地上で僕らはつかの間きらめく

18件の記録
- Marua@imasa_arumin2025年5月19日ベトナム料理店で料理を待っている間に読んだ。店内自分以外はベトナム人だった(客もスタッフも)。オーシャン・ヴオンはベトナム出身の作家だけど、英語で書いている。とは言え、今のところの内容は母や祖母の回想なので、なんとなく周囲がリンクしていた。前日読み始めたのがバッグに入っていて、たまたま知人に教えてもらった店を思い出してそうなった。あっちこっち飛んで、かなり好きなタイプの文章。
- 画伯@ggahak2025年3月14日まだ読んでるこのパラグラフだけでこの本を手に取ってよかったとしばらく反芻して何度も読んだ。"母語"がぜんぜん母親ではない、むしら孤児。そういう人が世界中にどれほどいるだろう。そういう人がたくさんいるということは知ってるのに、それがどういうことなのかをほんとうに知ることはないのだろう 「母さんは子供の頃、アメリカ軍のナパーム弾による空襲で学校が焼かれるのをバナナの森の中から目撃した。そして五歳のときから、二度と学校には行っていない。だから僕たちの母語は、実は全然“母親”ではないしむしろ、孤児だ。僕らのベトナム語はタイムカプセル。どこで教育が終わったか、灰になったかを記す標識だ。母さん、僕らが母語でしゃべるということは、ベトナム語をしゃべるというより、戦争を語るということなんだ。」 (p.42)