コンヴィヴィアリティのための道具

コンヴィヴィアリティのための道具
コンヴィヴィアリティのための道具
イヴァン・イリイチ
Ivan Illich
渡辺京二
渡辺梨佐
筑摩書房
2015年10月7日
29件の記録
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年7月5日
    全住民が自分を維持するのに必要とされる以上の力を生みだすほど能率がよくなるやいなや、人々がこのエネルギーに対する統権を奪われる可能性が生じた。彼らは自分たちの力を他人の決定にゆだねるように強制される可能性があった。租を課されるか、それとも奴隷にされる可能性があった。 …… イデオロギー・経済構造・生活様式は、こういうふうに余剰のエネルギーを少数者の管理に集中するのに、有利に働きがちであつた。 (p.74) スペースX社が100万基の大規模衛星コンステレーション構想を発表している。 ロシア・ウクライナ戦争を動かしているのは同社の「スターリンク」サービス。 次世代の「スターシップ」は宇宙発電と地球への送電、つまりエネルギー供給が計画されている。 それが実現化してしまえば、「省エネ」や「再生可能エネルギー」という言葉の意味合いや重みが無効化してくるのではないか、とイリイチの警告から考えさせられる。 「スターシップ」と「スターリンク」 大航海時代で言えば「ガレオン船」と「教区網(カトリック教会の布教網)」。 帝国主義時代で言えば「蒸気船」と「海底通信網・鉄道網」。 物資と情報の供給網は地表を離れ、自ら「星」と名乗る時代へ。 「ニュートラル」を達成するための努力が無効化されてしまえば、依存と隷属が加速化する。 依存と隷属の単位が「国家」レベルに及ぶと、個人個人では全くもって身動きが取れなくなる(個人個人のもつエネルギーすら収奪されてしまう)。 宇宙に対する「封建制」の適用、100万基の人工衛星が飛び交えば、「ニュートラル」の象徴のひとつでもある「夜空」をも奪われることになる。 「エネルギー供給」を免罪符とし、一個人・一企業が「ニュートラル」を侵犯ーー無効化しようとしているとも言える。 (地球環境に対するニュートラルを達成する代償として、インフラを掌握しつつあるプラットフォーム企業に対する非ニュートラル(服従)を受け入れなければならなくなる) 『テクノ封建制』(ヤニス・バルファキス)よりもスケールの大きな支配が、迫ってきているのでは。 読んでいて、他人事ではいられなくなる。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年6月30日
    人々は自分のかわりに働いてくれる道具ではなく、自分とともに働いてくれる新しい道具を必要としている。人々は、より巧妙にプログラムされたエネルギー奴隷ではなく、各人がもっているエネルギーと想像力を十分にひきだすような技術を必要としているのだ。 (p.38) 「より巧妙にプログラムされたエネルギー奴隷」 映画『マトリックス』の、セル状に並びエネルギーを吸い取られる人間たちを思い出す。 「マトリックス」とは制度を意味する。自分のかわりに働いてくれる道具は、終局的に自分のかわりに働いてくれる人間を手に入れる。 ヘーゲルのいう主人と奴隷の弁証法。 エージェントはエネルギーを浪費する人間を取り締まる。 (皮肉にも生成AIにおいてタスクの自律実行、目標達成のための処理を行うのも「エージェント」という名前) かたや「自分とともに働いてくれる新しい道具」 21世紀も四半世紀を過ぎたというのに、ドラえもんしか思い浮かばない。 ドラえもんは世代を超えたコンヴィヴィアリティなのかもしれない。 ドラえもんはエージェントではない。 タスクはこなさず、のび太という個性に冗長性をもたせるのがドラえもんのミッション。 つまりのび太という人間の個性、その可能性を信じること。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年6月29日
