罪と罰 上

25件の記録
- hitomi@h_t2025年5月19日読み始めた山城むつみの『小林秀雄とその戦時の時 「ドストエフスキイの文学」の空白』の衝撃で間髪を入れず手に取る。 『罪と罰』は江川訳と亀山訳も読んだけれどいちばん好きな工藤訳で。 (もちろん大島弓子訳?も大好き❤︎)
- 美鳩セオリ@seori-m2025年3月9日かつて読んだ『罪と罰』の日本最初の和訳は内田魯庵って人で、英語版からの重訳だった。英語版のタイトルは『Crime and Punishment』、ロシア語原典は『Преступление и наказание』。どちらも「罪」というよりは「犯行」「犯罪」の意味が強い。 魯庵はそれを意図的なのか、直感的なのかは分からないけど、あえて「罪」と訳した。日本語だと漢字一文字ずつになるのて、視覚デザイン的なインパクトも狙ったのだと思う。 ただし、「犯行」「犯罪」ではなく、「罪」と聞くと、私たち日本人は法律違反以上のもっと大きな概念を思い浮かべてしまう。 私は最初に読んだとき、当たり前のように罪の意識を持ったラスコーリニコフが、ソーニャとの出会いなどを通じていかに社会的な罰を受け入れていくか?という話だと思っていた。 しかし、そうではない読み方があった。 ラスコーリニコフがあらゆる心理的、社会的あるいは信仰的な罰を体感することによって、いかに罪の意識を獲得していくのか?を描いているのかもしれない、ってこと。 そして、実はこの作品は最後まで、ラスコーリニコフが罪の意識に目覚めたのかどうか?は描かれていない。
- Zh@g__j__r__2025年3月7日まだ読んでる前々からちょっとずつ読み進めている。 登場人物多いし名前が似てるし文調も独特で読みにくいったらないが、最近やっと分かってきた。 ハアハア………おもろい………。
- RIYO BOOKS@riyo_books2020年11月8日読み終わったソーニャの愛としてのシンボル、スヴィドリガイロフのニヒリズムとしてのシンボル、ドゥーニャの家族としてのシンボル、それぞれが抱く「思想の良さと危険性」