痛いところから見えるもの
142件の記録
EMMA@emma_1112026年1月5日読み終わった古今東西のあらゆる書物からちょうどよい引用が出てくる、そんな著者の博覧強記ぶりに驚いた。 痛みは考えてみれば不思議な存在だということに気付かされた。 痛みがなくなってしばらくすると、どんなふうに痛かったかを思い出すのは難しい。 これは、覚えていると冒険心がなくなるとか、生き物としては痛みを忘れるほうがいいからなのだろうか。
津見@tmr_kr2026年1月1日読み終わったとても良かった。頭木さんの作品を読むと、いつも、本当に知らないことがたくさんあるなぁと思う。 たくさんの引用を読んで、色々読みたくなるが、特に、ニーチェと、あと、「傷の声」を読もうと思った。ニーチェの文章がテンションが高いこと知らなかった。ニーチェと対比させて、痛みについて無神経なことを書いてる哲学者への言及があったが、その人達は調べてみるとやはり健康に長生きした人だったとあって、思わず笑ってしまった。 あと、仕事で人の話を聞くとき、相手の発言を確認する意味で、自分にとってわかりやすい表現に置き換えて言いなおし、こういうことですか?と確認することがある。それで「違います」と言われたりすることもあるが、「そうです」と言われたときでも相手の最初の言い回しは記録に残したほうがよいと思った。その人が生み出したオノマトペや表現がなかったことになってしまうから(この点は痛みに限らないことだなと思ったので書いた)。 追記) 頭木さんの本では、いつも「文学の実用性の高さ」にはっとさせられる。文学は、伝わりづらいことを伝えるうえで強力なツールであり、それが人に文学が必要な理由の1つだと、頭木さんの本ははっきり教えてくれる。文学っていうと実用性の対極みたいなイメージだけどそうじゃない。人が生きていくうえで割り切れないような思いは、実務的な表現では取りこぼしてしまう。こぼれる部分をつかもうとするのが文学なので、本当は誰にとっても必要なはずだと思う。
汐見@siomi2509272025年12月18日読み終わった痛みを人に伝えることは難しい、その難しさを言葉で解きほぐしていく本。 著者の頭木さんの紹介には「文学紹介者」とあり、本作にもさまざまな本の「痛み」にまつわる引用が。 痛みは自分だけの孤独なもの。そう分かっていても、同じ病気や経験をした人に痛みに共感してもらえた時、その理解には涙が出るほどに嬉しいものでもある。 自分の経験などと照らし合わせつつ読んだ。そう、痛む時や息苦しい時は頭の中がそれでいっぱいになって、冷静に言葉を紡ぐことすら難しい。 また、人の痛みは決して完全には分かるものではないのだということを念頭に、痛みを訴える人の言葉を受け止めたいと思う。




コトリ@kotoribooks2025年12月12日読み終わった痛みがある日に読み進めたおかげか、共感度高めの読書となった。 痛みは見えない。痛みは主観。このあたりは、心の不調とも通じるなぁと感じ入る。あと、疲労なんかもそう。 わかってもらえない心身の不調には全て通ずることが多く書かれている。 客観的なデータに基づく…とかではない、主観的な痛みについての表現を「文学的」と言うのも良いなと思った。私やあなたがどう感じるのか、ということを大切にしている感じがして。心身弱っている患者が求めているところ、と言う気がする。 間違いなく、今年のベスト本に入る一冊でした。
it_shine@it_shine2025年11月7日買った読み終わった将来、誰かが痛んだ時、あるいは自分が痛んだ時に人に読ませるために購入。 痛くない死などなく、そうであるとすれば、それは幸福かもしれないとも思う。つまりは無痛の死は一瞬の出来事だろうから。 それでも、痛いのは怖い。できれば避けたいし、耐える自分でありたい。 痛みについて考えるいいきっかけになった。良かった。




it_shine@it_shine2025年11月5日読み終わった面白かった。痛みと無縁な人もいないし、多くの人が痛みのそばにいる人であると思う。備える意味でも、痛がっている人の助けになるためにも、痛がっている人をがっかりさせないためにも、この本は有用なので、借りて読んだけれど、購入する。必ず。








