傷はそこにある

21件の記録
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年3月13日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書Ⅲに入り、引き続き大事な話が続く。以下は第13章。 “短い期間だが女子刑務所で働く体験を通してわかったのは、刑務所の中でどのように「処遇」の充実があったとしても、それが生活と切り離された場所と時間で行われる限り、限界を抱えざるを得ないということだ。”(199頁) “彼女たちが生活の中でぶつかる困難をないことにせずに、必要な手助けを求めてよいと感じてそれを表現するには、相手に対する信頼が前提になる。この信頼こそ、目に見えないだけでなく築くことの難しいものであり、構築するプロセスも一様ではないため言語化するのは容易ではない。しかし同時にそれなしには変化が進まないというのが現実だ。”(202頁) とりわけ第15章。以下の文章に息を呑む。 “当時も今も、彼女たちが症状というかたちで私に突きつけているのは、「この傷と共に、私は生きなくてはいけないのか」「この傷と共に生きることができるのか」、そういう問いなのだ。”(227頁) 242頁にある宮地尚子先生の『トラウマにふれる』からの引用も、久々に出合いハッとさせられるものがあった。ここに書いてあるような話を、数ヶ月前にある方としたのだった。再読する時間があるといいのだけれど...
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年3月12日まだ読んでるお風呂読書今日もⅡを読み進める。へとへとなので1章分だけ。とても難しい場面...。 “ここに、コードの一つにある「自己決定の重要性」という点で、「援助者発信の支援ニーズで、当事者は仕方なく承知」の構図が見える。犯罪に結びつくリスクがなければ、本人が間違う自由も大切にしたいと思いながら、そのように悠長な構えではいられない事情もあった。”(188頁) “受刑体験のある人の生活支援を続けていると、同じ困りごとが繰り返し出現する。私たちはその理由を検討していくのだが、本人はどこまでも「自分ごとではない」感じで、戸惑うことが多い。今回のSさんの再犯から、「なぜ窃盗なのか」という問いを、本人自身が「自分ごと」にするかかわりが十分ではなかったと痛感している。”(192頁)
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年3月11日まだ読んでるお風呂読書今日もⅡを読み進める。 “まさに私たちの仕事は、具体的な暮らしの細部に宿る〝安心〟を通して、彼女たちの関係性における親密さの認知を変えていくことだ。”(129頁) “[...]ケアをまったく拒絶しているのではなく再び支配や強制にさらされるのを怖がっていること、受け入れてもいいケアとそうでないケアを自分で決めていいなんて彼女たちは想像もできないことなどは、簡単にはわからない。/ケアとは、それを必要としているはずの人の目に、どんなものに映っているのだろう。”(135頁) 「第9章 ねじれる援助希求」にはとても大事なことが書いてあった。 “私たちがまず行うのは、本人から眠りについて聞き取ること、次に夜の状態を観察することだ。そして寝具やパジャマなど着衣に注意を向ける。夜の時間をどう過ごしていたのか、誰が一緒にいたかなどは、眠りがうまくいかない時々に聞くことでわかってくることが多い。[...]”(164頁) 「第11章 〝食べる〟というケア」のこの部分とかも信頼できる感じがした。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年3月9日読み始めたカフェ読書“もし斎藤が喝破したように「彼女たちが飲むには理由がある」なら、それが彼女たちの生き延びるすべなのだとすれば、それを止めることがもたらすものは何なのか。/[...]こうした出来事に繰り返し出会う中で、私の感覚的な認識は確信に近いものに変わった。/「シラフになってからのほうが、生きていることがつらくなる」”(33頁)