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たご
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@clan_1967
  • 2026年7月11日
    ひかりごけ
    ひかりごけ
    表題作は以前にも読んだので、『海肌の匂い』について。 万物は流転する、とは誰の言葉だったか。すべてのものは変わりゆく。変わらぬものなどない。漁で栄え、人々は支え合って暮らし、周囲からは理想的に見えていた村だって、魚が獲れなくなったら終わりだ。あとは滅亡を待つしかない。けれど、中で暮らす人々は、滅亡の匂いをかすかに感じながらも、たまたま漁がうまくいけば村をあげて喜び、不漁が続けば不安に襲われる。そんな一喜一憂を、静かに、ゆっくりと続けていく。つながったリボンの輪を回るように、ぐるぐると日々は続いていくのだろう。
  • 2026年6月29日
    永遠と横道世之介 下
    なんでもない毎日こそが幸せだった、なんて、かっこつけて言うことない。なんでもない日は、本当になんでもない日なのだから。けれど、十年後、二十年後、振り返ったとき、なんでもない日の中に埋もれていたはずのちょっと特別な日が、きらきらと輝きはじめることがある。明日には忘れてしまうような鈍い輝きかもしれないけれど、その輝きは、きっと消えることはない。その光に気づく日まで、リラックスして、やる気を出したり出さなかったりしながら、ゆるゆると生きてみたっていいじゃないか。
  • 2026年6月14日
    人生ベストテン
    日々の中で私たちは、何かに出会い、何かを得る。生きることとは、そうした日々の取るに足らない小さな一つひとつが、だんだんと積み重なっていくことなんじゃないかと思う。それと同時に、けれど失うものもあって、手に入れたと思ったものもいつの間にか指の間からするりと滑り落ちて、そうしてあるとき気づく。自分がなんにも持っていないことに。手に入れたなんてほんの一瞬で、本当は、自分の中にはなんにも無いのだということに。気づいて茫然とする。なんて自分は孤独であるのかと。
  • 2026年6月2日
    きりぎりす改版
    『日の出前』が衝撃的だった。 これではいけない、真っ当にならなければとわかっていながら、けれど振り上げた拳を下ろすタイミングをなくし、高く手を挙げながら、のしのし歩いている兄。その姿は、勇ましいというより哀しく滑稽だ。本当はもう降参だと手を挙げているのに。親不孝者の振りをしているうちに、いつしか本当に親不孝者になってしまった。いや、それが元々の性質だったのかもしれない。 妹はきっと、本当に兄のことが好きだった。信じたいと思っていた。だから、死んで幸せになったのは、兄を除く家族なのではなくて、兄を含めた家族のことを言っていたのかもしれない。
  • 2026年5月24日
    明日、あたらしい歌をうたう
    角田さんの作品にはブラックとホワイトがあると思うが、これはホワイトの方。 昨日も今日も同じような日が続いて、そうして明日も同じような日が来る気がする。今日色がない世界は明日もそのまんまだと思う。けれど本当は、今日と同じ日なんて来るはずがない。明日は、いつも新しいのだ。それは決して良い面だけではなくて、明日突然人生の穴ぼこに落ちるかもしれないけれど、それでも明日はいつも違う。明日何かに出会うか、出会わないか、それは誰にもわからない
  • 2026年5月21日
    森鴎外全集(1)
  • 2026年5月4日
    アメリカひじき・火垂るの墓
    テレビ放送があるたびに、清太さんとおばさんと悪いのはどちらか、という話題がもち上がるけれど、小説を読んだ人なら、清太さんが悪いなんて発想には到底至らないと思う。 焼け出されて、家も母も失った兄妹。何もかも失くしてかわいそうにという同情も、しかし最初だけで、いよいよ食糧が無くなってくるとかわいいのはやはり自分の身。居候同然の、しかも食べ盛りの子どもなんてうっとうしく思うのが自然だ。しかし自然だからといって、それが当然のことだと受け入れてはいけないと思う。人のもつ自然な非情さが表れるのが戦争なのだから、それをきっぱりと否定する世界であってほしい。
