「九月」を生きた人びと

「九月」を生きた人びと
「九月」を生きた人びと
加藤直樹
ころから株式会社
2025年9月1日
14件の記録
  • 『九月、東京の路上で』もまだ読み終えていないのですが、この本も読みたい。
  • ユウキ
    ユウキ
    @sonidori777
    2025年9月15日
    当時の状況と現在の状況を読み解きながら関東大震災から続く苛烈な百年に焦点を当てる。 愼 蒼宇の「朝鮮植民地戦争」にもあった植民地戦争の経験と植民地化の人々の抵抗への恐れの蓄積が背景にあるのではないかという当時の状況も、虐殺も追悼も忘れようとする今の日本の状況も恐ろしい。 今の嫌韓につながる藩屏論の話は興味深かった。 植民地で防波堤という道具であった「韓国」が日本の「近代」を進歩ではなく野蛮だったと問い直してくる。日本の自己認識のうちにあったはずの韓国が、対等な他者として現れてくることが、日本の自己認識を揺さぶってくる。 確かに、日本人(特にメディア)の嫌韓は一時期特に異常だったが、上記を踏まえると納得する。 ラムザイヤー論文にも丁寧に矛盾点を読み解いている。 「日本社会は「日本人だけがつくってきたわけではない」とあるが、本当にそのとおりだと思う。 この百年の歴史を追悼し、繰り返さないように共有していきたい。
  • 熊ぐらたん
    熊ぐらたん
    @kumagura
    2025年9月15日
    宇多丸レコメンド本
  • Blue moon
    Blue moon
    @mimosamimi
    2025年9月13日
  • nyannyaway
    nyannyaway
    @nyannyaway
    2025年9月13日
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月12日
  • ナツキ
    @natsuki_reads
    2025年9月11日
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月11日
    続きを読む。 〈「嫌韓」は、近代日本の歪んだ韓国・朝鮮認識の断末魔であると同時に、日本の自画像の断末魔でもある。だが、断末魔のあがきほど怖いものはない。〉(136頁) この原稿の初出は2019年11月。〈断末魔のあがきほど怖いものはない〉。そのことを嫌というほど思い知らされた2025年夏。このあとにはこう続く。 〈韓国認識の「眼鏡」を取り替える作業を一日も早く進めるべきだ。そしてそれは、単なる「侵攻の反省」といった主観的なものではなく日本近代の自己認識の再編でなくてはならない。〉(同上) ラムザイヤーの「朝鮮人虐殺否定論」のお粗末さについての論考も読み始める。きりがいいので「その5」まで。改めて酷い論文だ。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月10日
    関東大震災時の朝鮮人虐殺を考えるうえで、間島出兵やシベリア出兵などを視野に入れておくことがなぜ重要なのか。セクション2は短い7篇が収められていた。1篇目「パルチザンの幻影」は特に重要。 〈これは黒島[プロレタリア作家・黒島伝治]自身がシベリアで抱いた思いであったに違いないが、同時に、日本の庶民に向けたアジテーションであったはずだ。侵略戦争から降りよう。他国の庶民を殺す戦争はもうやめよう。おれらがやめりゃ、やまるんだ!/だが、黒島の叫びが多くの人に届くことはなかった。[...]日本の庶民は再び、周辺諸民族の民衆そのものを敵とする戦争へと動員されていく。それは、1920年代のそれよりもさらに大規模で、さらに残虐な戦争だった。〉(86-87頁) 2020年代の私たちは今どこに向かおうとしている?〈おれらがやめりゃ、やまるんだ!〉の言葉が虚しくも切々と再び響く。 セクション3の1篇目のさわりも読む。タイトル通り「嫌韓」の歴史的起源を辿っていく。なぜこうも日本の言論空間では韓国・朝鮮認識が歪むのか。「尊王思想による属国視」「進歩主義に基づく劣位視」「『藩屏論』による客体視」という系譜で押さえていくとのこと。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月9日
    セクション1の2篇を読む。杉並の百年。そして、都立横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑が建立された歴史的経緯。「日本人ファースト」が吹き荒れるなか、あまりにもアクチュアルな出版。同業として敬意を表したい。 〈「長い歳月」という意味の慣用句にも使われる「百年」だが、本当は決して長い時間ではない。[...]/そもそも、関東大震災が起きた1923年の人びとは、私たちに想像もつかないほど異なる世界に生きていたわけではない。[...]/朝鮮人虐殺は、そんな私たちとさして違わない暮らしのなかで行われた。そして、そのトラウマを生きた人々の記憶が消え去るには、百年は短すぎる。/[...]活字にとどめておきたかったのは、1923年9月の出来事についてだけでなく、その後の「百年」を人びとがどのように生きたのかということだ。〉(4-5頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月7日
  • さや
    さや
    @saya_shoten
    2025年9月5日
  • 柚子🍋
    柚子🍋
    @jnk_airport
    2025年8月30日
    また九月が来ます
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