私の身体を生きる

私の身体を生きる
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文藝春秋
2024年5月24日
87件の記録
- ルース@ruth_blackett_2025年4月23日ちょっと開いた「あなたのフェミはどこから?」と関連づけて手に取った。本屋を回遊している時、知人が教えてくれて。ちょいとせきらら、小説家の人が多くて文章がうまい、という所感も聞かせてくれた。 ぱらぱらめくって手が止まったのは藤野可織。私の経験と重なるところが多い。 あとで買うかも。
- きよのみ@choge592025年4月22日読み始めた借りてきたこれ、すっごいな… やっと図書館で順番が回ってきて、わたしは生理前で打ちのめされてて まだ最初の1編しか読んでないけど、電車の中で涙がこぼれそうになって、まだ言葉にならない気持ちが溢れてぼんやりとしている 女性として受けた傷って、どうして矮小化してしまうんだろうな すっかり忘れていた記憶が蘇ったり、笑えるわけないのに笑い話にしようとしたり 他の傷と違って、何度も当時と同じ強さで殴りかかってくる
- amy@note_15812025年4月5日読み終わった感想17人の書き手が自らの「身体」と向き合って綴るリレーエッセイ。それぞれの書き手が、自身の身体というごく個人的なテーマについて記したエッセイであり、どれも興味深く、おもしろく読んだ。念のため断っておくが、ここで言う「おもしろい」は、おもしろおかしいという意味ではない。 書き手の多くが女性ジェンダー(のように見える)だったせいか、性被害の話が当然のように出てくる。そのたびに、ふさがりかけた傷口に指を突っ込まれるような気持ちになった。そのためフラッシュバックの可能性がある人は、読む際に注意してほしい。 妊娠、自慰行為、性行為、セックスワーカーとして働いた経験などが、これほど赤裸々に綴られたものを読めることに女性にも性欲や性への関心、好奇心があるのだと、ようやく受け入れられるようになってきたのかと感じた。 もちろん、個人的なSNSにはこうしたエピソードや個々人の考えが書かれていることもあるだろう。けれど、正式な一冊の本として刊行されたことには、大きな意義があると思う。 その人の身体は、その人自身のものだ。他人の体調の良し悪しや、その結果としてどういった生活をしているのかをジャッジするのではなく一人ひとりの経験として、もっと受け入れられるようになってほしい。
- か@aya_bookawa2025年3月22日読み終わった大学図書館で1ヶ月待ちだった。ようやく! ここで書かれている身体感覚はまだ私には早くて、想像するだけで嫌悪感を抱く部分もあった。けど彼女たちの言葉に共感し、学び、時に一緒に怒ってしまう私も居て、一体、私は何者なのだろう...となった。年齢を重ねたら読後の感覚も変化するのかなぁ〜 (追加) 児玉さんの『睡眠は意識を離すことから始まるから、ちょっとした「死」である』(p.227)との指摘は、死に希望が抱けなくて、友達や、高大で出会った先生や大人のように信仰も救いもない私はずっと死を恐れて、死に追われている。だから今までで最もしっくりきた言葉だったように思う。ありがたや...の気持ち。今日の夜は、安心して「ちょっと死にます」の気持ちで寝てみる。
- Suzuki@finto__2025年3月10日読み終わった★★★★☆ 「被害者だって笑う。そんなことは、言うまでもない。 笑う被害者だけではなく、誰かの不幸を喜ぶ被害者もいる。誰かの変化に嫉妬する被害者もいる。偏狭な被害者もいるし、醜悪な被害者もいる。被害者も加害者になりうる。だからといってそれが、被害そのものを矮小化することにはなり得ない。 被害者はただ、「傷ついたかわいそうな人」ではない。「痛みを知っているから他者の痛みを想像できる優しい人」なわけでもない(もちろんそういう方もいるが)。被害に遭いながら、なおも自分を襲ったその世界に与し、どころか全力でおもねり、他者を傷つけながら生きる人間もいる。でも、そういったことから独立した場所に被害は存在し、傷がある。その傷を、誰も否定し、取り上げることは出来ない。」(p51-52,西加奈子)
- Taka@pypy_052024年12月23日かつて読んだ30代がすぐそこまできて、ようやく「自分はこのままならない体で生きていくしかないんだなぁ」って感じた時に読んだ本。諦めでもあり覚悟でもあった気がする。