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こたつ
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@pgrpgar
文化の重み!(辞書で殴りつける)
  • 2026年8月25日
    コンビニ人間
    コンビニ人間
    気になるなぁ、と思っていたが、図書館の予約状況は常に4〜5人待ちだった。 それが先日図書館に行ってみたら、書棚に二冊並んで置いてあった。運が良い。さっそく貸し出しカウンターに持って行った。 普通ってなんだろう。 別に30代で未婚だろうがアルバイトだろうが、本人がその必要性を感じていないならば周囲が意見するような話ではないのだろうが、我々はそういうステレオタイプな普通の人生からの距離を測ってあれこれ評価する。 主人公は、自分が普通から外れていることを自覚している。なので、周囲の人の要素を取り入れて、外向きには普通に近づけていく。 私とは逆だなあ、と思った。 外見にはいわゆるまあまあ普通な生活をしていると自認しているが、その割には内心で、今日の服装が浮いていないかとか、変なやつだと思われてないかとか、疑心暗鬼になって空想上の「普通」の影を追っている。 そういうことに気づく本。
  • 2026年8月21日
    時間の比較社会学
    頭上にたくさんのクエスチョンマークを並べつつ、生成AIにも助けてもらいながら読了。 鷲田清一が著作内で繰り返している「プロジェクトとかプロセスとか、現代には先を表す接頭辞"pro-"が溢れている」って主張ともつながる話だった。我々は「どうせ最後は死ぬのにな」と思いながら、何かと先のことばかり心配して生きているなと反省。 しかし時間感覚にしても経済・労働観にしても、近代思想に対するカルヴァンの予定説の残したインパクトが大きすぎるだろ……。自己と神を直接繋いだ結果、自己のリアルな拠り所が失われて、結果的に人間を孤独にしてしまってるのはなんとも皮肉だなあ。 真木祐介の言うとおり、この辺の近代西洋的な思想ではないものに目を向けていかないと(意味の更新をしていかないと)、こと篤い信仰心を持つでもない我々は死に向かうだけの空虚な未来に投資し続けることになってしまうのだ……。 うつ病になると季節の変わり目がわからなくなるって話も思い出した。そりゃ現代人は病むよな。。
  • 2026年8月11日
    夏への扉〔新版〕
    夏への扉〔新版〕
    驚くべきことにこの本はバック・トゥ・ザ・フューチャーの約30年前に発表されているのだ…… 時間を行き来することによる伏線回収という意味で、今のタイムトラベルものはこの作品を換骨奪胎してしたものなのだなあと思った。音楽シーンで例えるなら、ビートルズとかマイケル・ジャクソン的な位置付けの作品になるのだろうか。 SFだけど小難しい論理は出てこない(その分ややご都合主義的なところもあるが)のでとても読みやすい。後半は読み切るまであっという間だった。
  • 2026年8月2日
    ハーバード白熱日本史教室
    おもしろそうな講義だなあと思う反面、アクティブラーニング系の授業ってどのくらい日本の大学で選ばれるんだろう(専門以外は楽に単位取れる講義ばかりとっていた不真面目学生の感想)
  • 2026年7月28日
    急に具合が悪くなる
    急に具合が悪くなる
    これから読む人は、ある程度形而上学的な話題(たとえば内田樹の本とか)に触れてきた人でないと、話についていくのが難しいかもしれない。 ただ読んで決して損はない本だと思う。 なぜなら、ここで話されている内容はとても普遍的な事柄であり、誰もがおそらく通るであろう道だからだ。 急に具合が悪くなる人、それを見守る人。 どちらも経験している身からすると、どちらの言葉も心に刺さり、気づけば本が付箋だらけになっていた。 テーマとしては、近づいてくる死を前にして、どうしてこうなったのか、これからどうしていくのか、という選択と偶然性の話題から始まり、少しずつブレながら役割、人との関係性、運命の話に広がっていく。なんか全然違う話題のようだが、シームレスに繋がっている。 出会って間もないと言いながら互いにひりつくような火の球ストレートしか投げないので最初の方はややヒヤヒヤしながら読んでいたが、最後はこの温度感は必然だったのかもしれないと思った。 映画も見たい。
  • 2026年7月24日
    アイデアのつくり方
    アイデアのつくり方
  • 2026年7月24日
    この夏の星を見る
  • 2026年7月24日
    パンチラインの言語学
    売れる映画・漫画・ドラマなどに付き物の「名台詞(=パンチライン)」を言語学の観点から深掘りしてみよう、というエッセイ。パンチラインというとっかかりがある分、「言語学バーリ・トゥード」シリーズよりは言語学要素薄めに感じたが、あまり深く考えてこなかったあの台詞について改めて分析すること自体がすでに空想科学読本的なシュールさがあってだいぶおもしろいので無問題。 たとえば「地面師たち」の「最もフィジカルで最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方でいかせていただきます」という台詞は子供が最初に発音を覚える両唇音が並んでるから本当にプリミティブで熱い、なんて語るのはこの本くらいだと思う。 その作品を読んでない人でもついて来られるように作品のおもしろいポイントも丁寧に説明してくれている(むしろその説明がボリューミーなので言語学要素が削られているのではないか)ので、取り上げられた作品に興味をそそられる効果も有。 とりあえず私は違国日記を読み、パルプフィクションを観ようと思います。
  • 2026年7月22日
