遠景
@gegegegebebebebe
元気です
- 2026年9月27日
帳の向こう國分功一郎,若林正恭読み終わった「この夕日を見ている時間は何の時間なんだ、って。お笑いでも「これ何の時間」とか「時間返せ」っていうツッコミがある時から増えたんです。時間の浪費がボケになる時代になった。」p.121 時間の浪費がボケになる。有限な時間をどうして有効活用しないんだ、というツッコミの奥に潜む前提は社会の要請ではないか。倫理的な問題を矮小化するなと言われてしまうかもしれないが、SNSの炎上もボケに対してツッコミが入り続けている状態のようにすら思える。ツッコミ過剰社会。どこかで精神分析の専門家が「今、SNSには無意識が書き込まれている」と言うのを聞いたことがあるが、「べき」「ねばならない」という超自我があまりに強すぎるのかもしれない。 - 2026年9月23日
友達じゃないかもしれないひらりさ,上坂あゆ美読み終わった火の玉交換ノート。上坂さんのひとつ目のノートがものすごくて、連載当時読んでいてかなり驚いたことを覚えている。こんなに違う2人ががっぷり四つで組んで冷静に言葉を交わし合うなんて、かなり難しい気がするし、それこそこの2人でしかできないだろうなぁ。2人の距離が近づくにつれて、相手を傷つけないようにしようという配慮がほどよくなくなってきて、たぶんそれは信頼だったけれど、私のなかのセンサーは「この言い方大丈夫かな?」と冷や冷やする場面もいくつかあった。私のなかの京都が言葉の裏の意味を勝手に付け足してしまうのが嫌だな。2人が自分の課題をおもむろに語り合うのに感化されてか、自分の悪いところも見えてきた。いい読書体験だった。 - 2026年9月23日
プールサイド小景・静物庄野潤三読んでる - 2026年9月20日
冷ややかな悪魔石田夏穂借りてきた読み終わった - 2026年9月20日
黄金比の縁石田夏穂借りてきた読み終わった初めて読む石田夏穂さんの小説。朝井さんが大学生に勧めていたのも納得の内容。シニカルな視点とユーモラスな文章。 ひとがひとを判断する基準について考えた。主人公が用いている「顔の黄金比」という指標はとても分析的でデジタル(0か1か)で、ひとつひとつの判断に時間の制約がある仕事に適したものだった。そういう分析的な判断基準は生活にも侵入してきているように思うが、果たしてそれでいいのか。ひとを判断する基準が分析的になるということは、限られた価値基準を採用する、つまり価値観が貧しくなるということではないのか。そういう気がして、ひとをできるだけ判断したくない、するとしても総合的な、なんとなくの判断であるほうがいいと思ってしまう。なので「判断基準の言語化(=分析化)」を警戒する気持ちがある。言葉にすることはたとえ仮固定的なものだとしても形を与えることであり、未分化なままでよいものを無理やり鋳型に押し込めることにもなりかねない。 - 2026年9月19日
新しい恋愛高瀬隼子読んでる - 2026年9月16日
せいいっぱいの悪口堀静香読み終わった「ほんとうは、世界はもっと、複雑であってほしいと思う。平和であれ、と願う、そういう世界の一番大きなところはもっとずっと、単純でいい。いつか、もしそういうことを、もうだれも願わなくていいような世界が訪れるなら、わたしはもっと、世界の細部が複雑であることを所望したい。何度でも、飽きずに知らない路地裏を見つけて喜びたい。とんでもなくカラフルな毛虫を見て、ギョッとしたい。寂れた公園にある、変な遊具。知らない街路樹の名前。指さして、名前を確認して、ゆっくり歩く。自転車でも一輪車でもいい。笑ったまま大きく口を開いて、ほらここ、歯が欠けてる、もうずっとそのままにしてるんだと言って、そのことをだれかと分け合いたい。それがだれであるかは、さして問題ではない。日々のつまらなさに呆れて、すべては知っていることの繰り返しで、だからこの目の前の躑躅の色を、覚えていたい。落ちている花弁の数と、ここにあったはずの前髪を散らすほどのささやかな風。だれも話してくれないなら、わたしがだれかに話したい。急いでここまで漕いできたから、スーツのジャケットが暑い。弁当箱が空になった分、リュックは朝より軽い。信号が青になった。」堀静香『せいいっぱいの悪口』pp.195-196 一番好きだった部分。一部分を切り取ると堀さんのエッセイのよさが目減りしてしまう気もするので全部まるっと読んでほしい。エッセイ全体に散りばめられたばらばらの要素が、文章のなかで縒り上げられ、同じ向きに揃えられ、今の目の前の現実に収斂していく。堀さんの文章は、どこかで小さく時間を約めるようなところがあって、キュッと世界が摘ままれてところどころクリップだらけな感じがする。もっと堀さんの文章を読んでみたい。まだ読んでいないエッセイ集があるというのも嬉しくて、歌集も買いたいと思っている。 - 2026年9月12日
いい子のあくび高瀬隼子読み終わった「わたしは、わたしが悪い時でも、わたしは悪くないって主張する。だって割に合わせただけだから。いいとか悪いとかじゃないから。わたしはわたしのぶんだけしかやりたくないから。全部背負っていくのは嫌だから。嫌だけどでも、やっぱり悪いことをしたって思ってる部分はあって、だけどそれは誰にも言えない。わたしが悪かったって認めたら、それは、わたしが割に合わないことを受け入れて生きていかなきゃいけないってことになる。顔をあげて前を向いて歩いている人ばかりが、先に気付く人ばかりが、人のぶんまでよけてあげ続けなきゃいけないってことになる。おれはそうするよ、ってきっと大地は言う。そうだろうね、大地。大地はきっとそうする。直線を譲らないことが、まっすぐに歩くことではないと分かっているから。」高瀬隼子『いい子のあくび』p.133 自分自身を俯瞰することができる「いい子」の割り切れなさが痛いほどわかる。正しくありたいと思う人が、正しさを気にしない人に比べて払うコストが大きすぎる世界。たぶんそのことについて何を言っても「正しくありたいと思うことだって人それぞれ」「正しくなくていいと思うことも多様性」みたいな、正当化できたのかできてないのかわからない理屈で反論され、正しさは「思想の強さ」として揶揄され、他人に期待しないことが重要という諦念に満ちたアンガーマネジメントだけが自分を守る術になってしまう。「直線を譲らないことが、まっすぐに歩くことではない」という素朴でお人好しとも言える感覚に、今の自分はもう一度立ち返ることはできるんだろうか、と思った。
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