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たご
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@clan_1967
  • 2026年10月9日
    ちくま日本文学(035)
    オダサクは語りがべらぼうにうまい。台詞と地の文がシームレスで、登場人物が話しているかと思ったら、いつのまにか語り手に視点が移っていたりする。それでいて、全くストレスがない。 特に印象的だったのは『競馬』。狂ったように「一」に賭け続ける男の物語が静かに紡がれる。亡くなった妻への愛情なのか、嫉妬なのか、執着なのか、それとも憎しみなのか。きっと自分でも訳のわからぬ思いを抱えて、男は賭け続ける。勝ったところで妻が生き返るわけでもなし、ましてや、彼女がどういう人だったのかなんてわかるはずもないのに。
  • 2026年9月23日
    回想の太宰治
    回想の太宰治
    文学に生き、そして死んだ天才。そう言うと聞こえはいいけれど、その男の妻となれば果たして苦労はいかほどか。 ひどく吝嗇で家財道具も買ってくれない、税金の支払いに窮してメソメソ泣く、自分以外の作家が褒められるのが嫌で、妻が集めた本も掛け軸も人にやってしまう。とんでもない人だ。彼は、けれどそういう人なのだ。太宰の死後、書き損じの原稿をそっとりんご箱から剥がす美知子さんの姿が思い浮かぶ。懐かしい筆跡にふっと微笑む姿が。
  • 2026年9月8日
    二十世紀旗手
    太宰治はすごい。この時期の太宰はパピナール中毒で錯乱状態にあったと言われているが、それにしたってこんな文章書けないだろう。 見捨てられた男の叫び、慟哭を全篇に響かせながら、途中から明らかに変わる文体、主語を極端に排して日本語の文法から逸脱した語りを駆使し、先を読ませていく。 -タンポポの花一輪の信頼が欲しくて、チサの葉いちまいのなぐさめが欲しくて、一生を棒に振った。 なんて悲しい文だろう。
  • 2026年8月26日
    マザコン (集英社文庫)
    母ってなんだろう。ここに登場する母たちは、みなどこか自分勝手で、頼りなくて、「母」という言葉のもつある種神々しいイメージは感じられない。当たり前だ。母だってひとりの人間なのだから。機嫌の悪いときもあれば、泣きたいときだってあるし、意味もなく何かに当たりたくなるときだってあるだろう。けれど、そんな母らしくない母の姿を見ると、私たちは戸惑う。なんともいえず苛立ちを覚える。目を背けたくなる。いつか、受け入れられるときなどくるのだろうか。
  • 2026年8月18日
    戦争童話集改版
    「昭和二十年、八月十五日」から始まる童話集。 八月十五日は「終戦記念日」ということになっているけれど、戦争は、決してこの日に終わったわけじゃない。その前からずっと続く、日々の連なりの中にその日はあって、戦争はもう終わったんだよ、平和になったんだよと、現代を生きる私の身勝手な叫びも空しく、童話の中の人たちは飢え、死んでいく。 「終戦記念日」と碑の建てられたその日は、ただ、ぽつんと佇んでいる。
  • 2026年8月8日
    太宰治との七年間
    堤重久は太宰のお弟子さん。子どものような太宰と、それをひょうひょうといなす堤とのやりとりがユーモラスでおもしろい。堤から見て、太宰はちょっと困った人だ。興味を引くことがあったら観劇の途中でも話し出すし、自分が「こう」と思ったら否定したって決めつけるし、大酒を飲んでぐうぐう寝ていたりもする。けれど、小説に対しては妥協がなく、間違いなく天才である。堤の言葉の端々には、そんな師匠への揺るがぬ尊敬と愛情、そして切なさが漂っていた。
  • 2026年7月29日
    帰郷
    帰郷
    降伏したからって、戦争は終わりじゃない。日々は以前のようには戻らない。失ったものは失ったまんまだし、あったことはなかったことにはならない。それどころか、これからもっと、何かを失うのかもしれない。生き残った人々にとって、人生はそれから先もずっと続くのだ。 誇り高く生きるとはなんだろう。家族のため、恋人のため、死んでいった戦友たちのため。何かを守りたくて必死に生きた生き様は、きっと否定されるべきじゃない。
