虫の時間
29件の記録
ひゃらりこ@hyararico2026年6月16日読み終わった5月末読了 Readsが止まっていた理由その一は「レジスタンスのまちづくり」をええ感じに紹介して、一人でも多くの人に手に取って読んでもらいたいという思い込みだった。 もう一つの理由がこの「虫の時間」の感想を上手く書きたい、というええかっこしいの気持ちだ。しかし、そんなことを考えているうちにずるずる時が過ぎてしまった。 一昨日、新開地から東出町のi'maに向かう道で、これまでも見たことがあった店の前を通り、はっとした。そのお店は居酒屋さんで店の名を「ふんどし」というのだ。初めて見た時からインパクトがあったが、「虫の時間」の「ふんどしショーツ」(と「穴あきパンツ」)が頭の中をよぎり、写真を撮ってツイッターに挙げた。そして「今日こそ『虫の時間』についてReadsに書こう」と決心した。それから一日経ってしまったけれど。 こだまさんといりえさんの手紙のやり取り。一度しか会ったことのない二人がその人にしか書けない手紙を書くようになる。いりえさんがこっそりこだまさんのトークイベントに参加する。こだまさんは気づかない。何度も会っている仲ならこだまさんはいりえさんに気がついただろう。「わたしメリーさん」で始まる手紙の冒頭を読んで、カーテンを開けて外を見るこだまさん。この間柄だからこその二人の接し方が手紙の中から見えてくる。 往復書簡の作品で「これ別に手紙でなくてもいいのでは?(会って話すれば?)」とか「質問してるけど、自分の望む答えを期待してる感じがする」などと思ってしまう本もある。 この本はそうではなくて、手紙だからこその「ここまで語っていいの?」という深みに二人してもぐりこみ、話が思わぬ方向に転がっていくのが心底面白い。面白いだけでなく、お二人ともしんどいものを抱えていてそれに向かうあれこれのアプローチに「相手がこの人だからこそ手紙でこのことを書ける」がある。しかもそれを本にして読ませてもらえた、ありがたい一冊。


彼らは読みつづけた@findareading2026年6月14日読み終わった*本の中の読書* 《知らなかった。韓国文学おもしろい。もっと読みたい。そう思い「新しい韓国の文学」シリーズを手に取りました。ハン・ガン『菜食主義者』『そっと 静かに』、チェ・ウニョン『ショウコの微笑』。続いて「となりの国のものがたり」シリーズのキム・エラン『外は夏』やキム・ヘジン『娘について』など。韓国の文化や地名にも疎いけれど、夢中で読みました。差別や喪失、分かり合えなさが淡々と静かに語られていたからかもしれません。その声を拾うように読みました。》 — こだま著「さて、虫の時間です」(こだま、いりえ著『虫の時間 往復書簡 こだまといりえ』2026年3月、秋月圓)




ON READING@onreading2026年5月7日読み終わった@ ON READINGエッセイストの「こだま」と、神保町にて間借りで本屋を営んでいた「いりえ」による一年半の往復書簡。 一度しか会ったことのない相手なのに(きっと、だからこそ)いつの間にか家族や友人にも話さないような悩みを書くようになっていく。 虫の話から始まり、お風呂に入れない、洗濯物をしまえない、メールが溜まる、優先順位がつけられない、先延ばし癖や脳内多動……。 ゆっくりゆっくり自分自身に近づいていく、22通の手紙。 往復書簡ゆえの”遅さ”が、手紙をとどける相手のことだけでなく、自分自身をまなざすためにも必要な時間だったのだろう。 書いて、手渡して、返ってきて、また考えて。渡す相手のある言葉は幸せだ。虫の時間はケアの時間。 衒いのないおふたりの文章が心地よく、困りごとにもシンパシーを感じながら、するするとそのやりとりのなかに入り込んで、読みながらほぐれていく。その時、私もこの手紙の受け取り人のひとりだった。


シモン@yansimon071103202026年3月27日読み終わったいりえさんにもこだまさんにも共感する部分があって、読みながら自分を省みていた。 自分も梯を外される現象には長年悩まされてきて、今では距離を置くようになった。 些細な事しか起こらない毎日だが、言語化していない(出来ない、その能力はない)だけで自分なりに自分を受け入れ、不器用ながら困り事に対処しようと藻掻きつつ生きているのだな、と。




月と星@moon_star2026年3月23日買った読み終わったおひ。2人だけのやりとりではなく、発売されることを見据えているのに、こんなに書いて大丈夫なのだろうか、と思ってしまった。 けれどもそれだけに、読ませてもらう方にとっては教えられることが多かった。 最近は、いろんな場面でASDやそういった言葉を目に耳にする。 当事者とか、そうではないとか、そういうのをとっぱらって、たくさんの人が知っていけば、もう少し生きづらさが減るのではなかろうか。 生きづらさ、という言葉も昔より目にすることが増えた。 どうして増えたのだろう。それとも表面化していない、広く知られる機会がなかったということなのか。 世界が、時間が、なにもかも速く流れて去っていくようになったからか。 なんだかいろいろ考えさせられた本だった。



























