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たご
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@clan_1967
  • 2026年4月12日
    ちくま日本文学全集 42 武田泰淳
    極限の状況において、人を喰べるのは果たして悪なのか。「正当防衛」という言葉がある。その行動をとらなければ自らの命が危ういとき、普通なら悪ととれる行動をとったとしても、その人の行動は同情すべきものだとみなされる。では人肉喰いは?生きるためにはその人を喰べなければならなかったのだとしたら、それは悪なのだろうか。 では、「生きるため」とはなんだろう。誰かを喰べて生き延びた先にある自分の「生」には、どんな意味があるのだろう。死んだ人が生きるわけじゃないのに。 最後に船長が見た光景は、自分は同じ状況になっても人は喰べないとうそぶいたって、そうやって生きているすべての人は、過去のさまざまな人の犠牲に生きているということの顕れではないだろうか。
  • 2026年3月25日
    河童 他二篇
    河童 他二篇
    人間界とは違う河童の世界を、もっと理想的な桃源郷なように描いてもいいはずなのに、この世界はこの世界でいろいろと大変そうだ。ここにも男女の諍いがあり、主義があり、検閲があり、支配があり、死がある。けれど、河童たちは人と比べて、なんだかそれぞれに納得しているようにも見える。それが人との違いか。
  • 2026年3月19日
    ヴィヨンの妻改版
    『ヴィヨンの妻』 以前読んだときと印象が違う。前は、妻(さっちゃん)が「人非人でもいい」と言うのは大谷を励ましているのだろうと思っていたけれど、どうにもそうではなさそうだ。そんな優しいものじゃなく、妻はただ呆れているのだろう。自分は人非人ではないと泣く大谷の幼さと純粋さに。 穢れを含めて自分の人生だと受け入れることが強く生きることだと思うけれど、それはどこか、諦めにも似ている。
  • 2026年3月17日
    藪の中
    藪の中
    読書会の課題本。 『地獄変』の語り手の意図は、良秀を描くことよりもむしろ大殿の罪を語り直そうとしているように感じられるがどうなのだろう。芸術に狂い、娘を差し出すしかなかった良秀にはどこか同情的だが、大殿に対しては色に狂った人として、一見敬っているように見せかけながら冷ややかな目を向けていると思う。
  • 2026年3月8日
    笹の舟で海をわたる
    凄い。角田光代さんの最高傑作だと思う。 角田さんはよく、「こんなはずじゃなかった」を抱えた人々を描く。大きな不幸があるわけではないが、かつて思い描いていたような幸せとはどこかちがう場所にいる人たち。 人の人生を決めるのはなんだろう。自らの意志か、それとも時代か。人は時代とは無関係には生きられない。自分自身で選んだように思えるその選択肢は、その時代の自分にしか選び得ないものなのだから。選んだことの責任は、しかしその人が負うものだ。誰にも肩代わりしてもらうことなんかできない。それは不安だし、苦しい。あんな時代だったから、あの人が言ったから、そう思いたい。 私たちは海をわたる頼りなげな笹舟のように、大きな波に否応なく揺さぶられながら、ゆらりゆらりと、ただ流れていくしかない。不安げな顔でときどき周りを見回しながら、ふと、きれいな景色に気づいたりもする。たとえ次の瞬間には消えてしまう景色だとしても、その一瞬は決して不幸ではなかった。
  • 2026年2月28日
    方舟を燃やす
    方舟を燃やす
    悪意をもって言ったことが悪につながり、善意をもって言ったことがすべて善につながればどれだけいいか。信じる者が救われればどれほどいいか。しかし現実は、決してそうはなってくれない。正しいと信じたことが、人をおとしめてしまうこともある。悪も善もごちゃまぜでそこにあって、それでも、それが正しいのだと信じて、選んでいくしかない。
  • 2026年2月15日
    海と毒薬
    海と毒薬
    神を信じない者にとって、罰とは、世間からの罰、そして自らの良心からの罰しかない。しかし良心は所詮は自分の心にあるものだから、なんとも脆い。世間からの罰が与えられなかったとき、罪は簡単に無かったことにできてしまう。 事件に関わった人が感じる、理由のわからぬ疲労感や虚無感がせめてもの救いだろうか。本人は気づかぬままであっても、良心の呵責はあったのだと思いたい。
  • 2026年1月31日
    湖の女たち
    湖の女たち
    おぞましい。誰かを支配できる立場になったとき、どうして人はこんなにも残酷になれるのだろう。あるいはそれは、その人自身が何かに支配されているからなのかもしれない。 風が吹かなければ水面は揺れない。静かな湖の水面の下には、もしかすると何かおぞましいものが眠っているのかもしれない。けれど、それでも美しいものは美しいと、素直に信じられる日が来るといい。
  • 2026年1月24日
    パンドラの匣改版
    太宰の作品には珍しく、語り手は必要以上に自己を卑下することも、他人に気を遣いすぎることもなく、青年らしく雄弁で、自信家で、軽やかだ。ひばりはいかにも世間知らずの純情な青年でかわいらしい。竹さんやマア坊が好意を抱くのもよくわかる。 しかし後半の、越後獅子の「自由思想」のあたりからなんだかどこか投げやりな感じもする。語りたい世界と実際の戦後社会とのずれに苛立っていたのだろうか。
  • 2026年1月19日
    太宰治 弱さを演じるということ
    太宰治は私小説作家ではない。むしろ彼が上手いのは、あたかも自分(太宰)自身であるかのように信じ込ませる語り手のつかい方、そして虚構を真実たらしめる語り方である。そうであったはずなのに、いつしか虚構が虚構として機能せず、生活に追いつき喰い破ってきた。おそらくは戦争の終結とともに訪れた、価値の転換とともに。 太宰といえば破滅思想と思われがちで、たしかにそういえるところもあるのはたしかだが、それだけではないのかもしれない。またゆっくり読み返したい。
