岬
24件の記録
DN/HP@DN_HP2026年4月29日「中上における志賀の文体(「主語の意識的な省略、一節の短縮、文末「た」の過剰使用」)の急進は「浄徳寺ツアー」で完成を見」(諏訪哲史『偏愛蔵書室』)たという一編から、続く「その武器を持って書かれた」「文学史上空前の傑作」(同)という「岬」を読んだ。二回半くらい読んだ。 「地虫が鳴き始めていた。耳をそばだてるとかすかに聞こえる程だった。耳鳴りのようにも思えた。これから夜を通して、地虫は鳴きつづける。彼は、夜の、冷えた土のにおいを想った。」 冒頭の一節に提示されるその文体に感動した。たしかにこれは美しい。その文体を意識しはじめれば、そこから一気に読まされる。主人公の「彼」が思うように「やっかいな物一切を、そぎ落と」し状況、心情を置き去りにしていくように進んでいく文章。しかし、そこにあるのは、その文体、文章から覚えそうな疾走感やドライヴするような感覚ではなくて、落とされたものから漂う今にも破裂しそうな暴力の不穏な雰囲気、近親相姦を思わせるような性的兆しに覚える忌避感、それらを感じることで生まれる焦燥感。その焦燥感によって、まさに、読まされた、気がする。 これはこの文体でなかったら、途中で読めなくなったかもしれない。そんな雰囲気の小説。それでも繰り返し読んでしまう、読まされる。 そうやって読まされ、読み進めていけば、最後には解放や昇華がある、あって欲しい気もしてきてしまうけれど、この小説の終わりに「やっかいな物一切を、そぎ落と」そうとしてきた「彼」がついに起こす行動には、解放や昇華は全くないし、それを感じたくもない。まったくままならない話だ。 ままらならい人生は小説が描くべきものだ、そんなことも思っているけれど、こんな話はあまり読みたくない。それでも、すぐに二回目を読んでしまったのは、やはり文体の力、魅力だろうか、それを意識して読んでいるということもあるにせよ、これは文体を読み、文体に読まされる小説だ。と今の時点では言い切っておきたい。その意味ではたしかに傑作だった。 - これは「父親殺し」に至るまでの話だ。「父親」を殺すためには「息子」にならざるを得ない。その「父親」の「息子」であると認めなくてはならない。その「資格」を得るためには、憎み蔑んでいたその男の血を受け入れ、彼のいるところまで落ちなくてはならない。その過程を描いた話だ。 「彼」が自分に似ていると思い、ある種の理想としてみている路地に一本植えられている木がある。 「花も実もつけなかった。ただ日に向って葉を広げ、風にゆれていた。それでいいと思った。花も実もつけることなど要らない。名前もなくていい。」 それはまさに「やっかいな物一切を、そぎ落と」した状態、彼の理想のようにも思われるのだけれど、木はその場所を動くことが出来ない。彼も「のがれがたい血のしがらみに閉じ込められた」その土地を出ることが出来ない、あるいは出ようと思えない。ならば、その土地で理想を叶えるには、その土地の「支配者」然と振る舞う、「彼」を根源的なところで悩ませる「父親」を殺すしかない。しかし殺すためには、理想とは逆に落ちるしかないのだ。 これは寝起きで考えて書いているから、多少適当な話だ。 この短編の続編にあたる二つの長編は、内容説明を読んでみたら、「物語」化し過ぎているような気がしたから、今のところ未だ読まなくていい気がしている。だから、わたしの「秋幸三部作」は一旦これにて完、ということで。この短編はこの短編だけで、たしかに傑作だったし。

DN/HP@DN_HP2026年4月25日諏訪哲史さん曰く「中上における志賀の文体(「主語の意識的な省略、一節の短縮、文末「た」の過剰使用」)の急進は「浄徳寺ツアー」で完成を見」たという中上健次の短編を、少し読んでみるか、から一気に通読した。主人公である「彼」の思考もそれが染み出している行動もクズだし、こういうやつマジ無理とも思うのだけれど、それでも小説としては素晴らしいと思いながら読まされてしまった。というは文体の力だろうか。 この短編に限らず、中上健次の小説はあらすじや説明を読んで、かなりねっとりと粘度の高い感じを想像していたけれど思いの外さっぱりとしていて少し驚いた。これもやはり文体のなせる技だろうか、などと思うし、物語というよりも、状況と思索と行動だけがあるような小説にはこんな文体があっている、あるいはそんな文体で書くのはこんな小説になるのか、などとも思う。 この短編の次に収録されている「その文体をもって書かれた文学史上空円の傑作」という「岬」はまた次のタイミングで読んでみようと思う。






DN/HP@DN_HP2026年4月24日志賀直哉が確立させた「小説言語」、「主語の意識的な省略、一節の短縮、文末「た」の過剰使用。これらの特徴を異常な執念で急進させ、極度に凝縮させ、新しく昇華させたのが初期の中上健次の文体である。」という諏訪哲史『偏愛蔵書室』の中上健次「岬」の頁の文章意識しながらその後に引かれる↓の中上の小説の一文を読んでみれば、その凄さはたしかにわかるのだけど、「小説とはここまで書かねばならぬものなのか、と青褪める」という内容がキツそうで絶対に苦手だから、手に取ったはいいものの未だ読めてないのだった。 「この女、いまさら」と彼は、声を殺して言った。舌うちした。(略)「やめてえ」声は震えた。思いっきり、顔を殴りつけた。呻いた。力を抜いた。無抵抗になった。白くはっきりみえるパンティを取り去った。(「浄徳寺ツアー」)」
































