それでも人生にイエスと言う
それでも人生にイエスと言う
ヴィクトル・エミール・フランクル
ヴィクトール・エミール・フランクル
山田邦男
春秋社(千代田区)
1993年12月1日
27件の記録
読書猫@bookcat2026年2月23日読み終わった(本文抜粋) “生きるということは、ある意味で義務であり、たったひとつの重大な責務なのです。たしかに人生にはまたよろこびもありますが、そのよろこびを得ようと努めることはできません。よろこびそのものを「欲する」ことはできません。よろこびはおのずと湧くものなのです。帰結が出てくるように、おのずと湧くのです。しあわせは、けっして目標ではないし、目標であってもならないさらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです。” “私たちのさまざまなあり方は不完全であるからこそ、唯一のものになることが明らかになります。” “生きるとは、問われていること、答えること ──自分自身の人生に責任をもつことである。 ですから、生はいまや、与えられたものではなく、課せられたものであるように思われます。生きることはいつまでも課せられた仕事なのです。このことだけからも、生きることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があるということが明らかです。” “社会の役に立つということは、人間存在を測ることができる唯一のものさしでは絶対にないということです。” “「本格小説を書いている時、稀れではあるが自分が書いているのではなく、誰かに手を持って書かせられていると思う箇所が私にもある。本が完成したあとに読みかえすと、その箇所が私などの実力をこえ、素晴らしくよく動いている。そんな体験を私は同業の友人や他の芸術家にたびたびたずね、『自分もそうだ』という返事をえた。(中略)あの時、私の腕をもって助けてくれたものは何か。(中略)近頃、深層心理学者たちはそれを無意識の働きと呼ぶようになった。しかし私などは無意識だけでは割りきれぬ何かを感じる。眼にみえぬそれらの動きを感じる時、神は我々のなかで、我々の人生のなかで、ひそかに働くことで自分を示していると思う」” (解説より抜粋、遠藤周作の言葉)
mee@___dokusyo2025年2月24日読み終わったフランクル自身が収容所から出た1年後(1946年)に この講演をしていたということにとても驚きました。 「ニヒリズムを超えて」いくという彼の研究姿勢が、 80年後の今を生きる私自身にも 生きるとは何か痛烈に問いかけてくる一冊です。
























