アブサロム、アブサロム 上 (講談社文芸文庫 フA 2)

16件の記録
阿久津隆@akttkc2026年3月15日読み終わった長い斜体のローザの語りを抜けてからはまた面白くなってきていて、この時間が楽しみだった、シュリーヴの暴走が止まらない。 「そうだ」とクェンティンはいった。 p.334,335 「そして、ラスターが話していたのは、その時の子供のことだった」とシュリーヴはいった。「そして君のおとうさんはまた君の方を見ており、それというのも君はその名前をまだ聞いたことがなく、その日君たちが菜園で彼を見た時、その子に名前があるとさえ考えなかったからだ。そこで君は、『だれだって? ジムだって』というと、ラスターが、『あいつですだよ。あのばあさんと一緒にいた、光ったコーヒー色の子供ですだよ』といい、すると君のおとうさんがまだ君を見ているので、君は、『どういう綴りだい』というと、ラスターが、『そいつは法律家のいうこったね。法律にとっつかまったら、そういうことを聞かれるだ。だけんど、おらは耳でおぼえた言葉をその通りいうだけだな』といった。そこでそれがあの時の少年で、名前はボンドだとわかったが、その少年にとっては名前なんかどうでもよかっただろう。だって彼は母親から受けついだものだけでできており、父親から受けついだものは決して現われそうもなかったのだから。そしてもし君のおとうさんが彼に、お前はチャールズ・ボンの息子かと聞いても、そうかどうか知らなかったばかりか、気にかけもしなかったろう。またもし君が彼に、お前はそうなんだ、といったとしても、そんな言葉は(彼ではなくて)君が彼の心と呼ばざるをえないものに一瞬触れるとしてもたちまち消えて行き、どんな反応も、誇りも喜びも、怒りも悲しみも、なに一つ惹き起こすことはできなかったろう。そうだろうが?」 「そうだ」とクェンティンはいった。 そうだろうが? いやー、すごい。すごい、すごい、と思っていると上巻が終わった。
阿久津隆@akttkc2026年3月14日読んでるシュリーヴがまた話していて、それはコンプソン氏の話し方とそっくりなのだという。物語が通っていく容器たち。それにしてもクェンティンはここのところ、「へえー」と、「そうだ」しか言わない。何ページも長広舌を振るったあとに「へえー」しか返ってこないとか、張り合いのない聞き手だ。空洞の語り手と聞いていない聞き手。すごい事態だ。
阿久津隆@akttkc2026年3月13日読んでるサトペンの百マイル領地に少年がやってきて、青年が捕まえられていて、なんだっけここ、と思いながら、何度も前に行って、なんだっけ、これ、誰が語っていて、誰のことを話しているんだっけ、とやっているとゆっくり小説の時間が染み込んでくる、その流れに乗る、それができた感じがあり、ジューディスの夫のボンの妾の息子とその妻がジューディスのもとで暮らし始め、そこで子を産んだ、ということらしかった。
阿久津隆@akttkc2026年3月11日読んでるミス・ローザの語りがまだ続いていて、267ページが終わって次のページを開くと左ページが斜体でなくなっているのがわかり、やっと終わりを迎えた、と喜んだ。199ページに始まったから、ミス・ローザは70ページ近く話し続けていたわけだ。 p.269 『えっ、死んだって?』とわたしは叫びました『死んだって? あなたが死んだって? あなたは嘘をいっているのです。あなたは死ぬわけがありませんもの。あなたみたいな人は、天国だって迎えてはくれないでしょうし、地獄だってことわるにきまっていますもの!』って。 しかしクェンティンは聞いていなかった。 え、えええ〜!? だ。その瞬間、ザゼンボーイズの「ASOBI」が頭の中を流れていき、聞いてなかったが、と僕はつぶやいた。クェンティンは、「なぜなら、彼にもまた通り抜けることのできないものがあったから」聞いていなかったのだそうで、それは、ヘンリーがボンとともに帰ってきたところ、ピストルを持って帰ってきたところだったみたいで、だからそこから聞いていなかったようで、それは202ページくらいのことで、70ページの語りのうち67ページ分くらいは聞いてなかったみたいで、ずっこけて、ウケた。
阿久津隆@akttkc2026年3月11日読んでる引き続きフォークナーを読みながら帰り、シュリーヴという人物が登場してクェンティンの大学の同級生のようで、ヨクナパトーファ郡からの手紙がケンブリッジの大学の寮に届いた、その手紙は、コンプソン氏が延々としゃべっていた夕方の時間をクェンティンに思い出させた。 p.273 その九月の夕方、コンプソン氏がやっと話をやめ、彼(クェンティン)はやっと父の話の外に出て行ったが、出発の時間になったからで、話を全部聞き終わったからではなく、もともとその話をよく聞いていなかったからだ。 【悲報】クェンティンくん、またもや何も聞いていなかったことが判明。
阿久津隆@akttkc2026年3月11日読んでるシュリーヴが、南部の話をしてくれよ。南部ではどんなふうなんだい。南部の連中はどんなことをしているんだい。どうして南部なんかに住んでいるんだい。それより、南部人はどうして生きているんだい、と聞く同級生たちのひとりであるシュリーヴが、わかった、わかった、と言って、わかった、わかった、わかった、と言って、 p.276 「わかった、わかった、わかった。―ところでその年寄りが―その叔母さんのロ―わかった、わかった、わかった、わかった。―その人は四十三年間そこへ行ったことも、その家に足を入れたこともないというのに、だれかがそこに隠れているといっただけでなく、彼女のその言葉を信じて、彼女のいうのが本当かどうかを確かめに、真夜中に馬車でそこまで十二マイルも行ってくれる人を見つけたっていうんだね?」 「そうだ」とクェンティンは言って、するとシュリーヴは「つまり、そのおばあさんは。祀られている人が多過ぎる霊廟みたいな家庭に育ち、父親と叔母さんと姉さんの夫を憎む以外はなにもすることがなしに、」とミス・ローザの物語を語り始めて、なにも知らないシュリーヴの肉体を物語が支配した瞬間だった。
