地下室の手記
81件の記録
- ミック@togo10042026年9月24日召使いのアポロンに対する葛藤の部分 「主人公の父親も子な人だったのでは?」 とも読ませるのが凄い、きっとこの時代の"父親"って今よりも強い象徴だったから 子供の頃からずっとビビってたんだろうなって 感じる。すごく他人に集中してて自分のことを言ってるようで全く言ってないんだよな
- ミック@togo10042026年9月22日主人公がやってる"風俗説教ムーブ"なんですけど これはおじさん独特の行動というよりは"雄"的な行動なのかなって思ってて、抑制しないと出てしまう衝動でもありますね。これは根深いです。 女性と一対一だから起こるのか、消費する側と消費される側だから起こるのか、雄による捻じ曲がった求愛行動なのか

- ミック@togo10042026年9月17日どうしても西村賢太と比べてしまうけど 地下室の手記の男はより広域な道徳とか見栄に縛られて、よく言えば哲学とか人文的なんだけど 西村作品の北町貫太は凄くミニマルで私的な見栄なんだよな、『"オレが"欲しいんだ」みたいな それが凄く良い。社会の善として繋がる行動じゃないのにプライド持ってやってる感じが 凄く自分だけの"恣欲"を満たしてる気がする。 そこ点でドストエフスキーより上質な恣欲って感じなんだよな
- ミック@togo10042026年9月15日本作の主人公に比べると 西村健太作品の主人公である北町貫太には 日本独特の"粋"さや剛担さ、可愛らしさを 感じでしまう。 客に地下室の手記の男は私自身に近い人物だと感じた、どこか病理的な男



- ミック@togo10042026年9月15日2章の①話が面白すぎる 街のビリヤード場で動線を塞いでた主人公が 2mのデカい将校に持ち上げられ退かされる → それをものすごい侮辱と捉えて文句を言おうか悩む(文句を言えば窓の外に放り投げて貰えるに違いないと思う)が思いとどまる→ 2m将校に恨みを募らせて住所、身分などを特定して観察する→ それを小説にして文芸誌に応募して見事に落選する→ 今度は人通りの多い道で将校に肩をぶつけてやろうと画策する(ぶつかりおじさん)→ ぶつかりおじさんをするために身なりを整える (給料を前借りして高級な手袋や上質な帽子を購入)→ 葛藤するも身体が言うことを効かず断念→ その後、何度もチャレンジするが失敗が続きたのだがある日、将校の肩に自分の肩をぶつけることに成功する→ 主人公は歓喜し次の話に続く

- ミック@togo10042026年9月12日まだ読みきれてない エーリッヒ・フロムの考え方に近いのかも 自由からの逃走でも近いこと言ってたな、 角度が違うけど、本書では自分自身のオリジナルな欲望って大事だよね。って言ってて フロムの本だと、そのオリジナルな欲望を貫き通せるほど人間は強くできてないよね? みたいなこと言ってる。だから"自由"つまり オリジナルの欲望から逃げるって話
- ミック@togo10042026年9月12日"恣欲"って言葉初めて聞いた。 意味としては"おもうがまま"とか"勝手気ままな" そして本書では 【人間に必要なのは自分独自の恣欲だ】 と言っている。これはどの時代にでも共通して言えることなんだろうけど、より現代的な考え方な気がするな。みなさんコピペみたいな私利私欲で 右往左往してるもんな。


- ミック@togo10042026年9月11日だいぶ読みやすい 文章のリズムがいいからだと思う 1人語りだから、エッセイとも言えるし、漫談とも言える。 現代にこれだけ自分の話を出来る人はどれだけいるのか
umeco@u_meco2026年7月10日読み終わった親戚の遺産を手にしたことで仕事を辞め地下室に引きこもった男による「地下室」と「ぼた雪にちなんで」の二章からなる手記 一章の「地下室」がすんなりと頭に入ってこなくて、通読した後直ぐに読み返してしまった。 後半あまりの自意識と虚栄心に飲み込まれそうになりながら読んだ。 わかる部分も、わからない部分もまた面白かった。 ドストエフスキーの全作品を解く鍵とも言われている作品なので、更に色んな作品を読んでからまた読めば理解が深まるのかな。


ピヨ彦@o-o2026年6月19日再読再読。 「日の名残り」の感想を書いた後すぐに 「地下室の手記」の 感想を書くにはギャップがすごいし、 中学生の頃初めて読んだ時の印象と、 今読んだ時の印象はかなり違うので、 少し時間をあけてから よく考えて感想を書きたい。 私にとって曰く付きの本で、 本棚の奥の奥の奥の方に、しまい込んでた本。 感想を考えよう考えようと思いながら、 読み終えて一週間も経ってしまったので、 忘れないように、一旦ここに記録しておく。






