

ビスケットアパート
@powerfulfranny
趣味:読書/関心:容器/とてもラッキーです
- 2025年5月22日
- 2025年5月20日
- 2025年5月16日フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)フラナリー・オコナー,横山貞子気になる
- 2025年5月14日あの世の事典水木しげる読み終わったページを捲って、思ってたより楽しそう!!と、思ってたより恐いじゃん…を行き来するのが愉しい。どの地獄に行くことになっても仕方ないかと思いつつ、でも結局、骸骨になって踊るのもいいし、光になって散るのでもいいやなんて不心得な考えを巡らせていた。 「…くつろぐということは「この世」でも大変だが、「あの世」でもかんたんなことではなさそうだ。」
- 2025年5月13日監獄の誕生〈新装版〉ミシェル・フーコー,田村俶まだ読んでる『監獄の誕生』読書会、97頁から103頁まで。 100頁をすぎた!かつて黙認されていた権利をめぐる違法行為は、所有権に新しい地位が与えられると、財産に関する違法行為にかわってしまった。黙認されなくなっていく違法行為
- 2025年5月11日水の流れクラリッセ・リスペクトル,福嶋伸洋読み終わった一対一で語られていく、わたしとあなた、作者と私、書物と私。こういう読書は久しぶりだった!広大な夜に小さな部屋で二人きり、打ち明けられた秘密を聞いているような気持ち。かつて発見されたラテンアメリカ文学ブームと同時期に、ブラジルにある自分ひとりの部屋で書かれた(と思う)本。 「…あなたも芸術が好きでないことは知っている。わたしは生まれたときから堅固で、英雄で、孤独で、直立していた。そして、絵にならない美しくもない風景のなかで、自分の対位法に出会った。醜さがわたしの戦旗。わたしは醜さを同類の立場で愛する。そして死に挑む。わたしは──わたしは自分の死。」 「…わたしは腕時計をしたまま埋葬されたい。地中でも時を刻んでもらいたい。わたしはいまこんなに広大。凝縮してもいる。わたしの歌は深い。緩慢。でも育っている。さらに大きく。」 「…そう、わたしがあなたに書いているものは、誰のものでもない。誰のものでもない自由は、ひどく危険だ。空気の色をした無限のように。」
- 2025年5月10日水の流れクラリッセ・リスペクトル,福嶋伸洋読み始めた@ カフェ「…わたしが話しているのは今日──昨日でも明日でもなく──、まさにこのすぐに腐敗してしまう瞬間に。枠にはまったささやかなわたしの自由が、わたしを世界の自由へと繋げる──だが窓とは、四角い枠にはめられた空気でなければ何だろう?わたしは不快を感じながら生きている。」 もうすこし静かで暗い場所で読み始めればよかった。
- 2025年5月8日最近小山田浩子気になる
- 2025年5月8日
- 2025年5月7日ありす、宇宙までも(3)売野機子読み終わった
- 2025年5月5日
- 2025年5月5日
- 2025年4月28日
- 2025年4月21日監獄の誕生〈新装版〉ミシェル・フーコー,田村俶まだ読んでる『監獄の誕生』読書会、90頁から95頁まで。 非行の増加と権力の機能不全から経済的に処罰がうまくいかなくなったことによって、より良い処罰が求められるようになったのに、<<人間性>>による改革がでっちあげられた。
- 2025年4月16日一九三〇年代モダニズム詩集季村敏夫読み終わった白くて開きの良いモダニズム詩集かと思って手に取ったのだけど、「神戸詩人事件」の文字が目に留まって買った本。 「私はあたしから離れよう ピアノをぬけだすミユウズのように 時刻といっしょに地球の外へ滑り落ちる そして燦く青い絨毯のなかにゐる あたしの下髪は 蠟のやうに消えるであらうに …」(矢向季子「青い貝殻」)←かっこいいー 「…かつてあったことは、後に繰り返される。一九三〇年代後半、シュルレアリスムに関わった青年は治安維持法違反容疑で次々と獄舎に送られた。神戸詩人事件はそのひとつだが、現在である。」
- 2025年4月15日神戸村上しほり読み終わった前回の兵庫県出張の際に購入。自分が生まれる前に起こった80年前の戦争と30年前の大震災、そして復興。読み終わってもなお、まだまだまだ何も知らない街だと思う。地名の読み方にすこし慣れてきたところ
- 2025年4月13日イリノイ遠景近景藤本和子読み終わった「…ときはすぎる。平然とすぎる。」 白人の世界で成功した黒人女性を仕事と一緒にやめて終始失業している友人、ホームレス用のシェルターに出入りする女性たち、移民としてアメリカに渡って過酷な迫害を受けた中国人、生き延びるためにヒトラー・ユーゲントに入団したユダヤ人、ナヴァホ・インディアンの保留地に移り住んで織り手の組合を組織する中国系の女性。藤本さんの言葉を通じて、読む景色には人々の生活や思惑が当たり前のように描かれている。日常があって、人がいる。心細さと併せて、今日までやってきたことの自信(自信を持ってもいいということ)を思い出させてくれた。 「…「住処」は思想であり、時間であり、記憶でもあります。人々と結ぶ関係もそうです。行ないもそうでしょう。『イリノイ遠景近景』で伝えたかったのは、私が動きと時間とを住処にしているようす、人々との出会いを住処にしているようすでした。」
- 2025年4月13日知の考古学ミシェル・フーコー,慎改康之まだ読んでる『知の考古学』読書会 188頁から201頁まで 言表行為は一つの出来事だけれど、言表は常に厳密な諸条件のもとで許可される反復可能な物質性をもつ。言表は一つの時間的永続性を備えている。
- 2025年4月13日
- 2025年4月5日知の考古学ミシェル・フーコー,慎改康之まだ読んでる『知の考古学』読書会 180頁から188頁まで 「…他の諸言表を前提しないような言表はないということ、共存の領野、系列と継起の諸効果、機能と役割の分配を自身の周りに持たないような言表など一つもないということだ。」←空間がある👌
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