

サリュウ
@sly_notsry
- 2025年8月10日本が生まれるいちばん側で藤原印刷読みたい
- 2025年8月7日世界は団地でできている 映画のなかの集合住宅70年史佐藤大,団地団,大山顕,妹尾朝子,稲田豊史,速水健朗読みたい
- 2025年8月7日マンションポエム東京論大山顕読みたい
- 2025年8月7日伸子宮本百合子読みたい
- 2025年8月6日ただいま装幀中クラフト・エヴィング商會読みたい
- 2025年8月4日帝国の書店日比嘉高読みたい
- 2025年8月3日「打ちことば」の研究落合哉人読みたい
- 2025年8月2日休み時間の過ごし方團康晃読みたい
- 2025年8月1日自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件京都新聞取材班読みたい
- 2025年7月31日鳥の夢の場合駒田隼也読み終わったボトルアクアリウム/テーブルビオトープのような世界観と知覚のなかで(それをそうと認めたうえで)、その外側や内側、境域や、異なる知覚、別のアクアリウム/ビオトープの存在をなるたけ素直に書くならば、こう。という小説のように初読では感じた。透明な境域のある(もしくは、あると仮定する)、循環する生態系(ボトルアクアリウム/テーブルビオトープ)のなかでは生死や時間も循環し、それらをも循環する/させることがアクアリウム/ビオトープの「そうである」という確度も高めていく。そういうイメージが読んでいるあいだずっと頭にあった。 スツールが、使用想定をある種超えた場所に次々置かれていき、そこに座り初瀬が「練習」するというのは、だから本来鑑賞される立場にあるアクアリウム/ビオトープのなかで循環する生命が、裏返って鑑賞側へ立つ「練習」なのかもしれない。飛躍するとそれは人間としてこの世を生きながら神を、仏を「練習」するということ。 深読みするならば作中扱われる方言もある種ボトルアクアリウム/テーブルビオトープ的とも言えて。そこに住んでいる/住んだことのある者、話者以外にとって方言は奔放に扱うことができず、方言話者ではない読者は話者としての自分を生成できずただ鑑賞者になる。大きく見れば日本語それ自体もそう。
- 2025年7月26日かつて読んだじゅうぶん読んだ再読参考資料もはや誰も読まないし読み返さないような古の攻略本なのだが、巻末付録の年表がなかなか味わい深い。 『メダロット』作品世界の歴史がそこでは一覧化されていて、それだけではなくなぜか「第二次世界大戦」とか「コミックボンボン創刊」といった現実世界の出来事も同じ表のなかで同列に語られている。 いい加減な時代だったと言えばそれまでなのかもしれないけれど、なにかこう、いろいろと考えてしまう。 主人公・テンリョウイッキは、この年表に照らし合わせてみると、ちょうど2020年以降が『メダロット2』『3』『4』あたりの出来事で。この年表が作られたころはもちろんコロナ禍なんて、というか3.11どころか9.11すら予想だにしていなかっただろうけど、、、、この世界のどこかに小学生のイッキはいるのだろうか、と思いを馳せてみる。
- 2025年7月26日新装版 メダロット コイシマル編・下ほるまりんかつて読んだじゅうぶん読んだ再読参考資料
- 2025年7月26日新装版 メダロット コイシマル編・上ほるまりんかつて読んだじゅうぶん読んだ再読参考資料
- 2025年7月26日新装版 メダロット イッキ編(4)ほるまりんかつて読んだじゅうぶん読んだ再読参考資料
- 2025年7月26日新装版 メダロット イッキ編(3)ほるまりんかつて読んだじゅうぶん読んだ再読参考資料
- 2025年7月26日新装版 メダロット イッキ編(2)ほるまりんかつて読んだじゅうぶん読んだ再読参考資料
- 2025年7月26日新装版 メダロット イッキ編(1)ほるまりんかつて読んだじゅうぶん読んだ再読参考資料
- 2025年7月26日新装版 メダロット ヒカル編ほるまりんじゅうぶん読んだ参考資料
- 2025年7月26日
- 2025年7月25日大日本いじめ帝国栗原俊雄,荻上チキ読みたい
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