目の見えない白鳥さんとアートを見にいく
52件の記録
noko@nokonoko2025年11月4日読み終わった借りてきた心に残る一節なにかをできるようになるとか、素敵な自分になりたいと願うことは健全なことだ。しかし、それが「もっと〇〇するべき」「私は努力したんだから、あなたも努力するべき」「常識では、こうだから」と勝手な「べき論」を他者や社会全体へ向けると差別や分断、生きづらさに変わる。すべてのひとは違うし、違ったままで良い。異なる他者、他者とは異なる自分を受け入れられたら、世界はもっと虹色の雪に近づくかもしれない。 「白鳥さんはそこに気づいてなにかが変わった?」 「別に劇的に変わったわけではないけど、徐々に視野が広くなっていった。あぁ、ひとそれぞれ違いはあるんだけど、そのままでいいんだって」 この時、白鳥さんが「視野が広くなった」という言葉を使ったことで、私はあの奈良で見た千手観音を思い出した。 八〇〇年も前に作られた観音像は現代に伝える。 ーあまねくみるー 突き詰めてしまうと、僕はけんちゃんの中に入り込めない。感覚にも入り込めない。ただ寄り添うだけなんですよ。このことがどれだけ大事なことか。視覚障害者の気持ちになれたと思い込む時点でアウトなんですよ!そのアウトさが世界を覆い尽くしていく。 僕らは他の誰にもなれない。それは心身を疲労してドアを閉じてしまう鬱状態のひとにも、多動症のひとにもなれない。視覚障害者にもなれない、僕らはほかの誰にもなれない。ほかの人の気持ちになんかなれないんですよ!なれないのに、なろうと思ってる気持ちの浅はかさだけがうすーく滑ってる、そういう社会なんですよ、今の社会は。だから、気持ち悪いの!だから、俺たちは、むしろ進んで、いい加減に、わあああって言いたいんですよ。この世界で、笑いたいんですよ。


Lusna@Estrella2025年8月18日読み終わった全盲の白鳥さんがマッサージ店を辞めて、全盲の美術鑑賞者としてワークショップを始めた頃がコロナ禍だったのだな。過去の記憶は常に今の自分が上塗りしてるから、常に新鮮な「過去の記憶」なのだということ。今ここを大切にする姿勢に共感した。









木埜真尋@stilllifeppap2025年8月3日読み終わったaudible全盲の白鳥さんは音声読み上げ機能で本を読んでいるそう。聞いているではなく本なので読んでいる。確かに耳で聞いて内容を知ろうが、本は聞いているではなく読んでいるだ。活字で目で追って読書する時も頭の中で音読をする癖があるのでこの感覚には腹落ちした。 ボルタンスキー展の章は、自分も長崎まで見に行った展示だったのでそうそうと思いながら話を受け止めることができて楽しかった。 コロナ禍で発展したオンラインミュージアムは体感を伴わないので興味がないという話も納得度が高い。 抜き出せばキリがないがとても面白い本だった。現代アート鑑賞入門でもあったので、今後また美術館に行くときに折りに触れ思い出すんだろうな。





さあこ@sayaka222b2025年8月2日読み終わった生きることがまた楽しみになった。読んでよかった。 私は、ただこの世界で笑っていたい。 そこにいる人たちと、同じ時間を空間をともにしてくれた人たちとそこにいたい。 そうすることで、今この時を生きる自分の存在をありありと感じられる。 今にしおりを挟む。確かに、生きているということを感じる。 そしてやっぱり、別に私にはイラストやアートがなくたって十分尊い存在だ。 私にしか生きてこれなかった人生で、これからも私にしか生きられらない人生だ。それは私以外のみんなもそう。 他人の気持ちも頭の中も地獄も天国も、どんなに考えても技術が発達してもわからない。その人にはなれない。 それはもちろん私に対してもそう言える。 誰も私を奪えない。やっぱり大丈夫だ。と確信した。
- ワット@watt2025年7月30日読み終わった話の出発点は、ミトゲイ。水戸芸術館現代美術センターの教育普及担当学芸員が、視覚障害(全盲)の白鳥さんの鑑賞アテンドを引き受けるところから始まる。平面作品の鑑賞補助が、補助者側の作品理解につながるという部分から、視覚優位な世界への懐疑、人々が社会だと思っているもの全体への不確かさの確認、障害者やマイノリティへのまなざしへと考えは深まっていく。話が拡散しそうだけど、目の前で生きて暮らしている白鳥さんの存在が、重しになっている。 美術鑑賞というけれど、いまこの時代を生きている人同士が、茫洋としたいまを生きていることを、協働で再確認する営みなのだろう。それぞれの美術館の教育普及担当が、それだけの解像度を持ってコトにあたれているのだろうか。芸術が社会の中でどれくらい大事にされているのかも、気になるところだ。

千代丸@chiyomaru_772025年7月14日読み終わった@ 公園気になっていてようやく読み始めた。 川内有緒さんの本は本当に読みやすい。 いかに自分が絵画を観ているようで観ていなかったことに気付かされる。 なかなか目の不自由な方と接することがないけれど、もっと白鳥さんみたいにフランクに一緒にいろんなことを楽しめる機会があればいいなと思った。白鳥さんのような友人がいたらなぁ。 映画も観てみたい。

はる@nm21752025年7月4日読み終わった美術館に行くと、どう見たら正解とか作品の意味や作者の意図ばかりで、自分がどう感じるか・どう見るかを考えてなかったなぁと。 もっとありのまま、楽しんでいいんだなと感じた
わきた@yuko_123062025年5月28日読み終わったアートを通して出てくるのは自分の経験に基づく解釈で、それを交流することはおもしろいコミュニケーションだと思う。美術館ですぐ解説読んじゃうけど、アートの解釈に正解を求めるのやめたい。


こづえ@kozue33732025年5月14日読み終わった図書館で借りたアート鑑賞は、単に視覚的に観るということを超えた体験であり、晴眼者も見えるものを他者と共有することで、何が見えていて何が見えていないか、どう見ているかについてより深い鑑賞が可能となる。

yt@yt2025年5月10日読み終わった人は美術館で何を見て、何を見ていないのか。 白鳥さんとのたわいもない会話から、いろいろ教えてもらった。 他の誰にもなれないし、なりたくもない。 世の中には様々なアートがあるんだな。 荒野をゆく人々と、寄り添う人々。 読めばディスリンピック2680で体験できます。











































