

ちーさん。
@dokushumi12
辻村深月さんが好きです。
あとは近藤史恵さんや北山猛邦さん、河野裕さんなどざっくばらんに。
軽率にハート送りがちです。
- 2025年8月23日ライオンのおやつ小川糸読み始めた心に残る一節『明日が来ることを当たり前に信じられることは、本当はとても幸せなことなんだなぁ、と。 そのことを知らずに生きていられる人たちは、なんて恵まれているのだろう。幸せというのは、自分が幸せであると気づくこともなく、ちょっとした不平不満をもらしながらも、平凡な毎日を送れることなのかもしれない。』
- 2025年8月22日この夏の星を見る 下(2)辻村深月読み終わった楽しみにしてた下巻、読み終わった時の充足感と寂しい感情。 まだまだ彼らの物語を見ていたかった。 上巻で繋がった縁と縁の関係性が深くなり、そこから更に広がる。なんて素敵なんだろう。 コロナによりできなかった、過ごせなかった青春ある。 だけどコロナだからこそオンラインを通して結んだ天文部の縁。 各学校の生徒さん同士が発起する冬の「スターキャッチコンテスト」が一等美しい。 みんなで同じ時間に同じように空を見上げて星を掴まえる瞬間に、涙が出そう。居る場所は違くても、確実に繋がっている。 先生方も素敵な人たちばかりで、やっぱり綿引先生はずるいと思う。感情を発露させた瞬間の先生の思いに感動しないはずないじゃないか。 そして、解説が宇宙飛行士さんなのも、辻村さんらしい。 彼らの続きの物語が読めることを、心より願って。
- 2025年8月17日この夏の星を見る 下(2)辻村深月心に残る一節「絶対に、できてほしい。これ以上、私たちから何も奪わないでって感じ」 「コロナの年じゃなかったら、私たちはこんなふうにきっと会えなかったと思うから。どっちがいいとか悪いとか、分からないね。悪いことばかりじゃなかったと思う」 『ただ、同じ時間帯に空を見る。そのための約束をした、というただそれだけのことが、どうしてこんなに特別に思えるのか。 きっと、みんなにもわかったはずだ。 今年だから、という思いがそこに含まれていることを、はっきり感じる。』 『これくらいの特別はーーーお願い、私たちにください、』
- 2025年8月16日この夏の星を見る 下(2)辻村深月まだ読んでるこの、輿くんが東京の学校に編入するってなった時の御崎台高校に柳くんがいるから編入するってなった流れも、 真宙が原爆のことを自由研究のテーマにしようって、五島のみんなの話を聞いて決意したのも点と点がオンラインを通じて線になって繋がってく感じがとても良い。 そしてその線が繋がって、また新しい関係性が出来ていくのもめちゃくちゃ素敵。 その瞬間を文章で読めて嬉しいのですよ。
- 2025年8月10日この夏の星を見る 下(2)辻村深月読み始めた心に残る一節『自分が何気なく言った言葉を覚えていて、大事にしてくれている人がいる、という事実に、大げさでなく、自分がここにいてよいのだと救われる気持ちになる。』 本当にこれなのよ。 人から聞いて大事にしたいと思った言葉も、伝えた言葉も思いのほか未来まだ続く感じがまたいい。
- 2025年8月8日この夏の星を見る辻村深月読み終わったとりあえず上巻。 楽しみにしてた辻村作品。 あの頃のコロナで消えた、高校生たちの2020年。 政府から発令された緊急事態宣言で180度変わった生活意識。 失われた青春を、少しずつ取り戻そうとする彼らの努力が、思いが、溢れる。 主に3人の視点で描かれるお話。 茨城、東京、長崎の高校や中学の天文部の生徒たちがリモートという形で繋がり、縁が結ばれて行われることになった「スターキャッチコンテスト」。 手作りの望遠鏡で、『星を掴まえる』。 ひと夏の思い出のために、奔走しする。 それぞれの生徒の特徴がよく出ていて、どのキャラにも愛着が湧く。 バラバラの視点で進んでいく物語がひとつに繋がった瞬間、広がる幸せの衝撃。 これだから辻村作品を読むのは止められない。 どうか下巻、彼らが星を掴まえられますように。
- 2025年7月23日
- 2025年7月18日この夏の星を見る辻村深月心に残る一節『脳の錯覚だってわかってはいても、月がついてくるって考え方は、ちょっといいよね。人間って本当に自分本位に物を見るけど、そこもまあ、なんていうか、いい』 綿引先生なんというかちょっと、秋先生みを感じる。
- 2025年7月13日
- 2025年7月12日
- 2025年5月29日みんな蛍を殺したかったけんご,木爾チレン心に残る一節『一度でいいから、可愛いというだけで、誰かに愛されてみたかった。』 『底辺の人間に対して、女の子の怒りのスイッチは簡単に入る。絶対に勝てると、わかっているからだ。可愛くデコレーションされた長い爪で髪の毛を掴まれながら、まるで他人事のように、それは世界一可愛い武器なのかもしれないと思った。 嗚呼、どうして、女の子という生き物は、こんなにもこわいのだろう。 ゲームにでてくる、どんな強敵よりと、おそろしい。 それに、痛くても、悲しくても、言葉だけは防御できない。』 『人間は中身なんていうけれど、あれは普通以上の人だけが持てる思想だと、ボクは思う。 醜いと、見た目だけで、中身まで腐っていると認識されてしまう。』 この辺りめちゃくちゃ共感。
