群像 2026年 2月号
11件の記録
DN/HP@DN_HP2026年1月10日思いがけず発売日に買った文芸誌、目当てだった大好きな小説家、滝口悠生さんの短編「庭野広の駄洒落と陰謀」を早速読んだ。すぐ後にもう一回読んで、翌日にももう一回読んだ。 ある袋小路、フランス語だと「Cul-de-sac」——という表記に纏わる話、あれは小説では均されたり切り捨てられてしまう、現実にはたしかにあった歪さや間違いを小説で表現する試み、かもしれない。とにかく最高だ——を舞台に、その突き当たりに建つ家のベランダから「袋小路と袋小路に面した家々の人々」、その景色、「社会」を眺めながら庭野広氏の巡らす物思いや考えごと、思い出、口には出されない思い浮かんでは取り下げられる(しかし笑える)「駄洒落」と密かに微かに実行される「陰謀」の話。 庭野氏はわたしよりも大分年上のおそらく70代なのだけれど、毎朝訪れる寂しさを抱きしめながら、他人からの指摘や諭し教えを喜びとともに受け入れる。世界に立ち現れる微かな悪意や敵意以前の翳りを帯びた光景、不穏な予感、歪みを見過ごさず、あるいは見過ごせず、それに抗するように見えない「親切や配慮を用意する」。密かに微かな「自分の陰謀」を巡らす。そんな彼の生き方は理想的にも思えてくる。これからわたしはそんな生き方に辿り着けるだろうか、一回目にはそんなことも思っていた。 続けてニ回目を読んだ後には、「陰謀論にはまりかけた」庭野氏の窮地を救い、「自分の陰謀」を企てるきっかけを図らずも作った彼とは「五十ほども年の違う」大学生、風呂田くんのことを思っていた。わたしは彼の年齢はもうとっくに過ぎてしまったけれど、同じ袋小路に暮らすという「だけ」の関係の庭野氏を助け、諭し、その後には良好な関係性を築きながら年上の友人、とも言える人物に影響と変化も与えていく。そんな彼の振る舞い、生き方もまた理想的に思えた。わたしはあんな風には生きてこれなかったな、と思う。 滝口さんとは大体同世代だから、彼もわたしもこの二人とは世代が大分違うのだけど、そんな世代の彼らのようなキャラクタが描かれた意味を考えてみる。それはやはり、そう出来なかった生き方、それと、これからはもしかしたらそう出来るかもしれない生き方、自分の前後にあるふたつの理想的な生き方を描いているのではないか。というのは勿論妄想よりの想像だけれど、たしかにそんな風に読んでいた。読んでいる。 今の私の前後にある理想は、その中間にいるが故に、まだ取り戻せるかもしれないし、今後手に入れることが出来るかもしれない。それを意識して「ナイス」に生きようと出来れば。そんな宣言とエールのようにも、これもまた勝手に受け取っている。 三回目に読んだ時には庭野氏と同世代の母親のことを思っていて。彼女は寂しさを抱きしめることが出来ているだろうか、家のなかが中心の生活が続くなかで生じる滞りに追われる恐怖に襲われてはいないだろうか。陰謀論にはハマっていない、とは思いたいけれど…… 哀しいような寂しいような気持ちになってきたけれど、今度タイミングをみてそんなことも話にいってみようとも思えている。この小説を持っていっても良いな。そのときには風呂田くんのように振る舞えたら良いのだけれど。 そんな個人的で世代的なものを超えたところでも、この短編小説が書かれて、読めることには感動している。 「ならば、というか、だから、というか、見えないところに少しの親切や配慮を用意することが、全部を嘘と疑うことを半ば強いられるこの世界に抵抗を示すことにはならないだろうか。枠井梓に『ガン無視』された窓川夫人にネギを持っていこうとしたのは、庭野広のそのような心の動きだった。これが自分の陰謀。」 「全部を嘘と疑うことを半ば強いられるこの世界」にこの小説が書かれ読まれるということも、その「世界に抵抗を示す」ことになっているのではないか。読んだ人たちが庭野氏のように世界に蔓延る翳りや不穏な予感、歪みを見過ごさず、優しく「自分の陰謀」を企てはじめれば、世界も変わっていくのではないか。大袈裟な話をしはじめている。これはそれこそ「理想」だけれど、わたしはこの小説を読んで、「理想」に向けて、少しだけ生き方を、世界や他人との向き合い方を変えようと思っている。 わたしにとってこの短編小説を読んだことは、庭野氏の会社員時代に「駄洒落中毒」から救ってくれた同僚の説論や、(彼自身はまだわからないというけれど)風呂田君との出会いと関係の深まりがそうだったように、人生における「画期的な出来事」だった、と思ってみたい。 重要なことも考えられた気がしているけれど、同時に、というかそれ以前に、その文体とそこから生み出されるフロウの読み心地は当然最高で、読んでいると純粋に楽しく嬉しくもなってくる。ああ、良い小説を読んだ。今日からも持ち歩いて四回目以降も読みたい。という思いで短編小説を雑誌から抜き出す(アイロンで背表紙のノリを溶かすやり方)。表紙をつけてステープラーで閉じたら、そっとOPPの袋に入れてお気に入りのビートとアンビエント・ミュージックのテープと一緒にバッグに入れて散歩に出かける。快晴の、土曜日の午後一時過ぎ。風が強い。いつもは会釈で通り過ぎてしまう家の前の駐車場でなにやら作業をしているおじいさんに、今日は声に出して挨拶をした。

DN/HP@DN_HP2026年1月8日「ならば、というか、だから、というか、見えないところに少しの親切や配慮を用意することが、全部を嘘と疑うことを半ば強いられるこの世界に抵抗を示すことにはならないだろうか。枠井梓に「ガン無視」された窓川夫人にネギを持っていこうとしたのは、庭野広のそのような心の動きだった。これが自分の陰謀。」 滝口悠生「庭野広の駄洒落と陰謀」

DN/HP@DN_HP2026年1月7日今日のところは一旦立ち読みしよっかなー、と立ち寄った本屋では扱っていなくて、そうなると意地になってしまうものでもう一軒ハシゴして、そのお店で見つけた瞬間テンションが上がって結局買ってしまった。



DN/HP@DN_HP2026年1月7日目当てのひとつだった滝口悠生さんの「庭野広の駄洒落と陰謀」を読んだ。わたしも庭野広氏のような態度と心持ちで世界や他人に接し、「親切や配慮」の優しい「陰謀」を巡らせながら生きていきたいものです、とじんわり思っている。今の世界、社会で読みたかった、優しく(優しさで)抵抗しているようにも思える小説でした。これもシリーズになったら嬉しいな。庭野氏にも「語るべきことはまだまだたくさんある」みたいだし。


DN/HP@DN_HP2026年1月7日滝口さんの短編小説を読み終わると、岸本佐知子さん訳のルシア・ベルリンの小特集がはじまる流れもとても良い。流れにのって最初の一編「電話交換台」を読んだけど、仕事とプライベートをシームレスにスピットしまくる交換手たちの会話が作り出すグルーヴ、そこから浮かび上がる時代と世代と社会、当然これもとても良い短編小説でした。








