焦土資本主義

16件の記録
本屋lighthouse@books-lighthouse2026年9月26日読んでる今やインターネット複合体は、個人の成功や自己ブランディングの道具立てを一式備えた存在として、「権力の網の目」が植えつける新たな利己的妄想となっている。そして、その内部から、絶えず変化するソーシャルメディア・プラットフォームを利用することで、あたかも反体制や抵抗であるかのように装うことができるのだ。(p.24) SNSが社会を変革する、という希望はもはやほとんど潰えていて、少なくともTwitterを使っているうちは、あるいはTwitter的な思考と行動の枠組みで動いているうちは、この社会はまともにならないだろう、という明白な予感がずっとある。「真実は明白だ。ソーシャルメディアに革命的主体は存在しないのである」(同上)。








本屋lighthouse@books-lighthouse2026年9月26日本日も無事オープン本日も無事オープンしております。昨日から読み始めたジョナサン・クレーリー『焦土資本主義』(人文書院)が序盤からどこもかしこも引用したい箇所ばかりで困っています。SNS、やはりもうデメリットのほうが圧倒的に大きくなっている……。 なお、昨日到着予定の納品がまだ届いておりませんが、おそらく豪雨被害の影響と思われます。もし1年後に届いたとしてもモウマンタイ、それはそれでギフトだぜ……。 〈本日の注目本〉『焦土資本主義 デジタル時代を超えてポスト資本主義世界へ』『「いいね!」の裏側で ソーシャルメディアの無責任が生んだ暴力と混沌』『危うい時代の思考ガイド 扇動・ポピュリズム・フェイクにどう抗うか』





本屋lighthouse@books-lighthouse2026年9月26日読んでるインターネットは太平洋で急拡大する巨大ゴミベルトのデジタル版である。その内部では、個人や共同体どうしの生きた交流が起こるはずの空間が、グローバルネットワークの蓄積する残骸によって窒息させられている。画像であれ言語であれ、膨大で終わりのないデータの集積は、人を麻痺させる騒音に方向感覚の喪失を生み出す。思考は狭められ、対話の可能性は押し潰される。毎日何百万人もの人々にとって、他者との主な交わりとは、このオンラインの泥沼に漂う断片に一言触れてはすぐ忘れ去ることでしかない。いわゆる知識経済の最大の成果の一つは、無知・愚かさ・憎悪の大量生産である。(p.58-59)

本屋lighthouse@books-lighthouse2026年9月26日読んでるUXDの目的はしばしば、「摩擦なく、労力を要せず、途切れない」インターフェースの設計にあるが、それは従順で柔軟な消費者を生み出す。「摩擦がない」とは、思考や疑念の欠如を意味するからである。(p.127) 本屋lighthouseでは基本的にポップと呼ばれるものは使わないし、出版部で刊行する本にも「読者の感情を誘導するような文句」は使わないようにしているが、それは読者それぞれの「思考や疑念」を失わせないためのもので、しかしそれは「わかりにくさ」や「めんどくささ」をも生み出すため、これらを嫌がる者は寄り付かなくなってしまうという、ビジネスとしての本屋という観点からするとデメリットとなるポリシーでもある。このポリシーと実践はお店の運営において通底しているため、SNS的な思考と行動の様式が強化される一方の世界においては、これからいっそう苦しくなるやり方なのかもしれない。しかしクレーリーにこうして言及されることで、むしろ元気が出ている。



本屋lighthouse@books-lighthouse2026年9月26日読み終わった当然のように、容易な解決策は提示されていない。こうすればできる、なんて回答は用意されていないし、仮にされているとしたらそれは本書が批判するものになっているだろう。ユートピアはどこにもなく、どこかにあると信じ探し続けている限りにおいてどこかにある、本書もそういうものとして読まれるべきで、つまり私たちひとりひとりが今後どのようにこの世界の規範に抵抗や拒絶をするのかが大事になる。




本屋lighthouse@books-lighthouse2026年9月25日読み始めたかつては少なくとも部分的に自律的だった行為(ルビ:アクション)が、今や「システム適応型」の行動(ルビ:ビヘイビア)へと変わった。(p.13) インターネット的なものがない世界を我々は想像できない。その理由をクレーリーは「感覚麻痺をもたらすオンラインでの定型化された活動(ルビ:ルーティン)を、生きることそのものと取り違えているせい」(p.9)と考える。『知覚の宙吊り』でも述べられていた、自発的に注意=注視していると思っているつもりでも実際にはコントロールされている、という話と通ずるものがある。




本屋lighthouse@books-lighthouse2026年9月25日読んでるインターネットは確かに反権力的な運動を支えはしているが、結局のところ面白い文章を書けるとか、なんらかの発表媒体を持つとか、(体勢側ではないがまた別の)権力側にコネがあるとか、そういうパワー=権力を持つ者だけが、その主張を響かせることができる空間になっている。つまり「ごく少数の代表者だけが能力主張社会への参入を露骨なかたちで許される」(p.20)。そして「同時に、ソーシャルメディアにおいては、手軽にパッケージ化されたアイデアしか広まりえない。この事実が、急進性や反逆のポテンシャルを持つプログラム――とりわけ、すぐに結果が出ないものや、息の長い関わりを必要とするもの――を骨抜きにし、手懐けている」(同上)。








