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@reads193
- 2026年10月9日
某川上弘美気になる - 2026年10月9日
一握の塵イーヴリン・ウォー,小山太一 - 2026年10月8日
あなたが政治について語る時 (コルク)平野啓一郎読んでるP27 現実の恋愛をつまらなく感じ、ゲームの登場人物にこそ胸がときめく、ということもあるだろう。いずれもゲームのみならず、小説でも映画でも同じであり、そのフィクションが、双方向的になることに、漠然とした社会の不安がある。人間の存在の意味が、相対的に軽減されてしまうと感じるからかもしれない。 - 2026年10月7日
あなたが政治について語る時 (コルク)平野啓一郎読んでるP13 つまり私たちは、選挙権を得るまで、身の周りのルールを自分たちで変え、生活を向上させるという経験を一切欠いたまま、いきなり投票所に行けと命じられるのである。 先進的な主権者教育で知られるオランダでは、中高生の代表からなる「全国生徒協議会(LAKS)」という組織があり、教育関連の法律が制定・改正される際には、このLAKSの意見を無視することは出来ない。 - 2026年10月6日
ハンチバック市川沙央読み終わった配慮と隔離の違いについて考える。例えば私は左利きだけど、左利き用のツールは配慮と感じる。でも、女性活躍のための座談会みたいなのはうっすら隔離を感じる。理由を考えてみると、左利き用ツールは左利きが自らの不便を解消するために作ったものが多いのに対して、女性座談会は、マジョリティである男性から与えられているものだからという、能動的か受動的かという点に答えがある気がしてきた。 障がい者は日本社会でないものとして扱われてきて、それゆえ能動的に政策や街づくりをできる立場にない。いわゆる健常者から目に見える範囲の、ごくごく限られた範囲のバリアフリーでやってやったぞ!とされ続けているから、隔離になってしまうんじゃないか。 能動側に障がい者を増やしていくためには、女性と同じように一旦、優先枠を作って数を増やしていくのが近道だとは思う。単純に数を増やすことって本質的じゃなくない?という疑念はずっとあるけど、ないよりはマシだと思うようになってきた。 なんか色々考えてる人みたいに書いてみたけど、読書が健常者のために設計されているものだと本作を読むまで考えたこともなくて、自分の視野の狭さに愕然とした。 - 2026年10月6日
ハンチバック市川沙央読んでるP73 本を読むという普遍的な行為すら、努力して「獲得」しなければならないこと。何気ない日常のしぐさであるべき営みが、「障害等級」や「算定単位数」や「加算」という用語と時間の制約に括られ、福祉サービスとして評価されることで、失われていく何か。 P83 自分はどう生きるのか? 自分は誰のために、何のために、子どもを産んだり産まなかったりするのか? どうしたら自分の人生を生き切ったことになるのか? 障害者や女性は、生命や人生にかかわることさえ誰かから決められてきたのではないか。だったらそれを私に返してほしい──そう、彼らや彼女らの主張は、緻密に調べれば調べるほど「生命を肯定したい」という素朴で単純なところに行き着くのです。 P88 ある一面では弱者であっても、別の一面では強者である──このようにして強者と弱者の相対性を自覚することは、誰であろうと必ず持つべき観点であり、現代の社会に広がる意識の分断に吞まれないためにも効果的な処方箋だと思っています。 - 2026年9月30日
- 2026年9月26日
タタール人の砂漠ディーノ・ブッツァーティ,脇功読み終わった国の外れにある奇妙な砦、北に広がる砂漠などのイメージから現実離れした、不思議な出来事が待ち受ける小説なのだろうと期待して読み始めたが、途中でこれは人生の物語だと気がついた。しかも、英雄の輝かしい人生ではなく、ごく普通の、いつかはきっと素晴らしい機会が訪れ何もかもが報われると信じているだけで実際は何も起こらない、語るべきことなど何もない人生だと。幻想に執着してその場を離れられずにいると、時はいつの間にか10年、20年と過ぎ、ついに運命に選ばれなかったことを知る。能動的に選択をしているつもりでも、現実を直視できていないと置いてけぼりを喰らう。30歳という、人生でも選択をあらゆる場面で迫られる年齢にある私は、砦に取り残されないようにできるだろうか。 - 2026年9月26日
イレナ・レイの消滅ジェニファー・クロフト,広瀬恭子,越前敏弥気になる - 2026年9月25日
落下する夕方江國香織気になる - 2026年9月17日
- 2026年9月16日
- 2026年9月15日
タタール人の砂漠ディーノ・ブッツァーティ,脇功P117 われわれのまわりにはわれわれと同じような人間がいると思い込んでいる、ところが周りにあるのは理解できない言葉を語る水や石ころばかりなのだ、友達に会釈しようとして、手を上げるが、その手は力なく垂れ下がり、微笑みは消える、なぜならわれわれはまったくの孤独であることに気づくからなのだ。 - 2026年9月15日
- 2026年9月14日
- 2026年9月9日
- 2026年9月7日
太陽諸島多和田葉子読み終わった三部作ようやく完結。スッキリはしないけど、読み応えは十分だった。 すこしも失われたヒルコの故郷に近づかずに物語を終えることになるとは、予想外だった。北半球から出られない6人の船旅。ずっと曇りで白みがかった印象だった。船旅であればもっと晴れていて、気持ちのいい海風が感じられるような場面があってもいいものだけど、旅の行き先や辿りつき方がわからない、先の見えない旅をしていることと、天候も良くマッチしているのだと思う。 ヒルコが、私の故郷では人も蒸発する、と言ったところにドキッとした。みんなが息を揃えて蒸発してしまったら、そしてたまたまその場に私がいなければ、簡単に故郷を失うことになってしまうと初めて気づいた。溶けてなくなるより一瞬で、より恐ろしい。 - 2026年9月7日
- 2026年9月6日
いちばんここに似合う人ミランダ・ジュライ,岸本佐知子読み終わった主人公たちの上手く生きられなさ、空回りし続けるもどかしさが自分と重なって、そわそわしながら読み続けた。常にここが自分の居場所ではないのでは、と思いながら生きている。特にたくさんの人と一度に接する機会があると、上手くやれる人と自分を比べてしまって落ち込む。ここ10年くらいは定期的にそんな経験を繰り返している。上手くできない自分の滑稽さも愛せるようになるといいのだけど、なかなか難しい。 - 2026年9月6日
いちばんここに似合う人ミランダ・ジュライ,岸本佐知子読んでるP236 家には、愛でいっぱいにするはずだった部屋がいくつも空っぽのまま残っていて、二人はそこをミッドセンチュリー・モダンの家具でせっせと埋めた。
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