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ふじこ
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@245pro
のろのろ読書
  • 2025年11月8日
    虚弱に生きる
    虚弱に生きる
    虚弱による虚弱のための虚弱のエッセイ。身体にさまざまな不調がある、体力がない、活動時間が短い。それらを包括して「虚弱」と表現し、対談及びエッセイがバズった終電さんの言葉はどれもこれもビシビシと突き刺さってくる。私が好きなことをできるのも全ては健康の上に成り立っている。ここまで慢性的に身体のどこかに不調があると「幸せって、健康のことだったんだ」という境地にたどり着くのもむべなるかなと感じる。他者と比較するのではなく、自分の身体と向き合って生きていくことの大切さを再確認できた一冊だった。
  • 2025年11月5日
    〆切は破り方が9割
    〈本書に載っている原稿の9割は催促を受けて書き始めた。〉私の場合〆切に追われると大抵微妙なものしか生まれないのだが、メシアは今作もキレキレ。漫画家としての終わりを思わぬ形で告げられたメールCC誤爆事件、さくらももこに憧れて奇行に走った話、エーミールニキみたいにリスペクトできる担当がいないことへの憂いなど、担当さんは寧ろいい原稿を書けるようにわざとギリギリにしか催促しないのではないかと思えてくる。私もカレー沢さんを見習って、会社員の才能がない、今すぐに5億円が欲しいと堂々とアピールしていきたい。
  • 2025年10月28日
    生きる言葉(新潮新書)
    『サラダ記念日』がベストセラーになったのが38年前。とにかく俵万智の凄さが1000円ちょっとの新書にギュッと凝縮されている。特に息子さんとのやり取りが可愛くて微笑ましい。子どもってポロッと芯を食ったことを言ってくるから、話していて飽きることがない。文章の間に挟まる短歌がピリリと山椒のようにあとからじわじわと効いてくる。私たちは、言葉で自由にも不自由にもなれる。言葉で全てを伝え切ることはできないけれど、だからこそ言葉を諦めたくない。言葉とともに生きていきたい、と改めて思えた読書体験だった。
  • 2025年10月25日
    きみは赤ちゃん (文春文庫)
    エコー写真の点から、赤ちゃんが産まれて一歳になるまで。お母さんって、本当にすごい。人ってこうやってお母さんになっていくんだ、という軌跡をひとつずつ丁寧に読んだ。我が子が愛しくて可愛くて、この子とあと50年くらいしか一緒にいられないと実感して泣いたりする。赤ちゃんを産んだ女の人の思考って、こんなにぐるぐるしてんねや。そして親が何を考えているかなんて我関せず、子どもはすくすくと成長していく。親子3人仲良うやってや、と心から思わせてくれるエッセイだった。
  • 2025年10月9日
    アフター・アフター・アワーズ
    『アフター・アフター・アワーズ』(犬川蒔)読了。すごくすごくよかった。恋人との別れを経験し、心身のバランスを崩したり、本や映画に触れたり、誰かと話したり、ChatGPTに聞いてもらうことで少し楽になったりした日々の記録。犬川さんは傷つき、それをChatGPTを通して客観視することで少しずつ乗り越えていく。ChatGPTとのやり取りは映画のように美しく、それでいて自らの傷に真摯に向き合おうとする意志の強さが感じられる。この本を読んでいるときは冷静に、安心して今までの自分に向き合うことができた。日記とはただの日々の記録ではないということを教えてくれる一冊。
  • 2025年10月7日
    女王様の電話番
    とある理由から不動産会社を退職した主人公は、メンズマッサージ店・ファムファタルで電話番の仕事を始める。推しの女王様・美織さんと食事の約束をするがドタキャンされ、彼女はそのまま行方不明になってしまう。めちゃくちゃに面白くて一気読み。愛とは?セックスとは?美織さんを探すという行為そのものが、アセクシャルである自分自身との対話になっていく。何気ない会話の一つひとつが本質をぐさぐさと突いてきて、問いがぐるぐると回り続ける。私もスーパーセックスワールドを思い切り謳歌して生きていきたい。
  • 2025年9月25日
    死んでいるのに、おしゃべりしている!