it_shine@it_shine2025年11月4日読んでる“なぜ文学かというと、文学というのは、ある人物のとても個人的な体験を描きながらも、それを深く掘り下げることによって、人間の普遍的なところにまで到達するものだからだ。”p18 “痛みという個人的な体験も、文学を媒介してもらえば、同じ体験をしていない人でも少しは共感できるようになるかもしれない。 また、文学というのは、言葉にできないことを、なんとか言葉で表現しようとするものだ。”p18






it_shine@it_shine2025年11月4日読んでる“たくさんの言葉を仕入れれば、今知っている言葉では言えないことでも言えそうな気になるが、そうはいかない。手持ちのありきたりな言葉で、なんとかするしかないのだ。 文学の言葉とは、特別な言葉ではなく、ありきたりな言葉をありきたりでなく組み合わせたもののことだ。”p113 “『幸か不幸か人間というのは五感しか持っていない。そして五感で切り出されるものは、ある意味では非常に限界がある。それにくらべて、言葉による概念はすべて多様で精密だ。しかし、いくら精密でも、もう一度それを単純な五感の次元にひきもどしてやらないと、イメージとしては共有しにくいということがある。五感というひどく原始的で、能力からするとかなり低いものに、どうやった概念以上のものを定着させるかということが、ものを書く上で一番苦しい作業じゃないかな。出てきた結果はひどく単純だけれどね。 「都市への回路」『安部公房全集26』新潮社”p125



リチ@richi2025年11月3日読み終わった文学のすばらしさは、言葉にならないものを、それでもなんとか言葉にしようとするところにある。 「痛いところから見えるもの」は、その試みを真摯に続けている本だ。 痛みを語ることの難しさと、その伝わらなさの構造、そして痛みと社会(たとえば、女性の痛みが軽視されやすいことや、差別と痛みの関係)までを丁寧に掬い上げている。 「痛み」というテーマは個人的で閉じたものに見えがちだが、この本が描くのはむしろ「痛みをどう表現し、どう共有するか」という、こと。痛みを持つものが言葉を尽くさねばならない、という点には不均衡も感じた。

ざえもん@zaemoon_n2025年11月1日読んでるまだまだ序盤だけど、「痛いほど分かる!!!」と叫んでハッとした。理解できるこの痛みも自分だけの痛みで他人にはわからない。わかるのにわからない不思議な感覚。面白い😌
隅田川@202506282025年10月26日読み終わった@ 三省堂書店 神保町本店(小川町仮店舗)「頭木弘掛ポスター展」を見てきたので再読。 2025年10月1日(水)→29日(水) 三省堂店神保町本店小川町仮店舗 1~6階階段パネル

nami 𓐃✈︎@____73r2025年10月16日読み終わった頭木さんの「痛いところから見えるもの」と、杉田さんの「鬱病日記」を併読。 わたしは9月免疫低下による帯状疱疹に疾患し、そこから慢性上咽頭炎になった。週に3回Bスポット治療を受けに耳鼻科に通っている。その治療に至るまで、何が原因か分からない痛みで苦しく、夜は眠れないし昼間は痛みで不治の病ではないかと心を病んでいた。原因が分かってからも、治療は痛いし、だけどこの痛みをどう説明すれば家族に分かって貰えるのか分からなくて自分を責めた。 そんな時に発売された、2冊の"痛みについて"の本。1冊は体の痛み。もう1冊は、鬱病。どちらもとてもとてもよかった。この2冊を手に取って、「痛いのは自分だけじゃないのだ、痛くていいのだ、いや、良くはないけど」と思えた。





芝生@grass-sbf2025年10月12日読み終わった「痛い人と、痛い人のそばにいる人の間をつなぐ本」。痛みや苦しみは自分の中にある経験でしか理解ができず、無理解や、理解のつもりの雑な扱いによって「痛い人」はさらに傷つくことになる。相手の「痛い」を"完全に理解することはできない"ということこそを理解して、その上で「寄り添うにはどう考えたらよいか」をひらいてくれる、そんな本だった。私は「痛い側」の人間なので、読みながら何度も泣きそうになった。完全にわかるとはいえないけど、わかるよと。

芋仁@imogine2025年9月27日読んでるまた読みたい読了2025年読了本おもしろい体調を崩し、いちばん痛みが酷い時期に、予約していたこの本が届いた。しんどかったけれど読みたくて少しずつページをめくった。そして今も読んでいる。おもしろい。
obama@obamabooks2025年9月20日読み終わった@ 自宅ーー文学的表現というのは、ただの気取りではなく、〝言語化〟できないことを〝言語化〟するためにひねりだされた、苦肉の策なのだ。血のにじむ果実なのだ。(P.316)



