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たご
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@clan_1967
  • 2026年1月10日
    津軽通信
    津軽通信
    『未帰還の友に』 戦後に発表された作品だからか、同じように戦地で亡くなった友人を語っていても、戦中に出された『散華』とはかなり雰囲気が異なる。きっと、言いたくても言えないことがたくさんあったのだろう。 「自分だけ生き残って、酒を飲んでいたって、ばからしい」 若い二人の関係を終わりにさせたのは、戦争と、そして自分かもしれない。語り合いたくても、悪かったと悔やみたくても、友人はいつまで経っても帰還しない。
  • 2025年12月29日
    神さまショッピング
    神さまを信じている人たちの物語かと思ったらちがった。特段信じているわけではないけれど、切実に祈りたい何か、叶えてほしい何かがあって神さまを信じようとしている人たちの話だった。 信じられるものがあること、信じること、そして祈ることで自分はきっと報われるのだと心から思えること。それが何よりの救いであり、そのためにこそ、神さまは存在しているのではないか。
  • 2025年12月26日
    苦役列車
    苦役列車
    どうしてうまくできないんだろう。いくら働いたって、お金は使えば無くなるのだし、無くなればまた働かなければいけない。働いて、二、三日分の食い扶持を得て、使って、また働いて。その繰り返し。せめて次の日の食費くらい貯めておけよと思ってしまうが、わかっていてもできないし、ときどきそんな自分を堪らなく思う感受性はもっていながら、けれどもその感情もいっときのもので、次の日にはどうでもよくなってしまうのだろう。虚しい。
  • 2025年12月18日
    人間失格
    人間失格
    最後のマダムの言葉は、どういう意味だろう。手記は子どもの頃の回想から始まっているが、決して子ども時代に書いたものではなく、酒と薬に溺れ「狂人」となった彼が、あの頃の自分のほんとうの思いは、と過去を振り返りながら告白したものである。周囲の人から見た彼と、手記に登場する彼との違いはそこにあるのではないか。つまり、手記を書いている彼にとっては、過去の自分すべてが、今の「人間失格」の自分に通じるような不潔で罪深いものであるように思われ、そしてそれは、本来の彼の過去とは必ずしも一致しない。彼がそのように思い込んだ原因には、マダムのいう葉蔵の父の強大さが何かしら関係している。 世間も、家族も、わからない。それと同じだけ、自分自身も、わからない。これはそういう告白だったのではないか。
  • 2025年12月13日
    平凡
    平凡
    人生は選択の連続である。重大な決意でなくても、たとえば朝ごはんを食べるかとか、何時に起きるかとか、そんなささいな選択によって、その先は大きく変わってしまう。そんな日々の選択の先に今の私があって、しかし過去の私が選んだもの以外のどれも、何回くり返したって、私は選びうるはずがない。岐路というものがあったとして、そこに戻れたとしたって、何度も何度も同じものを選ぶのだろう。 けれど、そうではない選択肢もたしかにあったのだと、今もあるのだと、思えることは、人生の救いでもある。
  • 2025年12月8日
    桜の森の満開の下・白痴 他十二篇
    白痴に向ける感情には、庇護欲というか所有欲というか甘えというか、およそ人間的だとはいえない環境で暮らす人のそれでも人間的なものが表れていると思うが、どうだろう。なんだかんだで彼女を炎から守っているのだし。そこには周囲の人に知られたくないという彼のエゴがあるのだが。 私には、安吾は難しい。。 目次を眺めたときの「風博士」の異質さ。
  • 2025年12月1日
    新樹の言葉
    太宰治は自分のことを語っているとみせて、実はたくみに創作を織り交ぜながら小説をつくっている作家だと思うが、この時期の作品はいつも以上に自分の思いを正直に語っている気がする。文学論が挟まることが多いからか。「春の盗賊」の口から唾を飛ばさんばかりの語りは、そのあまりの興奮ように滑稽でありながら、これが彼が見る社会の真実であり信念なのだろうと思わせる。
  • 2025年11月24日
    さがしもの
    さがしもの
    本を読むことは、娯楽と呼ばれうる数あるものごとのの中で、最も個人的で孤独な行為だと思う。その言葉の先にある光景は私にしか見えないし、そのときに抱く感情は私にしかわからない。 しかし本とは、そもそもは私ではない他人が書いたものである。そこに書かれている感情は、実は私のものではない。ほかの人の紡ぐ言葉に、ひそやかに耳を傾け、もしかしたら私が抱いたことのない感情を、叫びを、私のものとして発見する。 本を読むことは、最も個人的でありながら、最も他者を理解しようとする行為であるのかもしれない。
  • 2025年11月20日
    曾根崎心中 新装版
    曾根崎心中 新装版
    『国宝』を観たが、そういえば曾根崎についてはあらすじくらいしか知らなかったので。 橋の向こうに出られたのだから、どこか遠くで、2人でつましく暮らしていく道もあったろうが、美しいしいまま、死にたかったのだろう。最期に見たひとだまは、2人を導いてくれたのか、さらっていったのか。
  • 2025年11月16日
    私はあなたの記憶のなかに
    大好きな短編集。どうしようもない切なさと、やってやれないこともない現実のバランスがやっぱり角田さんはうまい。 結局のところ、私たちはひとりぼっちなのだ。たとえ恋人がいたって家族がいたって、明日もその人がいるとは限らない。そんな危ういもののうえに私たちは生きている。明日いなくなってしまうからといって、けれど今誰かとともにいることがまったく無駄かといえば、きっとそうではない。いつか、何年、何十年たったとき、ふっと思い出せる記憶があるということ。その中に、その人はあり続ける。今はそこにいなかったとしても。