- 2025年5月17日みんな蛍を殺したかったけんご,木爾チレン読み始めた
- 2025年5月14日悪魔を殺した男神永学読み終わった悪魔シリーズ第2巻目。 個人的には前作よりも今作の方が好きでした。 顔の皮膚を根こそぎ剥ぎ取られた少女の遺体発見から始まるミステリー。 そこに絡んでくる警察官僚や政治家たちの後暗い闇が露呈していき、物語は新しいキャストを迎えて変化していく。 天海にはどこか危うい清廉さが潜んでいるのが、文章を読んでいるとうっすら感じ取れるものがある。きっとその雰囲気が殺人犯たちを唆してしまう空気を孕んでいる。 1作目の時よりも阿久津の感情の揺れのようなものが想像出来て、人間味のある彼を知れて嬉しかった。 人間が殺人衝動をもたらすほどの執着心とは、一体どんなものだろう。 感じてみたいとは思わないけど、ほんの少しだけ興味がある。 それはきっと、叶わないのだろうけど。
- 2025年5月14日ショートケーキは背中から平野紗季子読み終わった「生まれた時からアルデンテ」から、さらに平野さん自身が食に対して前向きに、時には戻りながらとめどなく食を愛しているんだなぁと感じられる1冊。 平野さんの食に対する語彙力の海が凄まじく広くて、圧倒される。 こんな風にたべものを表現できるような人間になりたかった。 今回の本はかなりポテチとたこ焼きが食べたくなる内容で、平野さん的色んな商品別ポテチの感想論が凄まじい。 これは夜中に読んだらポテチが食べたくなる。 分厚いのから薄いのや、じゃがいもの品種やあげ方の違いまで多種多様に表現されたポテチのその味と感触。 ちなみに私は個人的に軽め、塩気多いめ、パリパリが好きなので湖池屋ののり塩一択ですが、ポテチ界の異端児であるオーザックもかなり好き。 今回も刺さるタイトルが多かった。 「会社員の味」 「ポテチは流れ星」 「本当に人が傷ついた日に食べるのは」 「ショートケーキは背中から」 私も今度ショートケーキを食べる時は、背中から食べてみます。
- 2025年5月14日ショートケーキは背中から平野紗季子心に残る一節『基本的に食事って最初の一口が一番おいしくできている。パワフルな味わいの食べものならなおさらだ。最初が一番おいしくて、満腹に近づくにつれておいしさの感受性が鈍くなっていく。三角のショートケーキは1番面積が広くて生クリームの多い最も濃厚な部分が最後にやってくる運命にあるわけだが、そのときの受け手の状態は「もうお腹いっぱい」のことがままある。するとそれは惰性の1口にしかなり得ない。クライマックスをすぎた後の斜陽感バリバリのクリームゾーン。』 『食べものは形には残らなかった。あんなにたくさん食べたのに。すがすがしいほど、何もかもなくなった。だけど、そのかわり、思い出だけが残っている。それでいいと思える。それがすべてだと思える。もうない店。もうない味。もう一度食べたいもの。もう二度と会えない人。たべものは消えてしまうけれどもしかし、こうして思い出せる未来のあることが嬉しい。』
- 2025年5月14日ショートケーキは背中から平野紗季子心に残る一節『パン屋の閉店は劇的だった。ある日張り紙1枚で幕を下ろして二度と会えなくなった。そこには喪失の悲しみのリアリティがあった。もっと幼い頃は「失って悲しい」という感情に出会うこと自体が少なかった。テレビを見ていても、亡くなった有名人のほとんどを知らなかった。知らなければ悲しまずに済んだ。でも歳をとればとるほど、知っている人が、大切なものが、いなくなってしまう。大人になるということは、悲しみが増えていくことなんだ。嬉しいことはそんなに多く増えないのだろう。』
- 2025年5月13日
- 2025年5月2日ショートケーキは背中から平野紗季子心に残る一節『馬場さんの料理はスルスルと喉を通過して、永遠に食み続けることができる気がしてくる。食べ飽きない料理の良さとはきっと、幸せが長く続いていくところにあるんだろう。打ち上げ花火みたいな料理もいいけど、ささやかで、それでいて充実したときがいつまでも続いていく喜び。人生もそんな風だったらいいのに。』
- 2025年5月2日ショートケーキは背中から平野紗季子心に残る一節『味噌味のとろめくスープをまとったお米に黄金の半熟卵を割り入れた汁かけ飯の神々しさたるや。』 『料理とは、明日なにがあるかもわからない世界で無事に生きて迎えられた今日を寿ぐ(ことほぐ)ものであり、その先を照らす切実な光であるのかもしれない。どうかみなさんお元気で。過去と今とをつなぎとめるお仕事をしてくださる方がいることで、そう実感できる。』 (小休止)『大好きだった地方のクッキー屋さん。時々買えるのが嬉しくてそのたび楽しみにしていたら、数年前に東京にお店ができた。気軽に買えるのは嬉しいけど、東京で買えるとわかって食べてみたら味が落ちたように感じられた。人間の舌はどうかしている。クッキー屋さんは悪くない。悪いのはいつも自分。』 簡単に手に入れられるようになると、その味に物足りなさや感動を得られなくなるのは何故なんだろう。 食べ物の味自体は何も変わらないはずなのに、その時々の自分の環境や感情によって、味が左右される気がする。
- 2025年4月30日
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