JUMPEI AMANO@Amanong22025年9月20日読み終わった@ 自宅〈日常では、たいていの人が、経験的な実感のこもった言葉で会話をしていると思う。ところが、医療の現場では、医師は客観、患者は主観と二分化されやすい。〉(254頁) という問題提起から始まる第11章。「文学的な分類」、そして「脳」の話。話題の出し方、つまり構成がうまいなぁ...。 そして最後の第12章。いろんな人(主に書き残せた人)たちの痛みが取り上げられていて面白い。とりわけヨブと内田百聞の節は面白い。何か面白いって、百聞の節では「かゆみ」に注目しているから。「かゆみ」は今後、ホットな領域になる気がしている(実際、今年の2月には「かゆみの哲学研究集会」なるものが開かれている)。 序章に〈痛い人と、痛くない人のあいだに、痛みについて書いてある本があったらどうだろう?〉(17頁)とあったが、まさに痛みの「言葉探し」の手がかかりになるような本だった。多くの読者の体と心を支えてくれそうな一冊だし、ここから新しい言葉や表現が生まれていくのではないかと思う。







t@tm_10332025年9月20日読み終わった同じ名前の痛みでも、感じ方や表現の仕方も人それぞれ。個人差があるという当たり前のことに改めて気付かされたし忘れないようにしたいと思った。 あと、「いくら想像しても、経験していない自分にはわからないことがあるという前提に立つことが、まず理解のスタートラインだと思う」の部分に共感した。わからないからこそ、話を聞いてわかろうと歩み寄る姿勢が大切なんだと思う。 出会えて良かったと思える一冊になりました。



JUMPEI AMANO@Amanong22025年9月19日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅ヘトヘトなので第10章まで。第10章でちゃんと暴力や傷の話が出てくるのが良い。 痛みの言語化のところでも思ったけど、治る傷/治らない傷、見える痛み/見えない痛み、痛みのコントロール(不)可能性の話などを読んでいると、暮田真名さんの『死んでいるのに、おしゃべりしている!』と通じるところがあり、近い時期にあわせて読むことができてよかったと思う。このリンクはなかなか面白い。



JUMPEI AMANO@Amanong22025年9月18日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅第8章まで読む。以下の表現などになるほどと思った。 〈痛みや苦しみについて語るときには、[「心で語る」ではなく]「身体で語る」ということを意識したほうがいい。〉(124頁、第5章) 〈治す手を求めているし、痛い手がこわいのだ。〉(176頁、第8章) 第6章では時間やタイミングなどの視点も導入され奥行きがあり面白かった。




読書猫@bookcat2025年9月17日読み終わった(本文抜粋) “どんな体験をした人にも、それゆえに「見える景色や立てる地平」がある。山に登らなければ、頂上からの景色はわからない。あるいは、頂上をあきらめた人にしか、同じ帰り道でもつらく見えるということはわからない。 痛みという体験も、同じだ。そんな体験はしたくないわけで、求めたギフトではないが、「憎たらしいギフト」は贈られてくる。“ ”痛みは個人的体験で、しかも言葉で表せない。“ ”人は手持ちの痛みでしか、他人の痛みを推測することができない。“ ”痛みは、人を詩人にする。詩人にならなければ、痛みを表現できないからだ。“ ”痛みは、激痛のときには、人を現在だけに閉じ込めて、前後を考える力を失わせる。 そして、いったん収まると、今度は未来への不安で、人から現在を奪う。“ ”苦痛が人を生まれかわらせることはない。生まれかわったような気にさせるだけだ。 しかし、「苦痛は人間に眼を開かせ、ほかの方法では知覚できないような事象を、まざまざと見せてくれる」のも、またたしかなことだ。これまで見えなかったものが見えるようになる。見えていたものも、ちがって見えてくる。“
JUMPEI AMANO@Amanong22025年9月17日読み始めた就寝前読書お風呂読書@ 自宅〈「痛みを与えるものについて、しっかりと明らかに記せ」とヘミングウェイは言ったそうだ。心に痛みを与えた出来事について、文学でしっかり表現しろという意味だろう。/私はこれから、「痛みが与えるものについて、しっかりと明らかに記せ」を目標としていきたいと思っている。〉(20頁) 第4章まで読む。





























































































