  • 2025年11月9日
    ことり
    ことり
    人が忘れてしまったことりの言葉。わからないからといって意味がないわけではない。人生はその人だけのためのものであって、他人にわかる意味など、きっと、必要ない。私が美しいと思うものはきっと美しいのだし、大切だと思うものは間違いなく大切なのだ。けれどそれでも、誰かに共感を求めてしまう。
  • 2025年10月28日
    二十四の瞳
    総力戦が叫ばれ、国家のために死ぬことが名誉とされた時代。けれど、いったいだれが自らの夫を、子を、戦争で死なせて喜ぶだろう。 「名誉の戦死なんてしなさんな」 当たり前の願いさえ、そっとささやくことしかできなかった。本当は大きな声で叫びたかったのに。
  • 2025年10月20日
    ろまん燈籠
    戦争中に書かれた作品たち。 日に日に悪くなっていく時局に対し、太宰の語りはからりと明るい。 時代に迎合した文学が求められ、筆を折られる文学者も少なくなかった中、彼は書き続けた。 明るさ、の中でいうと、「散華」は少し異質かもしれない。大いなる戦争のために生命を落とした若者を讃えているようにも見えるけれど、未来ある詩人の若者を文学ではなく戦争のために殺されてしまったことへの憤りが感じられるような気もする。太宰の真意はどうであれ、あの時代に、そうとも受け取れるような作品を残した、そのことには変わりはないと思う。
  • 2025年10月6日
    夏の花
    夏の花
    原爆のきずと果てのない飢えに苦しみながら、それでも書き綴った。どうしてそこまでできたのだろう。
  • 2025年9月24日
    キャラメル工場から
    キャラメル工場から
    『虚偽』という作品が印象深い。 戦争へと吹き荒れる世論の中で、隠れ蓑を着たつもりで戦地に赴いた彼女。時局に迎合したつもりなど毛頭なかったのに、後の世からは、戦争協力だと罵られる。書いたのは純粋に、その地の兵隊たちに心が動かされたからであったのに。 けれども、世間に流されてはいなかったと、本当にいえるのか。虚偽を着て戦地に行ったと思っていたが、その心こそが虚偽ではなかったか。 静かに苦悶する文体が切ない。
  • 2025年9月15日
    幸福な遊戯
    幸福な遊戯
    角田さんのデビュー作。現実ではないどんちゃん騒ぎの遊戯の中に留まりたがる人と、いつか耐えきれなくなって抜け出したはずなのにそこにいる自分を夢想する人の話。未来はまだ遠く、可能性は無数にあるはずなのに、その魅力的な可能性のどれをも自分は選びうるはずがない。たとえ未来は未知のものであっても、今ここにいるのはよく知っている自分でしかないのだから。
  • 2025年9月9日
    三月の招待状
    三月の招待状
    かつての大学の同級生5人の、大学生のままの気分で生きていたら、(本人たちとしては至極真面目に)、気がつけば30代半ばのいい大人になっていて、気がついたからには今が変わるべきときなのか、でもどこを?どうやって?という話。 離婚パーティーとか失踪とかたぶらかされたとか、語られる日々はからっと滑稽で、それなのにときどき目の端に何か黒い影が過ぎるような、ふっとした怖さと切なさがある。 人は変われるなんて嘘っぱちで、いくら変わろうとあがいても、たどり着く先は結局は今の自分とほとんど変わらないのかもしれない。けれど、変わっても変わらなくても、とにかく人生は前には進むのだ。
  • 2025年8月28日
    野火/ハムレット日記
    人肉描写があるということだけは知っていたが、思っていたよりも語り手の心理描写が主でそこは意外だった。たとえ人は殺しても自分は食べてはいない、そのことだけが彼を生きながらえさせている唯一の救いだが、果たして本当に彼は食べなかったのか。 死はすぐ真横に、たしかに転がっているのに、一日、また一日と延期されていく。はじめは自然を眺め、生きるか自決するか、悩むだけあった余裕が、日が経つにつれ次第に失われ、狂気に堕ちていく様が恐ろしい。
  • 2025年8月21日
    太宰治
    太宰治
    井伏鱒二からみた太宰治とは。本人がどう思っていたのかはともかく、彼が周囲の人からどれほど愛されていたかがよくわかる。お調子者で、それなのに恥ずかしがり屋で、そしてなんだかおどおどしている。誰かに喜んでほしくて。それは結局は悲しいお道化なのかもしれないけれど、きっとそれだけではなかったろう。 お酒を飲んでいるときまって下駄を鳴らし、縁側から照れくさそうに「いやぁ」とやってくる。戻らない日々の回想は美しく、切ない。
  • 2025年8月11日
    明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子/斜陽日記
    太宰治の名作『斜陽』、その元となった『斜陽日記』と、娘が描いた父と母の記憶。人を愛したのかそれともその人の文学を愛したのか。けれど、どちらにしても同じことのような気もする。 太宰は男としても父親としてもどうしようもなく、そのどうしようもなさの被害を1番に被ったであろう著者は、父親を憎みながらも自分にお墨付きを与えてくれた彼を憎からず思う気持ちもあって、それが切ない。でも、たとえ全部がそうではなかったとしても、たしかにお互いに恋している瞬間もあったのだと、そう信じたいし、そうであろうと思う。だって、恋してなけりゃ、あんな手紙、書けっこないもの。
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