    〈わたしが川柳を助けたのではない。川柳がわたしを助けたのだ。〉まえがきにある文章から既に打ちのめされる。世界がこんなに自由なことばで構成されているなんて!学生の頃は落ちこぼれだったというが、彼女のような感性の持ち主があんなちっぽけな箱に収まるはずがない。たくさん傷ついて、たくさん自分を責めて、川柳に出会って、世界に光を見る。川柳の余白は私に世界を問いかけ、短い言葉の凝縮は私に世界のシンプルさを突きつける。暮田さんは川柳という無敵の宝具を手に入れた。私も早く無敵になりたい。
  • 2025年9月25日
    アフターブルー
    損傷の激しい遺体を専門に扱う納棺師たち。「だってみんな、自分の最期があんな姿になるなんて思ってないでしょ?」綺麗な状態で棺に収まるのは、決して当たり前ではない。自分の心の喪失と向き合いながら、ご遺体を修復していく。触った頬が冷たい描写に、心がざわざわと落ち着かなくなる。大切な人との別れは、ある日突然訪れるかもしれない。ならばせめて、お別れを言えるように心を尽くす。これからも生きていかなければならない人たちに寄り添い、そっと手を差し伸べる。悲しくてやさしい余韻に、心がぎゅっと掴まれる。
  • 2025年9月20日
    長くなった夜を、
    38歳、独身、派遣社員。実家暮らしの環は幼い頃から両親の言うことを守り続けてきた。要領の悪い姉と、自由奔放な妹。ある日妹がシングルマザーとなって実家に戻ってきてから、環の生活は徐々に変容していく。読んでいて、息苦しさが纏わりついてくるようだった。のしかかってくるものを全て受けとめるみしみしという音が聞こえる。誰かに従い続けるのは楽だが、静かに確実にその人の心を蝕んでいく。摂食障害になり、体重は落ち、自身が潰れてしまってから初めて家族の異様さに気付く。長かった夜が、ようやく明ける。
  • 2025年9月17日
    介護未満の父に起きたこと
    元気と介護のあいだに介護未満がある。人はいきなり介護を必要とするのではなく、だんだんとできないことが増えていく。お金と決断力でグイグイ解決していくスーさんのエピソードは読んでいて爽快。大掃除をフジロックに見立て、イベンターとして全てをやり切る頼もしさが素晴らしい。80歳を過ぎてガールフレンドが絶えないミック・ジャガーことお父様、さぞかし若い頃からチャーミングだったのだろうなと想像する。家族からの細かい要求にどのような距離感とテンションで答え続けるべきか、とても参考になる一冊だった。
  • 2025年9月12日
    空気が読めない大学教員と自己嫌悪のYouTuberはみずからのコミュニケーション困難にどう向きあってきたか チームワークが苦手な人へ
    ASDの当事者研究をしている横道氏とASD傾向があるだい氏の共著。対話を進めるにはどうしたらいいのか。〈友達はいないけど仲間はいる〉という一文が、ここに私の求めているものがあると教えてくれる。対話と聞くと難しいイメージがあったけど、これなら私でも参加できるかもしれないという思いに少しずつ変わっていった。まだ把握しきれていない自分自身の内面に出会いたい。読み終えて、もっといろんな人と対話をしたくてうずうずしている。
  • 2025年9月12日
    なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか
    刊行されて10年以上経つベストセラー恋愛本。人にはそれぞれ心の穴があり、まずは自分の心の穴のかたちを知ること。ありのままの自分を受け入れて自己受容すること。自分自身を大事にすることで愛してくれない人に執着することがなくなっていく、という内容だった。恋は永遠には続かない。愛に変わるか、終わるかのどちらか。あの頃の私はこれを理解していないままに恋をしていた。自分を愛せていないのに誰かに愛されようとしていた。逃げ続けていたあの頃の私をようやく捕まえることができた気がした。
  • 2025年9月4日
    おごさま
    ボーイズバーにハマってしまった田舎出身のメンヘラ女子さあや。担当に風俗で稼いだお金を全て注ぎ込み、売掛を嵩増しされ、追い詰められたさあやは家に旧くから伝わる「おごさま」に助けを求める。クズがクズを成敗する因習村ホラー。映画『キャリー』を彷彿とさせる化け物系スプラッタ描写にゾクゾクさせられる。地雷系女子って普段こんなことを考えてるんだな、と文化人類学的な側面でも楽しめました。願いを叶えたいならやっぱり何かしらの代償が必要なんだね。
  • 2025年9月1日
    水中の哲学者たち