  • 2026年7月26日
    昭和の遺書
    昭和の遺書
    言葉を紡ぐということは、自分宛であれ他人宛であれ、誰かに伝えたいことがあるということだ。遺書ならばなおさら、これが最期の言葉になると思って、自分が本当に伝えたい思いを紡ごうとするだろう。それは、大切な人への感謝だったり、苦しめられた相手への呪詛だったり、はたまた虚勢の言葉だったり。意図していてもしていなくても、紡がれた言葉たちにはその人そのものが立ち現れる。 激動の時代とはよく言うが、そこには戦争があり、敗戦があり、高度経済成長があり、安保があり、喜びも悲しみも、希望も絶望も、すべてがあった。これだけ人の心と時代性、そして国が結びついていた時代はないと思う。
  • 2026年7月17日
    くまちゃん
    くまちゃん
    人を好きになるってどういうことだろう。好きでたまらなくて、ずっと一緒にいたいと思っていたはずの人が、いつのまにか他人になってしまうのはなぜだろう。 この本の中の登場人物はみな、どこか必死になって誰かを好きになろうとしているような気がする。大好きな人がいて、その人に好かれる自分でになりたくて、懸命に自分を演出する。行動もする。それはどこか、なりたい自分の理想の姿を追いかけることにも似ている。
  • 2026年7月11日
    ひかりごけ
    ひかりごけ
    表題作は以前にも読んだので、『海肌の匂い』について。 万物は流転する、とは誰の言葉だったか。すべてのものは変わりゆく。変わらぬものなどない。漁で栄え、人々は支え合って暮らし、周囲からは理想的に見えていた村だって、魚が獲れなくなったら終わりだ。あとは滅亡を待つしかない。けれど、中で暮らす人々は、滅亡の匂いをかすかに感じながらも、たまたま漁がうまくいけば村をあげて喜び、不漁が続けば不安に襲われる。そんな一喜一憂を、静かに、ゆっくりと続けていく。つながったリボンの輪を回るように、ぐるぐると日々は続いていくのだろう。
  • 2026年6月29日
    永遠と横道世之介 下
    なんでもない毎日こそが幸せだった、なんて、かっこつけて言うことない。なんでもない日は、本当になんでもない日なのだから。けれど、十年後、二十年後、振り返ったとき、なんでもない日の中に埋もれていたはずのちょっと特別な日が、きらきらと輝きはじめることがある。明日には忘れてしまうような鈍い輝きかもしれないけれど、その輝きは、きっと消えることはない。その光に気づく日まで、リラックスして、やる気を出したり出さなかったりしながら、ゆるゆると生きてみたっていいじゃないか。
  • 2026年6月14日
    人生ベストテン
    日々の中で私たちは、何かに出会い、何かを得る。生きることとは、そうした日々の取るに足らない小さな一つひとつが、だんだんと積み重なっていくことなんじゃないかと思う。それと同時に、けれど失うものもあって、手に入れたと思ったものもいつの間にか指の間からするりと滑り落ちて、そうしてあるとき気づく。自分がなんにも持っていないことに。手に入れたなんてほんの一瞬で、本当は、自分の中にはなんにも無いのだということに。気づいて茫然とする。なんて自分は孤独であるのかと。
  • 2026年6月2日
    きりぎりす改版
    『日の出前』が衝撃的だった。 これではいけない、真っ当にならなければとわかっていながら、けれど振り上げた拳を下ろすタイミングをなくし、高く手を挙げながら、のしのし歩いている兄。その姿は、勇ましいというより哀しく滑稽だ。本当はもう降参だと手を挙げているのに。親不孝者の振りをしているうちに、いつしか本当に親不孝者になってしまった。いや、それが元々の性質だったのかもしれない。 妹はきっと、本当に兄のことが好きだった。信じたいと思っていた。だから、死んで幸せになったのは、兄を除く家族なのではなくて、兄を含めた家族のことを言っていたのかもしれない。