  • 2026年4月26日
    おやすみ、こわい夢を見ないように(新潮文庫)
    誰かをこき下ろすときの高揚感は、人前で何か自分の意見を発言する時の気の昂ぶりに似ている。もっと誰かに聞いてほしい、もっと印象的な言葉で、もっと人の心に残ることを。むくむくと湧き上がってくるその感情は、いつしか本人にも制御不能になっていく。それは激しい怒りに近い。ある日突然、なんのきっかけもなく、私たちを呑み込む。それでも私たちは生きていかなくてはならないのだ。自分の、あるいは誰かの悪意に呑み込まれたって、生きなければならないのだ。
  • 2026年4月15日
    自分以外全員他人
    読みながら、腹が立ってしょうがなかった。どうしてこの人は、自分だけが世界の汚さを恐れていると思うの。他の人が耐えられることに、自分は耐えられないのだと嘯くの。自分と同じように他人も複雑なのだと、どうして思わないのと。だけどこの人はきっと、本当はそのことに気付きながら、知らないふりをしているのだろう。それはきっと、世界の汚さを見つめることよりもずっと、恐ろしいことだから。「自分以外全員他人」で、その人が抱える複雑さなんてわかりっこないのだと、本当は、誰よりもそう思っているのに。
  • 2026年4月12日
    ちくま日本文学全集 42 武田泰淳
    極限の状況において、人を喰べるのは果たして悪なのか。「正当防衛」という言葉がある。その行動をとらなければ自らの命が危ういとき、普通なら悪ととれる行動をとったとしても、その人の行動は同情すべきものだとみなされる。では人肉喰いは?生きるためにはその人を喰べなければならなかったのだとしたら、それは悪なのだろうか。 では、「生きるため」とはなんだろう。誰かを喰べて生き延びた先にある自分の「生」には、どんな意味があるのだろう。死んだ人が生きるわけじゃないのに。 最後に船長が見た光景は、自分は同じ状況になっても人は喰べないとうそぶいたって、そうやって生きているすべての人は、過去のさまざまな人の犠牲に生きているということの顕れではないだろうか。
  • 2026年3月25日
    河童 他二篇
    河童 他二篇
    人間界とは違う河童の世界を、もっと理想的な桃源郷なように描いてもいいはずなのに、この世界はこの世界でいろいろと大変そうだ。ここにも男女の諍いがあり、主義があり、検閲があり、支配があり、死がある。けれど、河童たちは人と比べて、なんだかそれぞれに納得しているようにも見える。それが人との違いか。
  • 2026年3月19日
    ヴィヨンの妻改版
    『ヴィヨンの妻』 以前読んだときと印象が違う。前は、妻(さっちゃん)が「人非人でもいい」と言うのは大谷を励ましているのだろうと思っていたけれど、どうにもそうではなさそうだ。そんな優しいものじゃなく、妻はただ呆れているのだろう。自分は人非人ではないと泣く大谷の幼さと純粋さに。 穢れを含めて自分の人生だと受け入れることが強く生きることだと思うけれど、それはどこか、諦めにも似ている。
  • 2026年3月17日
    藪の中
    藪の中
    読書会の課題本。 『地獄変』の語り手の意図は、良秀を描くことよりもむしろ大殿の罪を語り直そうとしているように感じられるがどうなのだろう。芸術に狂い、娘を差し出すしかなかった良秀にはどこか同情的だが、大殿に対しては色に狂った人として、一見敬っているように見せかけながら冷ややかな目を向けていると思う。
  • 2026年3月8日
    笹の舟で海をわたる
