入門 記号論
28件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年4月9日読んでる植物が例えば根からある種の化学物質を分泌して、他の植物、動物の接近を許さなくするというようなことがある。この場合は<モノローグ(独話)>(mono-logue)に近い。もともと特定の<受信者>が想定されているわけでなく、たまたまその化学物質に接した者が<受信者>になる。 蜜蜂のダンスの場合も、まだこれに近い。<受信者>は同じ巣の蜂に限られるであろうが、それ以上の特定化はなく、<受信者>は不特定、多数である。しかし、<受信>の方はメッセージに偶然接するのではなく、自らは<受信者>となろうとする強い志向性を有していて、ダンスをする蜂に競って身体を触れようとしているように見える。 (p.297-298) "アブラハムは神の指示に従って、故郷を捨て、父の家を出た。なぜ、そのようなことが可能であったのか。神の言葉が人間であるアブラハムに理解可能であったからではない。神の言葉は、多くの場合、雷鳴や雲の柱や燃える柴のような非言語的な表象をまとって族長や預言者たちに開示される。だから、彼らはそれが何を意味するか分からない。だが、それがメッセージであるということは理解できた。なぜなら、そこには宛先があったからである。" (『レヴィナスの時間論』内田樹 p.54-55) 神の言葉はモノローグ。 蜜蜂のダンスも神の語彙のうちのひとつ。 だからこそ、それを受け取れる者は、 「宛先」として名乗りでることのできる者は、 限られている。 というかこれまでに、片手で数えられる数 しかいない(とされている)。 アダムとイブには届かない。 彼らは神から隠れようとする。 アブラハムには届く。 大事な息子の命も躊躇なく捧げる。 「わたしはここにいます」。 ダイアローグとは、互いにとって 「賭け」により得られる偶発物。 人間においてもまた、発話の基本は モノローグである。 と、認識を改めなければならないのかもしれない。 二人以上の人間が話を始めれば、それは 「ダイアローグ」(対話)であるという思い込みは、 傲慢そのものである、 届かない前提としての発話(発信) そして、種は蒔かれて在る。 受信者は発信者に常に遅れて現れる。 (「贈与」のしくみに同じ) それを見出し、発芽させることが<受信者>の 役割であり、何が育つのかわからない、 その可能性において対話がはじまるということ。
黒沼水蓮@kuronumasuiren2026年3月9日読み終わった類似性に基づく類像記号と近接性に基づく指標記号という記号の分類は、文化人類学でいうところの類感呪術と感染呪術という呪術の分類と考えかたがよく似ているように思えた。
チョコ次郎の夏@CircusInMyHead2026年3月2日買ったちょっと開いたフランスの文藝評論家であるロラン・バルト読みを自分に課している以上、本書も必要だ、と思い本屋で購入した。 デンマークの哲学者である、キェルケゴールの『死に至る病』は置いてなかったので、毎度の図書館頼みか。
blue-red@blue-red2026年3月1日読み終わった記号論ちくま学芸文庫記号論的な概念を援用した本(消費社会の神話と構造とか)はちょくちょく読むし、言語学の教科書もいろいろ読んだけど、記号論自体の本は読んだことないな〜と思い、つい最近文庫化されて書店に平積みされてたこれを購入して読みました。 結論から言うとちゃんと入門書になっている良い本でした。もともとは放送大学の講義テキストだったようで、そのせいか一つひとつの章を20頁ぐらいのコンパクトに収めながら話題と説明が移って行くので、初学者にはちょうど良い浅さです。 ちょっと気になったのは、本文中では、述語として或いは特定の意味としての語に山括弧が付けられているのだけど、それが漏れなく付けれられているせいで読んでてわずらわしく感じました。誠実なのだろうけど。自分は、括弧書きを過剰に使い過ぎな人文書にややうんざりしがちなタイプなので。 しかしそういった難点も些細なことで、総じて良書だと思います。最後の最後には「生命とは何か」への記号論からの回答まであり、おどろかされました。
