    悪しき管理の是正策は、管理の増強なのだ。専門分化した研究の是正策はより高くつく学際的研究だというわけで、それはちょうど、汚染された河川の救済策がより高くつく汚染浄化剤であるようなものである。情報ストックの共同利用化、知識ストックの積み立てなど、科学の生産増大によって当面の問題を力づくで解決しようとする企図は、エスカレーションによって危機を解決しようとする究極の企てなのである。 (Ⅰ 二つの分水領) 「足りない」という思いをどうやって満たせばよいのか。 仏教では「思い」の持続を執着と呼ぶが、持続そのものが力でもあると言えるように思える。 どうしても降りられないエスカレーター、花火大会の人の流れ、こういった自身の意志がどうにもならなくなる状況も、「乗ってしまった」ことに因があるとすれば。 「足りない」とか「乗ってしまった」に悲観するからなお悪い方向に進むのであって、それを悲観ではなく俯瞰すればなんか面白い展開に持っていけるのではないか、と思いつく。そこにはたらく「力」は否定できないものだから。 書いている内容からの脱線がひどい、と書きながら気づき、気づきながらも書き進める。これはすくなくとも「悪い」エスカレーションとは言えないと思う。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年6月24日
    すぐれて現代的でしかも産業に支配されていない未来社会についての理論を定式化するには、自然な規模と限界を認識することが必要だ。この限界内でのみ機械は奴隷の代りをすることができるのだし、この限界をこえれば機械は新たな種類の奴隷制をもたらすということを、私たちは結局は認めなければならない。 …… いったんこういう限界が認識されると、人々と道具と新しい共同性との間の三者関係をはっきりさせることが可能になる。現代の科学技術が管理する人々にではなく、政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会、それを私は”自立共生的(コンヴィヴィアル)”と呼びたい。 (『はじめに』) オードリー・タンが生成AIと教育について語る上で「コンヴィヴィアル」という語感インパクト強め言葉を使っているのを聞き、この本を知る。 教育というテーマに実装的な立場で深く考えていた人がイリイチだったと知る一日。(トルストイの『イワン・イリイチの死』の人? というずっと昔の初感でとどまっていた人) 「道具」を考える上で、「自立共生」という言葉を引っ張ってくるあたりの発想が凄い、そして興味深い。 嬉しくも、「はじめに」を読む限り、この本の行く末がまったく読めない(理解のある人のみでとどまる実装概念なのか、教育可能な普及概念なのか)。道具と自立共生の組み合わせに新鮮さを感じているくらいなので、学校教育では教わっていないのは確か。 本という道具(ツール)もまた、効用の限界を見定め、コンヴィヴィアルなものとしなければ…という気にさせられる本の奴隷。
  • さおり
    さおり
    @gm8bq
    2026年3月8日
  • 『資本主義を半分捨てる』 p.124
  • もん
    もん
    @m-708naoya
    2026年1月12日
  • obakenokuni
    obakenokuni
    @kk
    2025年12月27日
  • aiko
    aiko
    @taka_ai5
    2025年10月23日
  • 7879
    @reads_7879
    2025年9月16日
  • あ
    @i_am_not_yeti
    2025年7月9日
  • 今夜Takram緒方さんのトークを聴きに行くので。
  • あ
    @i_am_not_yeti
    2025年5月15日
  • あ
    @i_am_not_yeti
    2025年5月15日
  • あ
    @i_am_not_yeti
    2025年5月15日
  • 調
    調
    @shirabe
    2025年5月6日
    2005年刊の『「未来の学び」をデザインする』で初めて知って、最近あちこちでコンヴィヴィアリティを耳にすることが増えて、ようやく重い腰をあげて読み始めた。けど難しいので超のんびり読み進める。
    コンヴィヴィアリティのための道具
  • doji
    doji
    @doji_asgp
    2025年4月28日
    産業化とサービス化が進む社会の中で"よりよい"ものを享受しようとすることで、自立と共生のための力が失われてしまうこと、そしてそれを取り戻すためにいまいちど道具のあり方を問い直さなくてはいけないこと。道具によって人が支配されてしまうことは、その後のケビン・ケリーにも引き継がれている考え方なので、なぜ本書がいまも重要な位置付けなのかがわかった。後半の法的な手続きと問題提起についての内容が読み下せなくてまた再読しないといけない。
  • tetote
    tetote
    @tetote18
    2025年3月7日
