」ではないか?ということが一冊を通じて問われている。 現役の中高生と接する機会のない者にとって、若者たちの価値観や、そこに呼応する親の状況をこれほど丁寧に描いてくれることは貴重だ。その背景にあるのは子どもに対する愛である。ページ下部の日記は、SNSのつぶやきほどの短さながら、そこで垣間見える子どもたちに対する実直な視線が、本著の説得力を強固なものにしている。評論家が、机上で構築した教育論ではなく、日々の実践と観察から導き出された言葉であることが、本書が唯一無二の存在たらしめている。 私自身は三歳の子どもを育てており、本著の主な対象である小・中・高校生とは距離がある。それでも広い意味での教育論として、心にグサグサ刺さることが山ほどあった。たとえば、教育水準の高い学区に引っ越し、そこに安住する大人の心理を鋭く突いた箇所では、自分の考えを見透かされたようでぐうの音も出なかった。 一方で、「子どもの自由な選択」にも鋭いメスをいれていく。自由という言葉の裏に、子どもに責任を丸ごと押しつける残酷さが潜んでいることを指摘しており、これも耳が痛かった。言われてみれば、子どもは深く考えずに選ぶことも多いのに、その結果の責任だけ大人並みに負わせるのは酷な話である。とはいえ、実際には「やらせてみないと分からない」という因果応報的な態度は、大なり、小なりやってしまいがちな自分がおり、強く考えさせられた。 父親の育児参加が必ずしもプラスに働くわけではない懸念についても納得した。子どもにとって、親は小言ばかりのウザったい存在であるのに、それが二人になってしまえば、子どもは逃げ場がなくなるという指摘にハッとした。なんとなく妻が怒っているときに自分は怒る側にならないようにしているし、逆も然りなのだが、内容によっては二人で怒ってしまう可能性がゼロではないので胸に留めておきたい。 一貫して、鳥羽氏は大人が「こんなもんだろう」と思い込んでいる前提条件に対して懐疑的な視線を投げ続ける。そこには大人が子どもを未熟な存在と見くびっていること、またn=1という極めて少ない母数である「自分」と子どもを比較して、子どものことを安直に捉えてしまう危うさへの問題意識がある。 なかでも考えさせられたのは「学校に行きたくない」と言われた場合の対処である。右に倣え的な日本の教育制度自体に懐疑的ではあるものの、どうしても横一線から脱落するというイメージが自分を苛んでくる。自分自身がどうしても行きたくないほど、学校に嫌気が差した経験もないので、もし自分の子どもがそう言ったとき、どう対処できるのだろうか?と繰り返し自問自答していた。 日記パートでは、自分が中高生の親ではないこともあり、自分の過去を振り返ることが多かった。特に受験期のことは、自分で能動的に選択したというよりも、自分が育った環境に流されるように進んできたこともあり、どうすれば自分が主体的な学びができたのだろうかと考えさせられた。短く、遠慮のない、芯をくっている言葉に何度もハッとさせられた。 他人の期待に応えるような人生は自分の人生ではないから。自分に何かを期待してくる人を遠ざけて生きていくということは、大人にとっても大事な知恵。 巻末で「反省する必要はない」と書かれていたものの、本著を読んだ多くの人が、自分の子どもに対する解像度の甘さにどうしても疑いの目を持たざるを得ないのは事実だろう。しかし、鳥羽氏は自分の「正しさ」を主張しているわけではなく、あくまで自分の視点から見た子どもの話と、それに基づいた自分の考えに終始している。日記にあった以下のラインが端的に本著のポリシーを表しているように感じられた。 賛否両論白熱しているときにどちらが正しいというより、両論あることが波打ち際の防波堤になって現実や倫理を支えていることが度々ある。だから、必ずしも二者のどちらかを選ばなければならないわけではないし、明確な解決法や結論が必要とは限らない。 日々、心も体も変化していく子どもという動的な存在と向き合うにあたり、大人は硬直した「正しさ」に頼るのではなく、臨機応変に、懐深く寄り添うことの重要性を思い知った一冊だった。





