地上で僕らはつかの間きらめく

27件の記録
- DN/HP@DN_HP2025年9月27日かつて読んだarchive新潮クレスト・ブックス「母さん。母さんは昔、記憶は選択だと言った。でも、もしも母さんが神様なら、記憶は洪水だと知っているだろう。」 人生を想うときに押し寄せてくる過去の記憶をもっとよく知ろうとする。知っていたことと新たに知れたこと、そこに、詩人は真摯に美しい言葉を与えていく。読まれることのない手紙が書かれ、やがて彼らのLIFEは物語、小説になる。それが本という手に取れるかたちになり、多くの人に読まれ、幾つもの感情が動かされる。その行為と過程、その先にあるものがきらめきだ。それは「まばたきするような一瞬」、つかの間よりもずっと長く残りつづける。 そのきらめきのなかで、わたしにも記憶の洪水が押し寄せる。そこにあるものをよく知ることが出来れば、喜びや救いがあるかもしれないけれど、同時に哀しみや痛みもきっとある。それらに与える言葉はまだ持っていないけれど、読まれることのない手紙を書きたい相手のことは想いはじめる。まだ、伝えたいことより伝えられないことの方が多いことに気がつく。それでも「思い出は二度目のチャンスだから。」。ため息をつく。そこには二つの意味がある。 「めくられる紙の一ページは、対のない一枚の翼だ。だから、空は飛べない。でも、僕たちは心を動かされる。」 言葉と文章、翻訳。過去の記憶、人生をよく知ろうとすること、それを書くこと、そして読めること。それに感動し影響されること。読後に誰かを想いため息をつくこと。その全てが素晴らしいと思えた。
- Marua@imasa_arumin2025年5月19日ベトナム料理店で料理を待っている間に読んだ。店内自分以外はベトナム人だった(客もスタッフも)。オーシャン・ヴオンはベトナム出身の作家だけど、英語で書いている。とは言え、今のところの内容は母や祖母の回想なので、なんとなく周囲がリンクしていた。前日読み始めたのがバッグに入っていて、たまたま知人に教えてもらった店を思い出してそうなった。あっちこっち飛んで、かなり好きなタイプの文章。
- 画伯@ggahak2025年3月14日まだ読んでる「母さんは子供の頃、アメリカ軍のナパーム弾による空襲で学校が焼かれるのをバナナの森の中から目撃した。そして五歳のときから、二度と学校には行っていない。だから僕たちの母語は、実は全然“母親”ではないしむしろ、孤児だ。僕らのベトナム語はタイムカプセル。どこで教育が終わったか、灰になったかを記す標識だ。母さん、僕らが母語でしゃべるということは、ベトナム語をしゃべるというより、戦争を語るということなんだ。」 (p.42) このパラグラフだけでこの本を手に取ってよかったとしばらく反芻して何度も読んだ。"母語"がぜんぜん母親ではない、むしら孤児。そういう人が世界中にどれほどいるだろう。そういう人がたくさんいるということは知ってるのに、それがどういうことなのかをほんとうに知ることはないのだろう