むこうやま
@65yama_kana
書籍編集者、ケアワーカー。
- 2025年11月25日
資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのかナンシー・フレイザー,江口泰子気になる読みたい - 2025年11月25日
- 2025年11月21日
ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか山根純佳,平山亮読み終わったついに読み切った!!!大拍手(著者と私に)!!!!! この数年、海外のケア理論が流行ったが、ここまで現場感覚にぴったりくる人文書はなかった。ケアを感情労働、身体労働、で片付けるまえに、「感じたり考えたりする労働」と説明し、その不確実な性質を指摘してくれたのは、「ほんとそう!!!マジで言語化してくれてありがとう!!!」としかいいようがなかった。「女性のほうがケアできるのはなぜか?」という飛びつきやすい問いからも巧みに距離をとった戦略もあっぱれであった。願わくばこのSAの概念が広く浸透し、ケアワーカーの賃金が上昇することを。 - 2025年11月13日
- 2025年11月13日
- 2025年11月10日
- 2025年11月10日
この世にたやすい仕事はない津村記久子読み終わった刊行されたとき以来、7年ぶりに再読。 「あいにく私は、前の前の前の職場で、人間の心の隙間にそっと忍び込んで、ぷすぷすと針で穴を開けていくような人々に何人か接している。だいたい、もっとも困った局面ではしごを外すか、単に私の持っている情報が欲しいかのどちらかである」←それな〜 「私が助けて欲しい時はな、誰かの中に弱さを作り出してそこに居座ろうっていう人間じゃなくて、「申し訳ないけど助けて欲しい」ってはなっから信頼している人か専門家に言うよ坊や」←それな〜 - 2025年11月10日
ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか山根純佳,平山亮読んでるやっと第6章まできた、、、 「このように専門職としてのケアワーカーは、ケアされる当事者との相互行為だけをおこなっているわけではなく、家族と本人との関係性を観察し、理解する存在でもありうるのです」 「しかし介護保険制度で介護報酬の算定の対象になるのは、あくまで利用者本人への身体的ケアや調理といった「タスク」であり、家族や関係性を感知しそこから浮かび上がったニーズへの対応は、ケアワーカー側が「自らの負担で補っている」のです」 私が現場の人以外とケアの話をする気があまり起きないのは後者の事情があまりに伝わらないからである。身体介護以外に考えたり感じたりしている活動が「ケアラーの感性」としてだけ取り上げられ、いい人がやってる安い労働だと思われている。 - 2025年11月6日
- 2025年10月22日
歴史修正ミュージアム小森真樹読み始めた「本来、"歴史を修正する"という行為そのものは、学問の根幹にあるべき営みである。新たな資料や証言が発見され、視点が拡張されるたびに、歴史はより多層的なものとして描き直されていく。そのような修正こそが、真に誠実な歴史実践である」 - 2025年10月17日
- 2025年10月16日
小さなトロールと大きな洪水トーベ・ヤンソン,冨原眞弓「でもニョロニョロのようすは変わりません。あいかわらずじっと水平線を見つめているだけ。知らない土地から知らない土地へと、どこまでも、どこまでも、旅をつづけることにしか興味がないのです」 (素朴な疑問:なぜ総ルビではないのか) - 2025年10月16日
あらゆることは今起こる柴崎友香よかった。柴崎さんの文章のパラっとした質感がすきで、また読み返したくなりそう。 (あんま好きじゃない言葉だけど)ニューロダイバーシティを現代文学で表現するとこういうことになるのかな、という感じ。 あくまで症状を一般化せず、個として描くことは当事者エッセイとして誰もが心がけるけど、その意志が作品や文体といえるレベルに練り上げられてるのがすごい。そうそう私はもともと現代小説が好きだったんだよな、という感覚まで取り戻させてくれてうれしい。 - 2025年10月15日
プリズン・サークル坂上香9刷とあり、9刷!!?!?!となる。 映画を観た人も読んだほうがよいのではないか。 上間陽子さんと信田さよ子さんが映画をみたうえでTCを性犯罪者におこなうことの問題点を語っていたが、その難しさは坂上さんも書いていた。 あとは映画撮影後のあさひの変化(よくない)についても書かれており、いやー法務省だいぶきついなと思うなど。刑務所の非人間的すぎるやり方には思うところあり。刑務官のメンタルも心配。 - 2025年10月14日
クィアのカナダ旅行記水上文性的少数者の権利が踏みにじられる日本で、この本を出してくれた著者の勇気と責任感には本当に頭が下がる。と、カタイ感想だけで括るのはもったいない。 仲間と週末のパーティーを楽しみ、恋人とブリュワリーで美味しいビールや料理に舌鼓を打ち、ときに軽口を叩きあう、、、。著者が健やかに伸びやかに、ありのままの姿でカナダでの滞在時間を過ごす姿に、思わずこちらまで幸せな気持ちになる。そんな瑞々しいテキストも本書の魅力。 どうかその幸せが末長く続いてほしい、と心底思うが、それは日本ではまだまだ難しいことなんだよな、と思うと辛くなるし、シスヘテロのマジョリティとして本当に申し訳ない。 レインボープライドや啓発だけでは全く足りず、日本はクィアの人たちにとって安全、安心に自分らしくいられるための基盤が根本的に欠けているのではないか、と思わせてくれるほど、私の中で解像度や問題意識があがる一冊でもあった。 - 2025年10月11日
熊になったわたし 人類学者、シベリアで世界の狭間に生きるナスターシャ・マルタン,大石侑香,高野優カムチャツカの先住民を調査していた著者が山で熊と遭遇し、重症を負うところから始まる。 なめとこ山の猟師は熊に食べられて〈森の世界〉から帰って来れなくなるが、こちらは熊とつながりを得て、共に生きていく話。 治療の一環で医療者たちから非人間的な扱いを受け、顔の傷によりスティグマを負った著者が、カムチャツカの森や熊とのつながりの中にこそ居場所をみつけていく展開が魅力的。傷によって自身と精霊や森との境界が曖昧になり、半分人間、半分熊になった著者は「共に生きる未来」を求めて旅を続ける。 購入を迷う人は解説から読むのがよいかも。著者は人類学者だが熊信仰やアニミズムを体系的に解説する本ではない。解説にあるように、著者の内側と外側で起こったことを著者の視点から描くことで、熊と人とのつながりのあり方の可能性を表現する一冊。できごとの意味をあまり追求しないほうが楽しめる。
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