いくつもの武蔵野へ 郊外の記憶と物語

いくつもの武蔵野へ 郊外の記憶と物語
いくつもの武蔵野へ 郊外の記憶と物語
赤坂憲雄
岩波書店
2025年10月28日
21件の記録
  • chika
    chika
    @koitoya
    2026年4月21日
    「昭和三十年代の府中や国分寺こそが武蔵野だったのである。(省略)東京という大都市が、開発によって武蔵野を呑みこんでゆく最前線であり、町はずれであり、郊外であるような特別な場所だった。少年院や刑務所があり、カソリック墓地や多磨霊園、精神病院があり、広大な米軍基地があった。(省略)」(p19) 赤坂憲雄の幼少の記憶の武蔵野、カブトムシを捕まえ、雑木林で遊び、キャベツ畑が広がっていたという風景は、現在の場所からは想像がつかない。 さらに武蔵野は、単なる自然ではなく、都市と深く結びついた循環の場でもあった。 「蘆花が早くに、「都会の汚物を浄化してまた送り戻す循環作用」と表現していたことを思い返すのもいい。(省略)糞尿は発酵と分解によって、はじめて作物への肥料として役に立つ下肥となる。(省略)それはたんなる負のシステムではなかった。やがて、それは皮革や肉をめぐる差別や穢れの問題へと敷衍されてゆく。」(p94) 「『草の花』の終わりに近く、(省略)草は暖かく萌え、たんぽぽの花が咲き乱れていた、と。しかし、いかにも草の武蔵野は淡く霞んでいる。それと比べれば、武蔵の雑木林はそれなりにくっきりと像を結んでいた。」(p154) また、たくさんの文学作品の中にも武蔵野も現れる。どの作品にも原風景としての美しいイメージが重なる。 「武蔵野の文明史を研究しようとする人にとっては、「水の問題は最初に注意すべき事柄である」と見える。(省略)水の流れがときに地下に隠れるのを「逃げる」といい、こうした逃げ水は武蔵野には多かったのである。(省略)「まいまいず井戸」こそが、武蔵野の井戸掘りのふつうの形であったか。」(p161) 実際に府中市郷土の森博物館で見たまいまいず井戸は印象的だった。ひとりで覗き込んでいると通りがかりの人もつられて覗くが、皆「なんだろう」という顔をして通り過ぎていく。それは素朴だったからだろう。でも奇妙な構造に、かつての生活の気配が凝縮されているように思えた。 こうして読み進めるうちに、「武蔵野」という曖昧で、しかしどこか懐かしい存在に触れていると、次第に寂しさが立ち上がってくる。実際に体験したわけではないのに、もう戻ることのできないものに触れているような感覚。寂しい原風景。 そのイメージに重なるのが夕景だ。 「東都の西のはずれの丘のうえが、美しい夕陽を眺める特別な場所として指名されている。(省略)西の空一帯に夕陽の燃え立つとき、そこに、「最も偉大なる壮観」が姿を現わすのである。(省略)夕焼けの空が(省略)殺風景な山の手の大通りをいくらかでも美しいと思わせるのは、夕陽があるゆえだ。(省略)そして、荷風は続けて、これら夕陽の美ととも語られるべきは、市中より望む富士山の遠景である、という。(省略)夕陽と富士はあくまで西の方位を指しており、それゆえに、そこには武蔵野が見え隠れしていたのである。」(p184-185) 群馬で育ちながらも、イメージの中の武蔵野を思い描くときに夕日が重なるのは、おそらくこうした文学的・文化的なイメージの共有によるものだろう。 「百姓たちは「ここへ畑起してもいいかあ」「ここに家立ててもいいかあ」(省略)森はいっせいに「いいぞお」とか「ようし」と答えるのだ。(省略)これはまさに〈借り〉の思想であった。(省略)〈借り〉とは野生にたいして適度な距離をとり、生態環境が再生・更新されてゆくように持続可能な関係を築くための作法であり、モラルであった。」(p242-243) この視点から見ると、参照されていた『借りぐらしのアリエッティ』も、人間と自然のあいだの緩衝地帯としての生活を描いた作品として理解できる。 武蔵野とは単なる地理ではなく、いくつもの層から成る存在である。幼少期の記憶、文学によって見出された風景、生活の循環の場、そしてすでに失われたものとしての像。それらが重なり合い、「寂しい原風景」として立ち上がる。 武蔵野とは、日本の近代が生み出した想像上の故郷だった。
    いくつもの武蔵野へ 郊外の記憶と物語
  • 白玉庵
    白玉庵
    @shfttg
    2026年3月6日
  • 眉毛
    @mayugebooks
    2026年3月6日
  • ぽち子
    ぽち子
    @pochi_co31
    2026年3月6日
  • 赤坂先生の新刊が出ていたとは。トークイベント行こうかな。 と思ったら、トークイベント満席でした。
  • socotsu
    socotsu
    @shelf_soya
    2026年2月2日
  • @kawasaki
    2026年2月2日
  • nyuki
    nyuki
    @nyukibook2025
    2026年1月22日
    先日のUNITÉのトークイベント、武蔵野のはずれに生息する人間としてめちゃくちゃおもしろかった。自分のアイデンティティは「武蔵野」で、「多摩」が馴染まないのは多摩市をイメージしちゃうから、かも
  • 本田民生
    本田民生
    @civicman
    2026年1月21日
  • 宇都海郷
    宇都海郷
    @KyoUtsumi3
    2026年1月19日
  • ræ
    @reaeon01
    2026年1月3日
  • れおぴん
    れおぴん
    @leopin0801
    2025年12月17日
    武田砂鉄ラジオマガジン 20251216「ラジマガインタビュー」
  • sun
    @dehlavi
    2025年12月13日
  • maekazoo
    maekazoo
    @ujiki5
    2025年12月13日
  • 4章が野川、5章がハケの時点で「わたしが買わずにいったい誰が買うんだ…………」と衝動買いしてしまった。「野川は暴れ川であった」の記述でこんなにアツく盛り上がる読者はほかにいないであろう。 追記:野川に都市計画道路を通そうとしている東京都は本当に大アホ、絶対にゆるさない
  • Eunuch
    Eunuch
    @Eunuch
    2025年11月10日
  • 糸太
    @itota-tboyt5
    2025年11月10日
    土地の凹凸はどうしてこんなにも心を湧き立たせるのだろう。足の裏からダイレクトに伝わる刺激が、目の前に広がる景色を後退させ、その土地のもう一つの姿を浮かび上がらせてくれる。 この本が見せてくれるのは、そんな遠い昔でもない「武蔵野」である。何世代か遡るだけなのに、とんだ異世界が広がっている。でもその場所は、不思議と居心地がよかった。 本文中には武蔵野を描いた文学作品が多く紹介される。さまざまな角度からの描写に触れるたび、その景色を知っているような気さえしてくる。 このあり得ない既視感のなかに、なぜか居心地のよさが潜んでいる。 光の歴史だけではなく、闇があってもなお。 人間が自然とのあわいに生きてきた記憶は、案外、いろんな所に転がっているのかもしれない。 祖父母のちょっとした仕草や神社の大木の根元に生える雑草とか、または、いま踏みしめている土地の凹凸にも。
  • 閑雲ヤカク
    閑雲ヤカク
    @Yakaku_k
    2025年10月28日
  • this and that
    @tat_pub
    1900年1月1日
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