被害者性の政治学
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本屋lighthouse@books-lighthouse2026年3月9日読んでる第三章のまとめ。コロナパンデミック時のアメリカ(トランプ)とイギリス(ジョンソン)の対応の特徴は「常態化」「軍事化」「撹乱化」という3つと言える。まず、「コロナなどインフルみたいなものだから、それに過剰に反応するほうが「危険」だ」という主張があり、そのあと「コロナとの戦いは戦争のようなものだ」という比喩での鼓舞があり、さらにはフェイクニュースを流したり(そもそもなにも情報を流さないなど)することによって、ウイルスではなく政府が引き起こした加害を隠蔽すると同時に、この世界における真実と虚偽の区別を曖昧にしてしまう。 常態化、軍事化、撹乱化、の3つはいま高市政権がやっていることでもある。こんなものは大した危機ではないのだから騒ぐなよ、と言いつつも各種事象に対して戦争をイメージするような語彙で言及し、各種メディアを通してフェイクやらなんやらを拡散させる。そしてこれらを通して「高市さんは頑張っている(のだから批判するなんて)」という「被害者性」を確保する。高市が直接的に関与しているものもあれば、我々大衆が自発的にやっていることもある。いずれにせよ、結果として3つのキーワードは達成されている。安倍政権からずっとこんな調子だ。






本屋lighthouse@books-lighthouse2026年3月9日読んでる第二章の大雑把なまとめ。第一次大戦からベトナム戦争、そしてイラク戦争などへとわたる20世紀〜21世紀はじめの各種戦争において、傷を負う者が戦争被害者だけではなく戦争加害者にも増えていったこと、少なくともそのことが認知されるようになったことが、被害者性という概念に大きな影響を与えた。そしてこれらの(というよりおそらくすべての)戦争における強者こそが「加害者でありながらも傷を負った」者として認識されるため、かれらの傷=声のほうが聞き入れられることになり、ほんとうの被害者は置き去りにされる傾向が強まった(あるいはそのスタイルが確立した)。 というまとめでよいかはわからないが、とにかく戦争の話がたくさん出てきて、現在進行形でもこの傷がたくさん生み出されていることが脳裏によぎり、花粉に遮られる集中状態ともあいまって、いろいろと苦しい。



本屋lighthouse@books-lighthouse2026年3月7日読み始めた第一章を読み終える。相変わらず私の持っている前提知識では理解が難しいところばかりだが、おそらくこうまとめてよい気がする。被害を受けたというなんらかの表明がなされることではじめて「その被害者は救済されるべきだ」ということになる、そしてその表明ができること自体もまた特権性と結びついていて、沈黙せざるを得ない者の被害は誰にも認識されないままである一方、もともとなんらかの特権性を強く持っている者ほどこの表明は広く聞かれ、かつより説得力のあるものとして受けとめられていく。そしてこの構造は、感情的な共感が喚起されるほど拡散力を増していくSNSの設計と相性がよく、かつては#metoo運動のように正しく被害者の声を届けることになったが、いまやその仕組みは特権性をより強く持っている者らによって乗っ取られてしまっている。つまり#metooを訴える者ではなく、それによって訴えられた者の「被害者性」のほうが広く届き、強く印象づけられることになっている。 私自身の結論:やはりSNSでの社会運動はメリットよりもデメリットが大きくなってしまった。

















