目の見えない人は世界をどう見ているのか
36件の記録
ぐ@busy-lake2025年11月15日まだ読んでる学び!面白いうろ覚えだから意訳だけど、 「目が見えないということは、例えば4本脚の椅子の脚の一本が欠けて3本になっているということではなく、 3本脚の椅子であるだけということ。 3本脚の椅子は3本脚のバランスで立っている。」 という説明に、新しい世界を見た気がしました。 またこの、「新しい世界を見た」の「見た」が視覚によってなされたわけではないように、 視覚以外のもので「見る」こともたくさんあるんだって! まだ途中だけど凄く面白いです。
てぃ@titi__o42025年8月4日読み終わった「それまでは、見えているのはいいことで、見えていないのは良くない、見えていることは正しくて、見えていないことは正しくない、という印象が子どもの頃からずっとあった。見えている人の言うことは絶対的な力があったんですよ。見えている人は強くて、見えていない人は弱い、というような。でも見えている人が湖と野原を間違うというような出来事があって、何か違うぞと思い始めたんですね」(p.186)


noko@nokonoko2025年7月10日買った読み終わった心に残る一節揺れのような偶発事を、私たちはネガティブなことととらえがちですが、うまく「乗っている人」は、これを殺すのではなく生かしていくわけです。「乗る」は「ノる」に通じています。…だからこそ、見えない人は状況を対話的にやりくりする術に長けているのかもしれません。意志をかたくなに通そうとするのではなく、自分ではないものをうまく「乗りこなす」こと。こうしたスキルが、見えない人の運動神経には組み込まれているのかもしれません。


Kenji@kenji2025年6月4日読み終わった「触媒としての障害」という言葉が印象に残った。 障害者の方に触れる事で、それ以外の人にも新たな気づきがあるということだ。 例えば、障害者の生活にはコントロールできないことも多い。だからこそ、「コントロールしようとしなければ、人生は面白いかも」と気づける。 アンタッチャブルな存在とせず、ある種「面白がることで」、問題の本質を見る術を養えると気づいた。

hina@hina13f2025年4月12日読み終わった@ 一乗寺BOOK APARTMENT「私たちは日々、軽い記憶喪失に見舞われています。いったい、私が情報を使っているのか、情報が私を使っているのか分かりません。」






