阿久津隆@akttkc2026年3月10日読んでるミス・ローザはまだしゃべり続けていて、サトペンから求婚されたことについて話しているっぽかった、物事には三言話してもそれだけ話しすぎになることもあれば、三千語話してもまだそれだけ話し足りないこともあり、この話はそのあとの方の一つですからね、と話しているっぽかった。まだ続くのかなあ、と思いながら読んでいる。
阿久津隆@akttkc2026年3月8日読んでるミス・ローザがまだ喋っていて、まだまだ続きそうだ、毎晩こうか、ミス・ローザが僕たちの寝室の片隅にぼんやりと立ち尽くす小さな老婆の亡霊みたいな存在になってきた。
阿久津隆@akttkc2026年3月7日p.206 そこでわたしは(わたしの体は)まだ止まろうとせず(そうです、それを止まらせるには手がわたしに触れる必要があったのです)―自己暗示にかかっていた哀れなわたしは、起こらなければならないことは起こるだろうし、起こらざるを得ないだろうと、さもなければ生きていることも正気であることも否定しなければならないと、なおも思い込んで、走りつづけ、その測り知れないコーヒー色の顔に向って自分をぶつけようとしましたが、それはサトペンがこしらえ、自分の留守のあいだ自分のかわりを務めるように命じた、彼自身の、冷酷で、執念深く、無心な生き写しで(いいえ、無心ではありません。それどころではありません。なぜならそれは、サトペンの千里眼的意志が、喜々として応じる黒人の血と混ざり合ったためにやわらげられて、道徳を超越した悪が迷うことのない絶対に達した姿みたいだったのです)、その顔を見ていると、闇に閉ざされて気のふれた一羽の野鳥が、死を意味する真鍮のランプに向かって飛び込んで行くのを見ているような気がしました。 斜体がずっと続く。これはしんどい。
阿久津隆@akttkc2026年3月4日読んでるコンプソンさんが引き続き無茶苦茶な語りを続けていてぶっ壊れている。読んでいるとチラチラと岡田利規が思い出されるというか大学時代に佐々木敦のというか先生はやはり「さん」だ、佐々木さんの「ポップメディア史」という授業を取っていてときどきゲストがあって岡田利規のというか岡田さんの回もあって、僕は『三月の5日間』でチェルフィッチュを知ってどでかい衝撃を受けたあとだったので岡田さん回は大興奮だった、なので挙手して質問をした、何を聞いたのかは覚えていないが、そして僕の質問によって答えられたことなのかも覚えていないが、そして実際にそれが話されたのかも定かではないし、それがその固有名詞だったかも定かではない、だから完全に僕の作り話である可能性があり、というようなエクスキューズをフォークナーの登場人物たちであればしないわけだが、とにかく僕の記憶によれば岡田さんは僕の挙げた、誰だろうか、誰かよりも、自分はフォークナーの影響を受けている、と話したような記憶があって、不思議と、『野生の棕櫚』でも『サンクチュアリ』でも『死の床に横たわりて』でも思い出していなかったが『アブサロム、アブサロム!』を読んでいるとそれが思い出されて、フォークナーの登場人物たちは空洞みたいだ、物語の容れ物、媒体、そういう感じがあって、空っぽの体に言葉が詰め込まれてそれを放出している、そういう無責任で容量無制限の空虚な容れ物に見えてくる。









阿久津隆@akttkc2026年3月3日読んでるコンプソンさんがめちゃくちゃ話し続けている。「わしには、ボンがヘンリーに話した様子が、その秘密をもたらした時の様子が想像できるんだ」と言って、「そうだ、わしにはボンがヘンリーをその話の方へ、その衝撃の方へ、徐々に導いていく様子が想像できる。ちょうど狭くて石だらけな畠を使えるように準備して植付けをし、望み通りの作物を育てるのと同じように、ヘンリーの清教徒的な心を徐々に準備して行くボンの手際と計算が想像できる」と、どんどん見も知らぬ人たちの内面に踏み込みまくる危険で乱暴な語りを展開していって、テンションが上がる。
阿久津隆@akttkc2026年3月2日読んでるコンプソン氏が手紙を持ってきて、クェンティンとともにベランダにいて、コンプソン氏はベランダに灯っている小さな、汚れた、電球を指さした。 p.131 「これどころか、外の明りでさえ、この手紙にとっては、彼らにとっては、明るすぎるかも知れない。そうだ、あの時代の、すでに死んだ時代の人々にとってはな。彼らもわしたちと同じような人間であり、わしたちと同じような犠牲者だが、わしたちとは違った事情の犠牲者で、わしたちより単純で、それゆえ、一個の人間としてわしたちよりも大きく、より英雄的で、それゆえ姿もより英雄的であり、いじけもしなければもつれもせず、明確で単純で、宝さがし袋から手足ばらばらに盲滅法に取り出されてつなぎ合わされたそこらの人間どもとは違って、一度だけ愛し一度だけ死ぬ才能を持ち、無数の殺人と無数の交接と離婚の張本人であると同時に犠牲者なのだ。たぶんお前のいう通りだろう。たぶん今の外の明りより少しでも明るすぎると、これを読むには明るすぎることになるだろう」 コンプソン氏が本領を発揮し始めた感。