    凄い。角田光代さんの最高傑作だと思う。 角田さんはよく、「こんなはずじゃなかった」を抱えた人々を描く。大きな不幸があるわけではないが、かつて思い描いていたような幸せとはどこかちがう場所にいる人たち。 人の人生を決めるのはなんだろう。自らの意志か、それとも時代か。人は時代とは無関係には生きられない。自分自身で選んだように思えるその選択肢は、その時代の自分にしか選び得ないものなのだから。選んだことの責任は、しかしその人が負うものだ。誰にも肩代わりしてもらうことなんかできない。それは不安だし、苦しい。あんな時代だったから、あの人が言ったから、そう思いたい。 私たちは海をわたる頼りなげな笹舟のように、大きな波に否応なく揺さぶられながら、ゆらりゆらりと、ただ流れていくしかない。不安げな顔でときどき周りを見回しながら、ふと、きれいな景色に気づいたりもする。たとえ次の瞬間には消えてしまう景色だとしても、その一瞬は決して不幸ではなかった。
  • 2026年2月28日
    方舟を燃やす
    方舟を燃やす
    悪意をもって言ったことが悪につながり、善意をもって言ったことがすべて善につながればどれだけいいか。信じる者が救われればどれほどいいか。しかし現実は、決してそうはなってくれない。正しいと信じたことが、人をおとしめてしまうこともある。悪も善もごちゃまぜでそこにあって、それでも、それが正しいのだと信じて、選んでいくしかない。
  • 2026年2月15日
    海と毒薬
    海と毒薬
    神を信じない者にとって、罰とは、世間からの罰、そして自らの良心からの罰しかない。しかし良心は所詮は自分の心にあるものだから、なんとも脆い。世間からの罰が与えられなかったとき、罪は簡単に無かったことにできてしまう。 事件に関わった人が感じる、理由のわからぬ疲労感や虚無感がせめてもの救いだろうか。本人は気づかぬままであっても、良心の呵責はあったのだと思いたい。
  • 2026年1月31日
    湖の女たち
    湖の女たち
    おぞましい。誰かを支配できる立場になったとき、どうして人はこんなにも残酷になれるのだろう。あるいはそれは、その人自身が何かに支配されているからなのかもしれない。 風が吹かなければ水面は揺れない。静かな湖の水面の下には、もしかすると何かおぞましいものが眠っているのかもしれない。けれど、それでも美しいものは美しいと、素直に信じられる日が来るといい。
  • 2026年1月24日
    パンドラの匣
    太宰の作品には珍しく、語り手は必要以上に自己を卑下することも、他人に気を遣いすぎることもなく、青年らしく雄弁で、自信家で、軽やかだ。ひばりはいかにも世間知らずの純情な青年でかわいらしい。竹さんやマア坊が好意を抱くのもよくわかる。 しかし後半の、越後獅子の「自由思想」のあたりからなんだかどこか投げやりな感じもする。語りたい世界と実際の戦後社会とのずれに苛立っていたのだろうか。
  • 2026年1月19日
    太宰治 弱さを演じるということ
    太宰治は私小説作家ではない。むしろ彼が上手いのは、あたかも自分(太宰)自身であるかのように信じ込ませる語り手のつかい方、そして虚構を真実たらしめる語り方である。そうであったはずなのに、いつしか虚構が虚構として機能せず、生活に追いつき喰い破ってきた。おそらくは戦争の終結とともに訪れた、価値の転換とともに。 太宰といえば破滅思想と思われがちで、たしかにそういえるところもあるのはたしかだが、それだけではないのかもしれない。またゆっくり読み返したい。
  • 2026年1月10日
    津軽通信
    津軽通信
    『未帰還の友に』 戦後に発表された作品だからか、同じように戦地で亡くなった友人を語っていても、戦中に出された『散華』とはかなり雰囲気が異なる。きっと、言いたくても言えないことがたくさんあったのだろう。 「自分だけ生き残って、酒を飲んでいたって、ばからしい」 若い二人の関係を終わりにさせたのは、戦争と、そして自分かもしれない。語り合いたくても、悪かったと悔やみたくても、友人はいつまで経っても帰還しない。
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