Lusna@Estrella2025年10月21日まだ読んでる「学校に行かなくては、学力だけでなく、社会性が身に付かないと心配する大人がいるが、ほんとうにに余計な心配で、もっと危惧すべきことは、周りの大人がその心配を本人に投げつけて、半人前扱いすることである。気持ちよく生きていれば、機が熟したタイミングで勝手に人生は動き始める。だから、子供の足を引っ張らないことを最優先に、その子の特性に合った選択に知恵を絞るのが、大人の務めである。」








Lusna@Estrella2025年10月21日読み終わった親子の距離感やお受験や進路、そもそも勉強する意味など、子どもと関わるお仕事の方に読んでほしいと思った。読めて良かった。 「これは大切なことだが、クラス運営において先生と生徒がフラットな関係では、いじめなどのいざというときに生徒を守れない」








- みなも@minamo_books2025年10月19日読み始めた装丁もタイトルもよすぎる。一年間の日記も収録されてるなんて知らなかった! 読んでるこちらもハッとしたり内省させられたり、鳥羽さんの経験と気づきが詰まってる。



✧\\ ٩( 'ω' )و //✧@_n_em_2025年10月11日読んでる1月12日の日記がふと目にとまり、子どもの姿を思い出してフッと頬が緩んだと思ったら、理由のわからない涙がダァダァ出てきて困った。

✧\\ ٩( 'ω' )و //✧@_n_em_2025年10月11日読み終わった@ ブックファースト 新宿店ウィニコットの「Good enough mother」という言葉を思い出しながら、ほどよいってマジむつかしー!とのたうちまわりたくなる。 「でもきっとむつかしいって思ってるだけがんばってるよね!」という自分と「ハァ?あなたそれ子どもが生まれてこのかたずっとそう思ってるんじゃないですか?改善できてないってことは本質的に反省なんてしてないんじゃないんですか?」という自分とが脳内で闘ったりしている。 親になったのに、もう大人なのに、未熟で脆弱である(けれどそれを引き受けつつやっていくしかない)という辿々しさ(?)がある私には勝手にグサっとなる部分と、いやー大人だって案外チャランポランな部分もあるもんですわーと子どもに認識してもらいたいと常々思っている自分でいいんだと勝手に納得する部分とがあって、読みながら情緒が忙しい。 あとがきの『ご自身のこわばりに気づいて、もっと適当に過ごしてくださいね、肩の力を抜いてくださいね。』という一文を心に留めておきたいと思う。気がついたら管理しようとしたり、言質を取って責任を負わせたりしそうなので。何回でも読む。


ホリモト@wheretheois2025年10月5日買った2025.10.5 鳥取「汽水空港@石見銀山」 今週土曜日、汽水空港は10周年を記念してフェスをやる。 山陰で、移住者や何かを探している人たちの灯りとなってきた汽水空港。10年! ワオ。 鳥羽さんの著作に私は学ばなければならない。真剣に。





高尾清貴@kiyotakao2025年10月3日読み終わったぼくが思っていた「それ」じゃない「それ」がやさしさじゃ困るエッセイだったけれど、なかなかに切れ味するどい子育て、教育論で、よかった。 『そして、これはいつもお話ししていることですが、どうか僕の文章を読んで反省しないでくださいね。』と著者がわざわざ言うくらいには、これ読んで反省する人はいっぱいいそう。 僕は反省するギリギリのところだった。






orange.m@orange102025年9月30日読み終わった@ 自宅鳥羽さんの教育エッセイは毎回、付箋をつけたくなる箇所が多い。日々の子どもとの暮らしの中で、自分の振る舞いや言動について、痛いところをつかれた!と思わされる。いつも心して読んでいる。でも不思議と、読んだ後は元気が出るのだ。 エッセイと並行して書かれた日記がまた良くて、節々に生徒たちへの思いの深さと愛が感じられた。学生時代にこんな先生に出会いたかったな。


































































































