    あの夏の正解
    あの夏の正解
    うまく言葉にできないが、読んでよかった本。 新型コロナウイルスで夏の甲子園が中止になった年、愛媛・済美高校と石川・星稜高校の強豪二校の部員たちと指導者がその夏に向き合う姿を追ったドキュメンタリーだ。それぞれ悩みながら同じ方向を向いているような、すれ違っているような、部活動を通して見たそれぞれの立場や想いの重なりを見た。最後は前向きに「野球が楽しい」って方向にまとめられているけれど、済美高校の山田くんのように「つらい夏だった」と思う人もいるわけで、集団で同じ方向にまとめていくって本当に難しいとも感じた。それが集団の面白さでもあるのだろうけど。 読んで自分の高校時代のことや東日本大震災の頃のことを思い出した。 あのときどうしたらよかったのかなとか、こうしてればよかったなとか、今でも考えてしまうことは山のようにある。 少し時間を置いたから、話せることも変わってきただろうか。誰かと話してみたくなった。 余談だが、最後のインタビューで「星稜の内山ってどんな選手でしたか?」って質問してる矢野くんが後にその内山くんとヤクルトで同僚となるとは……
  • 2026年7月20日
    月に吠える: 萩原朔太郎詩集
    ともすれば露悪的な自分語りにもなりかねない感情のふるえが、詩の力で共通の言葉に置き換えられ、我々の心をも共振させてしまう。 きっと萩原朔太郎の言う通り、そこには「烈しい人間のなやみとよろこび」が内在しているからなのだろう。 細かい話だが、「竹」の「みよすべての罪はしるされたり〜」の一節が載ってなかったのがちょっと残念だった。
  • 2026年7月20日
    潮騒
    潮騒
    ダフニスとクロエに着想を得て書かれたという作品だけあって、ストーリー自体は今では手垢まみれの青春ラブストーリーだ。 ただそれを凡百の物語と全く違うものにしてしまうのが、三島由紀夫の筆力なのだろう。 島の情景、人体の写実的な書き表し方、それぞれひとつひとつが瑞々しく物語を彩っていく。ページをめくるたび読者の鼻腔を潮の香がくすぐり、若い進治や初江の肌の青々とした弾力を思う。それを確かめに、神島に行ってみたくなった。 読みやすいので三島由紀夫作品を初めて読む人にはおすすめしたい。
  • 2026年7月6日
  • 2026年7月6日
    ジョブ・クラフティング
    ジョブ・クラフティング
  • 2026年7月6日
    ジェームズ・クリアー式複利で伸びる1つの習慣
    ジェームズ・クリアー式複利で伸びる1つの習慣
  • 2026年7月6日
  • 2026年7月6日
    ピークパフォーマンス
  • 2026年7月6日
    ファスト&スロー 上
    ファスト&スロー 上
  • 2026年7月5日
    百年の孤独
    百年の孤独
    架空の街マコンドが生まれてから滅ぶまでの約100年間、そこに暮らすブエンディア家の生活を淡々と書いていく物語である。 つねに書き手と登場人物の間には大きな隔たりがあって、まるで動物園の檻の前に座ってぼんやり動物を観察しているような気分で読み進めた。檻の中の動物なので(失礼)、この話にはストーリーの中に積み重ねはなく、寓話などにありがちな含蓄もない。生活や物語は必ずしも意味を持たなくてもいいのだ。そう思うとなんだか元気が出た。 これは同じ名前の登場人物が同じシチュエーションを繰り返していくシステムの話だが、どちらかというと繰り返し出てくるアルカディオやアウレリャノよりも、100年にわたってブエンディア家の屋台骨であったウルスラを中心とした女性の物語であるように思う。 さすがに大佐の不在時にアルカディオが街を支配していたとき、ウルスラがアルカディオをぶん殴ってその後実効支配し始めたときは「この母ちゃん強すぎでは!?」って声を出して笑ってしまった
  • 2026年6月16日
    自閉症は津軽弁を話さない
    「会話の0.2秒を言語学する」で引用されていたのをきっかけに手に取った。 検証のしかたや説明も非常に丁寧なので、これから卒業研究をしようという大学生なんかには参考になると思う。 ASDの人と方言、という言語学寄りの切り口から始まった検証は、気づいたら「ASDの人はどうやって言葉の使い方を覚えていくのか、どのように世界が見えているのか」という問いに着地していった。 コミュニケーションに障害を抱えている人たちを相手にするとき、(比較的)障害のない私たちは、そのエネルギー消費量の多さに、やや彼らを敬遠してしまいがちだ。 しかし彼らもそのことは重々承知していてずいぶん遠慮しているのだろうな、などと考えながら読み進めた。 方言を使わない、というのも本当は本人の希望ではなくて、使いたくても使い方がわからなかったり、使える数少ない方法(=テレビ等から習得した共通語の組み合わせ)で精一杯のコミュニケーションを取るほかなかったりしているのかもしれない。その場に合わせて上手く喋れないから、周囲の意図を汲んで当意即妙な返しができないからといって、彼らを笑ったり後ろ指をさしたりすることはできない。「うまく話せなくてかわいそう」という意識も、笑ったりする姿勢と根底では同じだ。 たとえば、話すのが苦手な人なら、電話で済む要件をメールで送ったりしたことがあるのではないだろうか。反対に、電話で済む要件が書かれたメールを受け取って「電話でいいのになあ」と思ったことがある人も多いのではないか。ASDの人たちが使う少し不思議な標準語も、それと同じなのではないか。社会を泳いでいくための個々人のスタイルであり、精一杯のコミュニケーション戦略なのだ。
  • 2026年6月12日
    夜明け前 第1部 上
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