草枕

17件の記録
- 氷うさぎ@yomiyomi2025年7月2日再読中「強いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。」
- 氷うさぎ@yomiyomi2025年7月1日再読中久しぶりにAudibleで聞いた。1の部を。 他を指し示す記号としてではなく、言葉自身の物質性が前面に出てきているといった趣きである。いや、もっと正確に言うなら、物質性が前面に出っぱなしと言うわけではなくて、シラフに戻ったかのように言語が記号的に使用されたりする。多分この往復運動によるリズムがこの作品をユニークなものにしているのではないかな。比べると、例えば、古典和歌は決してシラフに戻ったりせず、あくまで言葉は言葉の世界に閉ざされていよう(『凍れる美学』という本に詳しいのではないか?昨日買ったので読み進めるのが楽しみだ)。 酔わせる言葉とシラフの言葉(signifiéとしての言葉とsignifiantとしての言葉、みたいにも言える?)が代わる代わる脳天に注ぎ込まれ、その往復運動に振り回される感覚が愉快過ぎる。 あと、ふと思ったのは、最後の主人公の絵の完成は、作品全体の中で見ると多分に倒錯的なものが含まれているのではないかということだ。文豪が批評に値しない締めをするわけがなかろうとも思った。AIに調べさせたら、やはりそれに類するような解釈がいろいろ出てきた。
- -ゞ-@bunkobonsuki2025年4月15日「純文学とは何か?」と人に聞かれたら、自分はまずこの本を差し出す。自分にとって草枕とは純文学そのものであり、草枕を読めば純文学とは何かが分かると思っている。 一人の画工が旅をして、旅先で女将やら坊さんと話をするというだけの平坦な物語に、漱石の文体と思想論が作品全体を彩っている。