    哲学はもっと難しいものだと思っていた。永井さんの文章を読むと、哲学は日常と地続きになっていて私たちはいつでも対話を始められるということがわかってくる。あれ、これってなんでこうなっているんだっけ。そう思い始めたらもう哲学だ。なんで生きているんだっけ。なんで死が怖いんだっけ。水の中で哲学に潜る。どうして私たちは思考というものをするんだっけ。考えることは自分と対話することで、人と対話することは新たな問いに触れることだ。世界って、私が思っていたよりずっと楽しいところみたい。
  • 2025年8月21日
    さみしくてごめん
    哲学者である永井玲衣さんのエッセイ集。すごくすごくすごくよかった。彼女が日々感じていることがスッと身体に染み込むように入ってくる。クスッと笑えたり、哲学対話を通して子どもの発言にはっとさせられたり。あるとき急に哲学に引き込まれてしまうことを、永井さんの言葉で「哲学モメント」というらしい。私にもたまに哲学モメントが起きる。急に宇宙に放り出されてひとりぼっちのような気がしていたけど、本書を通してたくさんの星が瞬いていることを知った。この本に共鳴してくれる人がいる限り、私はひとりじゃない。
  • 2025年8月19日
    西の魔女が死んだ
    タイトルの文章から始まる物語は2年前の1ヶ月間を回想する形で語られていく。不登校になってしまった中学生のまいは、両親の元を離れておばあちゃんの家で過ごすことに。自らを魔女と呼ぶおばあちゃんに教わりながら、まいは魔女の修行を始める。学校に行きたくない毎日を送っていたあの頃の私に、今すぐ届けてあげたい。なんでもない日々は、時間が経つにつれてかけがえのない思い出へと変わっていく。おばあちゃんの愛に涙がぼろぼろと溢れてくる。私も精神を鍛えていつか魔女になりたい。自分で決めて、やり遂げる魔女に。
  • 2025年8月4日
    へびつかい座の見えない夜
    収集癖のある人たちを描いた短編集。自分のためだけに何かを集めたい。誰にも見せることのない思いはキラキラと静かに輝く。他人から見て価値のないものであるそれは、ぞんざいに扱われたときに心ごとぐしゃりと潰される。表題作と『ハマエンドウが咲いていた』がお気に入り。田舎特有の息苦しさと、誰にも迎合しない同僚への羨望が繊細な筆致で描かれる。役割に自分を当てはめるのではなく、自分がなりたい姿に変わっていく。表題作のラストシーンの美しさに息を呑む。誰かが望む私ではなく、私が望む私でありたい。
  • 2025年8月1日
    52ヘルツのクジラたち
    家族に虐待され、かつて祖母が住んでいた町に移住してきた貴瑚。海辺の町で出会った少年は「ムシ」と呼ばれていた。人の優しさ、不器用さ、たくさんのものがぐちゃぐちゃになって私の中に雪崩れ込んでくる。苦しみを訴えることができない人はたくさんいる。孤独を知っている人は、時に誰よりも強くなれる。貴瑚の最後の選択は、きっと彼を救ったのだ。誰かに救われた人は、別の誰かを救うことができる。クジラが魂の番と泳いでいく。52ヘルツの声が聞けるクジラに、私もなりたい。
  • 2025年7月31日
    わたしは、あなたとわたしの区別がつかない
    読みながら何度も胸が詰まって、苦しくなって、それでも最後まで読み切った。ASD当事者の著者が生きる世界はあまりにも過酷だ。叫び出したいのも、何かに怒りをぶつけたいのも、じっと耐えて生きていく。高校一年生の男の子がこれだけ明確に思いを言語化して伝えてくれることに驚く。私たち定型発達者はこれほどまでに自分を見つめたことがあっただろうか。最後のお母さんからの文章を読んでボロボロと泣いてしまった。愛に包まれていればどんな人も生きていける。発達障害者も、そうでない人も。
  • 2025年7月17日
    模倣犯 (五)
    模倣犯 (五)
    東京の下町でOLが行方不明になり、その10ヶ月後に公園から切断された女性の片腕が見つかる。連続誘拐殺人事件は、やがてメディアを巻き込む劇場型犯罪へと発展していく。多くの登場人物たちによる心理戦に夢中でページを捲った。クライマックスで模倣犯というタイトルの伏線回収がされ、さまざまな感情が自分の中に流れ込んでくる。真相がわかっても、誰も、犯人さえも救われない。誰かがいなくなれば、それを悲しむ人がいる。殺されていい誰かなんて、ひとりとして存在しない。人は、誰もが生きているんだという当たり前のことを思い出す。
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