中動態の世界

62件の記録
- ふるえ@furu_furu2025年6月23日読み終わった長くかかった読書もついに終わった。意思とは何かという問いから、言語学的な話、哲学の歴史、そして文学というところまで長い道を歩いたような感覚になる。結局、中動態とはなんなのか?という具体的な像を描けてはいないけれど、それは自分にとって必要で、これから生きる上で大事な眼差しを得たような気がする。 本を読んだ結果、そこに普遍的な行為を見つけて「なんだ、そんなことか」と落ち着くのもいいけれど、その行為に至る視点とか、過程において、今までとは違う(あるいは深く)ように考えられることが、読書の一つの面白みだと思う。しばらくは「中動態」についてぼやぼやと考えを巡らせたい。
- ふるえ@furu_furu2025年5月28日読んでる「中動態」を巡る話は「能動態」と「受動態」の対立から、「能動態」と「中動態」の対立へと移動してなんとなく掴めてきたような気がする。ここにきて冒頭で触れられていた「意思」のありかについて話が戻ってきて、「意思」という概念が不変のものではなくて後になって出てきたものであるというのは普通に驚く。というか、当たり前すぎて疑うことすらしていなかった自分の中にあるものるが本当にあるのだろうかみたいな、揺らぎがあって面白い。
- ふるえ@furu_furu2025年5月26日読んでる<2025/5/26> 目的地へ向かう電車の中で読む。久しぶりに本を読めた気がする。程よい揺れの中で本を読んでいると、日々の労働なのか、昨日のお酒のせいなのかわからない疲労が急に顔を出してきて眠たくなる。本を読んで嬉しい感覚だけあって、読んでも文字が滑っているような、読んでいるけれど頭で理解する前に弾かれているみたいになる。目的地の最寄駅に着くアナウンスが聞こえたので、しおりを挟んで鞄の中に本をしまう。「中動態」が当たり前のようにあった時代の話を読んだ気がする。それだけ記憶に残っていた。
- ふるえ@furu_furu2025年5月19日読んでる借りてきた前回は途中までしか読めなかったので、また図書館で借りきてきてちょこちょこ読んでいる。意思と意図、行動の主体というか、存在としての意識はどこにあるんだろうかとか、懐かしい〜と思いながら読み返す。
- opsun@gomi_atsume2025年4月16日読んでるもう面白い 「誰かが「これは私が自分の意思で行ったことだ」と主張したならば、この発言が意味しているのは、自分がその出発点であったということ、すなわち、さまざまな情報を意識しつつも、そこからは独立して判断が下されたということである。」 p23
- ぼっけ@bokeh2025年3月15日かつて読んだ“強制はないが自発的でもなく同意している” 人は能動的でも受動的でもない(能動的であり受動的でもある)”中動態の世界”を生きている。 救いは、この事実を認識することで”自由”になるための道が開けることだ。
- 万願寺@manganji_2025年3月9日買った学び!じゅうぶん読んだ國分功一郎先生!正直大好き。顔ファン。本書はね〜ラテン語の文法用語をここまで思想的根拠にしてしまうのは乱暴だし危ういと思いましたが、文章自体はおもしろかったです。文庫版であとがき補足されるそうなのでそちらも楽しみ。