  • 2026年5月24日
    明日、あたらしい歌をうたう
    角田さんの作品にはブラックとホワイトがあると思うが、これはホワイトの方。 昨日も今日も同じような日が続いて、そうして明日も同じような日が来る気がする。今日色がない世界は明日もそのまんまだと思う。けれど本当は、今日と同じ日なんて来るはずがない。明日は、いつも新しいのだ。それは決して良い面だけではなくて、明日突然人生の穴ぼこに落ちるかもしれないけれど、それでも明日はいつも違う。明日何かに出会うか、出会わないか、それは誰にもわからない
  • 2026年5月21日
    森鴎外全集(1)
  • 2026年5月4日
    アメリカひじき・火垂るの墓
    テレビ放送があるたびに、清太さんとおばさんと悪いのはどちらか、という話題がもち上がるけれど、小説を読んだ人なら、清太さんが悪いなんて発想には到底至らないと思う。 焼け出されて、家も母も失った兄妹。何もかも失くしてかわいそうにという同情も、しかし最初だけで、いよいよ食糧が無くなってくるとかわいいのはやはり自分の身。居候同然の、しかも食べ盛りの子どもなんてうっとうしく思うのが自然だ。しかし自然だからといって、それが当然のことだと受け入れてはいけないと思う。人のもつ自然な非情さが表れるのが戦争なのだから、それをきっぱりと否定する世界であってほしい。
  • 2026年4月26日
    おやすみ、こわい夢を見ないように(新潮文庫)
    誰かをこき下ろすときの高揚感は、人前で何か自分の意見を発言する時の気の昂ぶりに似ている。もっと誰かに聞いてほしい、もっと印象的な言葉で、もっと人の心に残ることを。むくむくと湧き上がってくるその感情は、いつしか本人にも制御不能になっていく。それは激しい怒りに近い。ある日突然、なんのきっかけもなく、私たちを呑み込む。それでも私たちは生きていかなくてはならないのだ。自分の、あるいは誰かの悪意に呑み込まれたって、生きなければならないのだ。
  • 2026年4月15日
    自分以外全員他人
    読みながら、腹が立ってしょうがなかった。どうしてこの人は、自分だけが世界の汚さを恐れていると思うの。他の人が耐えられることに、自分は耐えられないのだと嘯くの。自分と同じように他人も複雑なのだと、どうして思わないのと。だけどこの人はきっと、本当はそのことに気付きながら、知らないふりをしているのだろう。それはきっと、世界の汚さを見つめることよりもずっと、恐ろしいことだから。「自分以外全員他人」で、その人が抱える複雑さなんてわかりっこないのだと、本当は、誰よりもそう思っているのに。
  • 2026年4月12日
    ちくま日本文学全集 42 武田泰淳
    極限の状況において、人を喰べるのは果たして悪なのか。「正当防衛」という言葉がある。その行動をとらなければ自らの命が危ういとき、普通なら悪ととれる行動をとったとしても、その人の行動は同情すべきものだとみなされる。では人肉喰いは?生きるためにはその人を喰べなければならなかったのだとしたら、それは悪なのだろうか。 では、「生きるため」とはなんだろう。誰かを喰べて生き延びた先にある自分の「生」には、どんな意味があるのだろう。死んだ人が生きるわけじゃないのに。 最後に船長が見た光景は、自分は同じ状況になっても人は喰べないとうそぶいたって、そうやって生きているすべての人は、過去のさまざまな人の犠牲に生きているということの顕れではないだろうか。
  • 2026年3月25日
    河童 他二篇
    河童 他二篇
    人間界とは違う河童の世界を、もっと理想的な桃源郷なように描いてもいいはずなのに、この世界はこの世界でいろいろと大変そうだ。ここにも男女の諍いがあり、主義があり、検閲があり、支配があり、死がある。けれど、河童たちは人と比べて、なんだかそれぞれに納得しているようにも見える。それが人との違いか。
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