  • 2026年1月10日
    津軽通信
    津軽通信
    『未帰還の友に』 戦後に発表された作品だからか、同じように戦地で亡くなった友人を語っていても、戦中に出された『散華』とはかなり雰囲気が異なる。きっと、言いたくても言えないことがたくさんあったのだろう。 「自分だけ生き残って、酒を飲んでいたって、ばからしい」 若い二人の関係を終わりにさせたのは、戦争と、そして自分かもしれない。語り合いたくても、悪かったと悔やみたくても、友人はいつまで経っても帰還しない。
  • 2025年12月29日
    神さまショッピング
    神さまを信じている人たちの物語かと思ったらちがった。特段信じているわけではないけれど、切実に祈りたい何か、叶えてほしい何かがあって神さまを信じようとしている人たちの話だった。 信じられるものがあること、信じること、そして祈ることで自分はきっと報われるのだと心から思えること。それが何よりの救いであり、そのためにこそ、神さまは存在しているのではないか。
  • 2025年12月26日
    苦役列車
    苦役列車
    どうしてうまくできないんだろう。いくら働いたって、お金は使えば無くなるのだし、無くなればまた働かなければいけない。働いて、二、三日分の食い扶持を得て、使って、また働いて。その繰り返し。せめて次の日の食費くらい貯めておけよと思ってしまうが、わかっていてもできないし、ときどきそんな自分を堪らなく思う感受性はもっていながら、けれどもその感情もいっときのもので、次の日にはどうでもよくなってしまうのだろう。虚しい。
  • 2025年12月18日
    人間失格
    人間失格
    最後のマダムの言葉は、どういう意味だろう。手記は子どもの頃の回想から始まっているが、決して子ども時代に書いたものではなく、酒と薬に溺れ「狂人」となった彼が、あの頃の自分のほんとうの思いは、と過去を振り返りながら告白したものである。周囲の人から見た彼と、手記に登場する彼との違いはそこにあるのではないか。つまり、手記を書いている彼にとっては、過去の自分すべてが、今の「人間失格」の自分に通じるような不潔で罪深いものであるように思われ、そしてそれは、本来の彼の過去とは必ずしも一致しない。彼がそのように思い込んだ原因には、マダムのいう葉蔵の父の強大さが何かしら関係している。 世間も、家族も、わからない。それと同じだけ、自分自身も、わからない。これはそういう告白だったのではないか。
  • 2025年12月13日
    平凡
    平凡
    人生は選択の連続である。重大な決意でなくても、たとえば朝ごはんを食べるかとか、何時に起きるかとか、そんなささいな選択によって、その先は大きく変わってしまう。そんな日々の選択の先に今の私があって、しかし過去の私が選んだもの以外のどれも、何回くり返したって、私は選びうるはずがない。岐路というものがあったとして、そこに戻れたとしたって、何度も何度も同じものを選ぶのだろう。 けれど、そうではない選択肢もたしかにあったのだと、今もあるのだと、思えることは、人生の救いでもある。
  • 2025年12月8日
    桜の森の満開の下・白痴 他十二篇
    白痴に向ける感情には、庇護欲というか所有欲というか甘えというか、およそ人間的だとはいえない環境で暮らす人のそれでも人間的なものが表れていると思うが、どうだろう。なんだかんだで彼女を炎から守っているのだし。そこには周囲の人に知られたくないという彼のエゴがあるのだが。 私には、安吾は難しい。。 目次を眺めたときの「風博士」の異質さ。
  • 2025年12月1日
    新樹の言葉
    太宰治は自分のことを語っているとみせて、実はたくみに創作を織り交ぜながら小説をつくっている作家だと思うが、この時期の作品はいつも以上に自分の思いを正直に語っている気がする。文学論が挟まることが多いからか。「春の盗賊」の口から唾を飛ばさんばかりの語りは、そのあまりの興奮ように滑稽でありながら、これが彼が見る社会の真実であり信念なのだろうと思わせる。
  • 2025年11月24日
    さがしもの
    さがしもの
    本を読むことは、娯楽と呼ばれうる数あるものごとのの中で、最も個人的で孤独な行為だと思う。その言葉の先にある光景は私にしか見えないし、そのときに抱く感情は私にしかわからない。 しかし本とは、そもそもは私ではない他人が書いたものである。そこに書かれている感情は、実は私のものではない。ほかの人の紡ぐ言葉に、ひそやかに耳を傾け、もしかしたら私が抱いたことのない感情を、叫びを、私のものとして発見する。 本を読むことは、最も個人的でありながら、最も他者を理解しようとする行為であるのかもしれない。
  • 2025年11月20日
    曾根崎心中 新装版
    曾根崎心中 新装版
    『国宝』を観たが、そういえば曾根崎についてはあらすじくらいしか知らなかったので。 橋の向こうに出られたのだから、どこか遠くで、2人でつましく暮らしていく道もあったろうが、美しいしいまま、死にたかったのだろう。最期に見たひとだまは、2人を導いてくれたのか、さらっていったのか。
  • 2025年11月16日
    私はあなたの記憶のなかに
    大好きな短編集。どうしようもない切なさと、やってやれないこともない現実のバランスがやっぱり角田さんはうまい。 結局のところ、私たちはひとりぼっちなのだ。たとえ恋人がいたって家族がいたって、明日もその人がいるとは限らない。そんな危ういもののうえに私たちは生きている。明日いなくなってしまうからといって、けれど今誰かとともにいることがまったく無駄かといえば、きっとそうではない。いつか、何年、何十年たったとき、ふっと思い出せる記憶があるということ。その中に、その人はあり続ける。今はそこにいなかったとしても。
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