ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』 2024年2月
37件の記録
- t3k@77dr2026年5月10日読み終わった@ 本の読める店fuzkue初台人間(や社会)は受肉した語彙である。 その語彙=自己が絶対であると疑わず、常に改訂へ開く態度を取ることで絶えず「再記述」していく。 そしてとてもローカルなところから始まる「われわれ」という単位を、他者や物語と会話し共感・気づきを得ることで自らを構成する語彙の再記述を伴いながら徐々に拡張していく。それが連帯する、ということである。 と、今回は解釈した。 今回読んだ分では、最終的な連帯より偶然性によって集まった語彙で象られた自己を「再記述」していく姿勢、というところが深く刺さってきた気がする。
つきあたり@eheheno_he2026年4月21日読み終わった朱喜哲『人類の会話のための哲学』の予習 高校時代に「言葉の通じる世界をつくれ」と言われたけれど、その意味を今までとはちがう方向で考えられるようになった。みんなで共通の語彙を持つことというより、他の人たちの語彙にふれて、自分の語彙を改訂の可能性に開くこと
益田@msd2025年7月19日読み終わった私たちは大事にしている「終極の語彙」がある。それをリベラルアイロニストとして改訂し、様々な人と会話を続けていき「われわれ」を拡大して連帯していくこと これは今の混沌として最悪な世界を生きていくのに大切なことだと実感した。 自分にとっての信念やバイアス(?)は今まで生きてきた時に得たものでしかなく確固たる常識ではないということを意識したい



益田@msd2025年7月18日読んでる「ローティが問題にしているのは、ティレルも指摘した本質主義です。人間に本質というものがあるとすれば、それを持っていない相手は人間ではないということになり、「われわれ」と「やつら」のあいだに線引きがされてしまいます。人権主義者が言うように「人間には本質的に人権が付与されている」と考えるのならば、翻って「人間でないものには人権がない」ということにつながるのです。 人権はたしかに大事な概念です。それは帰結において大事だといえます。「人には人権がある、だからそんなことはやってはいけない」という話のために使ってこそ人権ということばは活きる。しかし人権が本質だという話になると、そもそも相手が私たちと同じ人間だという感覚がない場合には、それは前提において機能しないことになってしまいます。」 →人権を基礎づけ主義を批判し、基礎を求める姿勢を放棄してこそ互いの存在を尊重し、「自分たちも違う人たちをニセの人間と考える傾向に歯止めをかけることができる」(p76-77)

益田@msd2025年7月14日読んでる「リベラルなユートピア(目的はバラバラで、「同調を避け」ているけれど、お互いを保護するという意味では協力することができる。そんな者たちがそれでも何とかやっていく。)の市民に必要なのが、「自己の隅然性」の認識です。一緒にやっていく人同士のあいだでは、自分が相手に影響されたり、相手が自分に影響されたりする可能性があると認識する。つまり、それぞれが変わりうる存在であり、必然に固執するのではなく隅然に開かれていることを確認する。 そうやってお互いを改訂されることに対して開きながら、どうにかしてときには手を携える。そこに、連帯の可能性や必要性が出てくるのだとローティは言います。つまり、「必然的な本質を共有しているわれわれだから、わかるはずだ」ではなく、むしろ本質など持たない、互いに偶然的な存在であるからこそ、何かしら一緒にやっていくことができるという可能性が出てくる。ここが、偶然性から連帯の契機が出てくる」(p32)


































