
ろくがつのいきもの
@nya0nya0
すぐ感化されるいきもの
図書館で7冊借りて、4冊読みきれないまま返却する日々
詩やエッセイを好む
知らないものは触れたい、自分の言葉で紡ぎたい
- 2026年9月27日
ボクの妻と結婚してください。樋口卓治読み終わった解説に内村光良氏があるように、舞台化された作品とのこと。ぜひ観てみたかった。余命宣告され、最後の企画。やはりモノづくりができる人は、好きだ。理想だ。憧れだ。自分もそちら側の人間でありたい。わくわくの音のまま、突き進んでいきたい。著者の樋口氏は、実際に放送作家であり、死笑説(私小説)まで執筆されるとは、夢があるなと思った。 - 2026年9月27日
暁星湊かなえ読み終わったやはり湊かなえ作品は、自分に刺さる。 宗教二世の話といえば、昨今ニュースにもなり、想像に易い。 だが、この作品は、その想像を、超えてくる。 タイトルにある暁星は、まさにピッタリだし、其々の章(と呼ばせてもらう。具体的には、暁星と金星。)が重なった時、今これを読んでいる自分は、この感覚は本物か、疑いたくなった。 常々感じているのは、物事は見方考え方次第でどうにでも捉えることができ、自分にとっての正義は誰かにとっての悪であるかもしれないこと。驕らず、強制せず、自由が尊重された時間を生きていたい。けれども、他人と共生するには、ある程度のルールが必要で(感覚が異なるのだから当然だが)そのためには多少面倒なことも飲み込んでいる。この作品は、やはり愛を感じる。愛の形も千差万別。愛とは。半分こと、二等分は、違うのです。 - 2026年6月21日
SOSの猿伊坂幸太郎読み終わった久々の伊坂幸太郎作品。何故か孫悟空と、堅物なサラリーマンが、繋がっていく。 (読了したメモで残しているが、数ヶ月経った今、内容は薄らとしか残っていない。これはもう一度、読み直すか?) - 2026年6月21日
生きとし生けるもの北川悦吏子読み終わった渡辺謙さんと妻夫木聡さんのドラマを見て、大好きになった作品。生きる意味とは何か。生かされている、生きなければならない、わたしたちに向けた、勇気のメッセージに感じる。いつか生きたいと思えるように。優しく寄り添ってくれる作品。自分もバイクに乗って、どこへでも、どこまでも行きたくなった。最近、自分で選択することを疎かにしている気がする。人の都合に合わせて、面倒のない自分。表面的な薄っぺらいもの。そのうちに、何がしたいかわからなくなって、ただ贅沢に、恵まれた環境で、時間を浪費していく。手間をかけて、面倒なこともしていきたい。 - 2026年5月7日
ロミオとジュリエットシェイクスピア,河合祥一郎,駒形読み終わった多少なりとも演劇に身を置いていた人間なのに、ロミジュリ(ロミオとジュリエット)と交わることのない人生だった為、読了。有名なシーン(ああロミオ〜)だけでなく、最後まで突っ込みながら楽しむことができた。いつか、誰もタヒないロミジュリを作ってみたい。 - 2026年4月6日
どうしても生きてる朝井リョウ読み終わった短編集 どの話も、ままならない境遇や、どこかしらフラストレーションを抱えており、読むのにカロリーが要る。 それでも、きちんと、読みたくなる(流し読みではなく) 以下、好きなフレーズ。 〇〇だからxx、という健やかな論理は、その健やかさを保ったまま、やがて、鮮やかに反転する。 「満たされていないから他人を攻撃する」「こんな漫画を読んでいたから人を殺した」はやがて、「満たされている自分は、他人を攻撃しない側の人間だ」「あんな漫画を読んでいない自分は、罪を犯さない側の人間だ」に反転する。おかしいのはあの人で、正しいのは自分。私たちはいつだって、そんな分断を横たえたい。健やかな論理に則って、安心したいし納得したい。 だけどそれは、自分と他者を分け隔てる高く厚い壁を生み出す、一つ目の煉瓦にもなり得る。 再配達を頼んだのだから、自殺なんてしない。 離婚を申し込まれたのだから、かわいそう。 新しい恋人ができたら、もう大丈夫。 満たされていないから、クレームを言う。 暴力描写のある漫画を好んでいたから、人を殺す。 そんな方程式に、任してはならない。 自分と他者に、備と不幸に、生と死に、明確な境目などない。 〜中略〜 そばにいてくれる人と繋がりながら襲い来る、今すべてが終わってしまえばいいという強大な破滅願望。 発生した原因に悪意の久片も過去のトラウマも何もない、人を傷つける言葉。恵まれない子どもたちのために学校を建てたその手で握る性器やナイフ。 健やかな論理から外れた場所に行む解しか当てはまらない世界の方程式は、沢山ある。 「健やかな論理」 - 2026年3月25日
流浪の月凪良ゆう読み終わった一気に読んだ(5時間程度で読了) 自分の意思や価値観が理解されない理不尽さ、生々しい感情。 幼少期に感じていた理不尽さと重なり、乱された。 善意の押し付け(とあえて書かせてもらう)のシーンで、更紗は受け取れない自分にも非があるような事を言っていた。 自分は恵まれている環境にあるが、ふと何もかも捨ててしまいたくなり、自己嫌悪に陥る時がある。 例えるなら、飲みたくない水を飲まされている感じ。 先回りして気遣ってくれる人がいて、ああそうか自分は水が飲みたかったのかもしれないと、流されてみるのも良いかと、水を口に含むけれど、やっぱり喉は閉ざされたままで、飲みたくなかった自分に気付く。 ロンダリングが上手くいっていない、デトックス失敗、循環が悪い。 彼らは悪くない、善意で、理解しようとしてくれている。 (そうではない、ただ一時の興味本位だけの場合もあるが) だから、それを受け取れない、飲み込めない自分の責。 でも飲みたくない時は、無理に飲まなくても許される環境は、あると思う。 この本を読んで、さらにそう思った(許されてほしいし、許しなんて必要ない環境があれば希望だと思った) こんなに理解されないもどかしさや苛立ちを言語化できる著者に感嘆。 文と更紗の距離感が好き。 よくある男女の友情は有無かという問いや、得体の知れないものを理解するために形を作りたがるけれど、彼らには答えは要らないように見える。 この関係に名前がなくても、繋がっている。 当人たちが納得していれば、もう何も言うまい。 それが世間との乖離で、共依存だったとしても。 誰もが尊重される社会であってほしい。 それが許される範囲とは、それぞれの尺度があるから、難しい。 けれど考え続けたい。
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