ことばを学ぶとはどういうことか
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ヤマダ!@ts_o_tw2026年6月13日読んでる第二言語学習には様々な「呪い」がつきまとう。「かっこよく流暢に話せるようになりたい」という理想はモチベーションにもなるが、達成できなかった時には自責の材料になる。 ネイティブ/非ネイティブの間に発生する権力勾配。 「ことば」は本来所有したり、売り買いできるものではないが、英会話教室のレッスンはことばを「誰でも獲得できるもの」にし、教材やカリキュラムという形式にすることで販売している。


miko@miko882026年6月4日読み終わった言語学習に際して念頭に置いておくとよいこと、という感じの書籍 「ことば」を主軸に置いているが、内容的には現代の「正解」がある教育が生み出す社会的な弊害一般に適用しうる内容であると感じた 「ことばとは社会」という言葉の通りであり、だからこそ根深く容易に対策が継続出来るものではないと感じた ことばはコミュニケーションに用いられるものであり、そこに正解はないのだとするのは心強い一方で、「海外作品を鑑賞したい」というような人間同士の双方向コミュニケーションをもとにしない目的の言語学習に際してどう相対するべきか、という部分は引き続き模索しないといけないのだなあという感じはある

miko@miko882026年6月3日読んでる@ 自宅時間的な余裕がないとボケとツッコミみたいなコミュニケーションは成立しない 旅としての言葉の活動 ... 外国語、作品の鑑賞、発想の異なる人との対話etc
miko@miko882026年5月28日読んでる@ 自宅学習とはコミュニティに参加することでアイデンティティを構築する行為 なぜそのコミュニティに加わりたいか、を自ら決めること トランスランゲージング: バイリンガルと呼ばれる人々の言語行動は、言語ごとに分割されているのではなく、言語レパートリーを統合的に持つとする考え方

miko@miko882026年5月27日読んでる@ 自宅文化やアイデンティティに紐付くものとしての「ことば」をテーマに語る書籍であるけれども、今のところは成否で正しさを定める「教育」から問題について触れている書籍という印象が強いかも
miko@miko882026年5月27日読んでる@ 自宅疑いつつ信じる: 無意識の差別 (ことばの呪い) の影響を疑い自分は大丈夫と思い込まないこと、自分のアイデンティティ (ことば/文化) を信じることを両立する 疑いに傾いても信じるに傾いても思考停止の危険がある
miko@miko882026年5月26日読んでる@ 自宅> ことばの教師は、相手が間違えたことを訂正するという作業を延々とやる。(略) 言語も文化も、常にある決まった規則にあてはめていく (p.120) 規範自体は悪ではないが、「規範=正解」とすると呪いになる 言語学習における規範は疑っていい
miko@miko882026年5月24日読んでる@ 自宅「○○語が上手ですね」は褒め言葉ではない→相手を「ネイティブスピーカー」の立場から「ノンネイティブスピーカー」と定義する言葉であり、ネイティブスピーカーによる評価にかけている ネイティブスピーカーを言語学習における「モデル」と考えない複言語主義 ... 個人の中に複数の言語が共存するという考え方であり、自分が参加したい社会的場面に参加したい言語で参加できることを目標とする
miko@miko882026年5月21日読んでる@ 自宅レベルに分けられる弊害→優劣を生み出し、低いレベルの者はその言葉を話そうとしなくなる 初級であることを理由にしたコミュニケーションの遮断 (どうせあいつには伝わらないだろう) 言語体系への理解は必須ではない ... 日本人は日本語の構造や規範を完全に理解して日本語を話しているのか? ヒエラルキーが生み出す「努力不足」「努力する」の弊害
miko@miko882026年5月20日読んでる@ 自宅社会によって作られた「理想の話者像」 「理想の話者像」には自己の要求によるものも社会の要求になるものもあり、社会には「身の丈に合った理想」に調整する様々な要因がある→自ら問い直す必要がある 社会が調整した「理想」に到達しないことを個人の努力不足として抑圧する→理想の話者像の呪い
miko@miko882026年5月19日読んでる@ 自宅「もの」として扱われる言葉 ... 商品化されて「インストール」が可能な「言語教育」 言語学習は暗記による分野が多い→言語学習の「もの」化との親和性が高い 表現の意味は関係の中から与えられる→言語 (単語) は独立し個人の中に存在するものではない
えつこま@e2coma2026年5月18日読み終わったまさにタイトルがメタ視点。外国語学習という非常に曖昧なものを捉え直すには良い本でした。自分も第二言語学習法について少しかじっているところで、本書でも大きく取り上げられているヨーロッパ流「複言語主義」について知ったときは「そういう考え方もあったのか!」と目から鱗だったので、著者の主張には概ね賛同。複言語主義とはネイティブレベルを目標とするばかりの外国語学習ではなく、個人の経験や必要に応じたレベルで複数言語を使いこなしていくという言語スタイル。特に日本人は英語学習に対してネイティブレベルへの呪い、恐怖があるためこのあたりの話は興味深く感じるのではと思います。
miko@miko882026年5月16日読んでる@ 自宅(選ぶ本間違えてた……) 言語は「事実」を示さない (「人種」という語はそういうものがあると認識させるが、社会的・歴史的な分類に過ぎない) 言語は思考を規定する可能性があるもの、集団にも影響を及ぼす「呪い」
miko@miko882026年5月14日読んでる@ 自宅批判的応用言語学 (言語がどう人や社会と関わるか) の観点から、言語学習によって発生するネガティブな暗示、「言語学習の呪い」について考える本 (言語学習は無条件でよいものであるという無邪気な価値観への疑問)
