ますだ@msd2026年4月30日読み終わったgptに似ているキャラクターは?と聞いたら地下室の手記の男と言われたので積読していたのを読んだ 最初から合理主義や理性への過信に対するぼやきが綴られていて難しいと思いつつも共感できる部分が朧気にあり読み進めた ぼた雪からの話は笑えるところもありつつ「私もこんなことあったよな」と若干冷や汗書くような描写がありつつで楽しく読めた うだうだととぐろをまいたような自閉的思考と焦燥がとても他人事とは思えず支離滅裂さと反合理が今もカウンターになりうるのか考えた

ジクロロ@jirowcrew2026年3月22日かつて読んだしかし、にもかかわらず、ぼくの深く確するところによれば、たんに意識の過剰ばかりでなく、およそいっさいの意識は病気なのである。 (p.12) しかし、それより何より、ぎりぎりの肝心な点は、こうしたいっさいが、強度の自意識には固有の正常な法則と、その法則から直接に出てくる情性とに即して進行する点である。してみれば、この場合、何かになり変ることはおろか、何をしようにも手も足も出ないというのが理の当然なのだ。 (p.14) 「意識は病気である。」 「病気」とは意識そのものではなく、 意識の執着性とその持続の側を指す。 "存在は病である。存在が有限だからではない。 存在に限界がないからこそ存在は病なのである。" (『時間と他者』レヴィナス p.29) 執着性とその持続、 つまり変化が訪れない状態。 苦悩とは、時間が流れずにいる状態。 「人間には空気が必要ですよ、空気が、空気が、空気が……何よりも!」 (『罪と罰』ドストエフスキー 第六部1) 「空気」とは、自由であり束縛。 何もない開放的な空間における(精神的)呼吸であり、ある時代を支配している思想や傾向。 言葉は、相容れない二つの意味をもつ。 「いい加減」とは、適切と不適切、両方の意味を包含する。 意識への執着は無意識を強固にする。 主人公は「美にして崇高なるもの」を意識しながらも、卑劣な行為を繰り返してしまう。 存在への執着は存在を「あらぬもの」に仕立てる。 賢い人間であろうとする、その生き様は「賢さ」から最も遠い人間に映る。 人間がまっとうに人間らしく生きるには、 少なくとも二つ以上の世界が必要な気がする。 光があるところには影を認めなければならない。 当たり前のようだが、 一人の人間における多面性こそが自然。 たった一つの人格、存在の一面性こそが 異常であり、「病気」である。 執着は喜劇を招き、 (隠された)多面性が悲劇を招く。


おと@parklife2024年9月14日読み終わった最初に読んだドストエフスキー作品。 世間はこんなにも自分に冷たい、といった嘆きの手記。 主人公は自意識が強いあまりに些細なことで一喜一憂したり、攻撃的になるのが痛々しい。 他人はそこまで自分に興味ないよって言われたらそれまでなんだけど
しま@murmur1900年1月1日かつて読んだドストエフスキー・江川卓 訳 『たった一度、ほんとうにたった一度だけかもしれないが、人間がわざと意識して、自分のために有害な、おろかなこと、いや、愚にもつかぬことを望む場合だって、たしかにあるのである』p53.8行目 『ところで、ぼくの確信によれば、人間は真の苦悩、つまり破壊と混沌をけっして拒まぬものである。苦悩こそ、まさしく自意識の第一原因にほかならないのだ。ぼくは最初の方で、自意識は、ぼくの考えでは、人間にとって最大の不幸だ、などと説いたが、しかしぼくは、人間がそれを愛しており、いかなる満足にもそれを見変えないだろうことを知っている。』p65.1行目 挫折 (86pまで読了) 恣欲というものは度々理性(善行)に反して、だが時には一致することもある。人は常に崇高な美しいものを選ぶとは限らず、全ての行動を科学的に解明したとしても、水晶宮なんてものは存在し得ない。 恣欲こそが、個人たる存在を定義するものであり、理性に反したとしてもそれこそが有益なものである。 言ってることがよく…分からなくて……、上記要約が合ってるかも、最早分からない😢 あえて愚かしいことを選択するものも居る(的なこと言ってた…?全員が全員善行を行うだろうか、みたいな、事…)という部分に関しては、別の書籍が頭を掠めて、愛と破壊が共存している人類像を想像した。 自分とはチャンネルが違うのか、感情移入できず、滑稽さをコメディにも昇華もできず、ただただ苦痛…というページが続き、引用した部分の話が唯一楽しかった部分である。 本の形式(手記であるという部分が)自分には合わないのかもしれないので、機会があればドストエフスキーの他の著作を拝見したい。



