    この手のお堅い海外論文系は特に苦手分野で開始数ページで挫折しそうになった。 そんなときはあとがきから読む。 翻訳家の意図を知り、『あ、なるほどそうやって読めば良いのね』とわかり正面から向き合わずに読むと案外すらすら進む。あえてわかりにくさを残して訳している、翻訳家さんのクールで皮肉めいた表現スキ。
  • 専門家によって建てられた家が機能的な単位住宅ということにされ、自分で建てられた家には掘立て小屋という烙印がおされる。法律は建築家が署名した図面を提出できない人々に建築許可を与えないことによって、こういう定義を定着させる。人々は使用価値を生みだす力を自分自身の時間に付与する能力を奪われ、賃金のために働き、自分の稼ぎを産業的に限定された賃貸空間と交換するように強いられる。彼らはまた、家を建てながら学ぶ機会をも奪われる。(p.143) かつて小屋を建てながら学ぶ機会を得た(そしてそこで本を売った)者として、頷くほかない箇所である。我々は「家は建てられない=専門家に建ててもらう必要がある」と思っているが、そんなことはない。ということを小屋を建てたことがある者は知っている。確かにあの小屋は「掘立て」だったが、私は「いつでもあの小屋を建てられる」と思っていて、それが力の源になっている感覚はある。小屋はいつでも作れる。トランプに壊されてもまた作ればいい。小屋はほかのあらゆるものに代替可能でもある。
  • 学習が教育に変質したことは、人間の詩的能力、つまり世界に彼個人の意味を与える能力を麻痺させている。人間は、自然を奪われ、彼自身ですることを奪われ、彼が学ぶように他人が計画したことではなく、自分の欲することを学びたいという彼の深い欲求を奪われるならば、ちょうどそのぶんだけ生気を失っていく。(p.138)
  • 阿久津隆
    阿久津隆
    @akttkc
    2025年2月14日
    『この世の喜びよ』が終わってまだ眠くなく、寝室の床に並ぶ遊ちゃんの本のところから取って開いた。ありがたいことに瞬く間に眠くなって寝た。
  • とにかくイリイチは自転車よりも速くなってしまった移動手段に対してノーと言っているようで、ちょうど『自転車』を読んでいて猛烈に自転車に乗りたくなっている私には、天啓のような1冊だったのかもしれない。しかしそれ以外のことはよくわからない後半100pほどだった。訳者あとがきを読むと渡辺京二が「既訳のものはマジで翻訳がくそだった。英語をわからない奴が翻訳したにちがいない。だから俺は30p読んで挫折したのだ(そして俺が翻訳し直すことにした)」というようなことを言っていて最高だった。しかし30p読んで挫折しかけたのは私も同じであり、そもそも冒頭30pくらいは誰が訳しても意味不明な代物だったのかもしれない。
  • 今日もまた言い回しが難しく理解できないことばかりだが、とにかくいまトランプがやっていることは地球規模で壊滅的なダメージを与えることなのだ、ということがあらためて突きつけられている。イリイチがこの本を書いたのは1970年くらいだと思うのだけど。
  • 自立共生的道具とは、それを用いる各人に、おのれの想像力の結果として環境をゆたかなものにする最大の機会を与える道具のことである。産業主義的な道具はそれを用いる人々に対してこういう可能性を拒み、道具の考案者たちに、彼ら以外の人々の目的や期待を決定することを許す。今日の大部分の道具は自立共生的な流儀で用いることはできない。p.59 イリイチがいまのSNSを見たらまさに産業主義的道具だと思っただろう。我々は各々自由にSNSを使って楽しんでいるように思っているが、実際にはSNS企業運営者の思惑やらなんやらの中で動き回っているにすぎず、ゆえに今日の社会はできあがっている。そんな気がする。SNSを使う際にわれわれが「こう使うべきだ」と思ってしまうやりかたから、意図的に逸れていくのがいいのかもしれない。それはおそらく考案者たちの目論見に乗せられるということであり、もちろんそれがよい結果を生み出すこともあるが、道具に無自覚なまま隷従してしまうことはもっとおそろしく、個人的には避けるべきだと考えている。アナキストだから。やっとたのしくなってきた。お客さんはぜんぜんこない。
  • なにもやる気が起きないがゆえになぜか長期間放置されていた本が手にとられてしまう。難しくて読めないであろうことがわかっていたからこその放置だったはずなのに、やる気がないのに、読み始められてしまう。はじめにを読んだがわからない。ねむい。
  • 🌜🫖
    🌜🫖
    @gn8tea
    1900年1月1日
  • 松子
    松子
    @erinayumi767
    1900年1月1日
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