人間の条件
40件の記録
haga@hagmy2026年3月18日読み始めた職業柄 AI との距離が近く、日進月歩の発展が身に沁みる日々。 最近ふと大学時代に有志で開催されていた哲学書のビブリオバトル的なのでこの本が紹介されていたことを思い出して購入。 以下はプロローグから引用。 『自分たちがしていることを考えたり言葉にしたりすることはできないけれども、それでもわれわれは実行することができる。その時には、われわれの思考の肉体的・物理的条件である脳はわれわれがしていることを理解できないので、今後はわれわれに代わって考えたり語ったりしてくれる人工的な機械が必要になるだろう。もし知識と思考が永遠に分かれたままになるとすれば、われわれは機械というよりは技術的知識の前にひれ伏す奴隷となるだろう。』




氷うさぎ@yomiyomi2026年3月14日「仕事にとって、共同作業〔チームワーク〕ほど疎遠で破壊的なものはない。チームクークというのは、実際には分業の一変種にすぎず、「作業を単純な構成要素に解体すること」を前提としている。共同作業のチームでは、多数の生産主体が分業の原理に従って、全体を構成する部品のように一体になっているので、メンバーの自立は生産そのものに致命的な影響をもたらす。」

氷うさぎ@yomiyomi2026年3月14日読んでる労苦と喜びが反復する生活の中に幸福を見出すことができなければ、幸福になる事は叶わない。 一過性の幸運を幸福と勘違いすれば、不幸の持続が確約される。 今ここですぐさま幸福になることによってしか幸福はもたらされない。


氷うさぎ@yomiyomi2026年3月3日読んでる生命の必然性から逃れようとする古代ギリシャ市民の試みは、この本の表紙にあるロケットになぞらえることができよう。 市民はこのロケットに搭乗する宇宙飛行士で、燃料は奴隷の人生である。奴隷の人生を燃焼することで市民は人間の条件から飛翔することができる。 ロケットがたった数人の人間を地球から飛翔させるために膨大な燃料を必要とすることを想起しよう。人間の条件からの飛翔は相当の無理を必要とする。 近代では燃料は人間ではなく人間の労働の剰余で、飛翔するのも人間ではなく資本ということになる。
- こよなく@funyoi2026年2月13日読み終わった一応通読した。通読したけど、射程が広すぎて、どこから感想書こうか。とりあえず、古代ギリシャ哲学やデカルトまで、西洋思想を一瞥出来たのは楽しかったかな。 アレントが言ってるのは、公的領域の衰弱と全体主義の危険性と警鐘?公的領域が衰弱してるから、自己を開示(行為)して、人間の複数性に揉まれて、そうやってアイデンティティを客観して、世界と繋がれ、共通世界のテーブルを囲め。 じゃないと、自分の内面に逃げ込んで、自分の欲望と欲求を満たす必然性の労働(生命活動)だけをする孤独な動物になるぞ。 人間の条件とは、生まれた瞬間に世界に生きる環境を条件付けられることであり、行為(新しい何かを始める)によって世界に条件を打ち立てることだぞ。 アレントが、わりと近代の人なのが助かる。序文のロケットの開発から、人間が扱える力が地球規模を越えたのに、人間は数字で科学を認識するから、もう人間の感覚の範囲を越えて、人間が産み出した技術を理解できなくなってる。このままだと機械に従うだけの存在になると、科学の進歩の警鐘に繋がる話が面白いし。実際、AIとかそんな感じだし。地球規模を越えた力が人間の条件を変えるというのはSFチック。 生産と消費を資本主義社会の姿も、労働(生命活動)が重視される社会の姿も、現在とかなり当てはまる。生活ファーストですよ。社会の制度にはなかなか目がいかない、即実的効果しか見てない、永続的な世界には興味がない。なんか書いてて嫌になってきたな。自分も循環に浸ってるし。 でも、生命活動に余裕がないと、公的領域には向かえないよな。そもそも新しい何かを始める(行為)って、人は複数性で差異があるから生まれる概念だけど、メディアやSNSの声の受け売りになってないか、自分の行為が反映されてるのか。自分は新しい始まりを出来るのだろうか。 エコーチェンバーって、めちゃくちゃ公的領域を衰弱させてるよね~。

氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「自分が作ろうとしている物だけがリアルであるという発想は、制作の領域では完全に真理であり、正当だが、出来事の実際の過程では常に挫折せざるをえない。そこで最も頻繁に起きるのはまったく予想もしなかったことだからである。制作のやり方で行為すること、「結果を計算に入れる」形で推論を行うことは、予想できないこと、つまりは出来事そのものを除外することだ。そうした立場から見れば、「起こる可能性が限りなく低いこと」を期待するのは理性的ではないし、非合理だからである。だが、人間事象の領域において出来事というのはリアリティの織地をなしているので、「ありそうにないことがふつうに起こる」ところで出来事を排除すること、誰も確実に計算できないことを計算に入れないことは、まったく非現実的である。」 p519
氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「組織化とは、諸々の要素を調整して、それらの相互関係があらかじめ定められたある特性を示すようにすることです。叙事詩は、組織化が著しく成功したものと言えましょう。少なくともそれがよい叙事詩であればの話ですが。それは、多様な言葉の響き、言葉の組み合わせ、さまざまな出来事の絵に見るような思い出、日常普通に起こる感情などを、著名な事件を扱った独特の物語に結びつけて、うまく組織化したものです」 ホワイトヘッドからの引用 p. 560
氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「われわれの肉体的な感覚で捉えられる世界像から見れば謎に満ちていて、決してその正体を明かさず、しかもありとあらゆる現象を生み出すほど強力な存在の秘密を、器具の助けを借りて捉えようとするとき、われわれがそこに見出すのは、いつでも同じパターンの規則、極大の宇宙から極小の宇宙までの規則であり、それを器具を通して読み取っているにすぎない。森羅万象を統一する原理が再び見出されたという喜びもつかの間、今見ているのは極大の宇宙でも極小の宇宙でもなく、われわれ自身の精神のパターンにすぎないのではないか、という疑惑がわれわれを捉えて離さない。われわれの精神が器具を設計して、自分が設定した実験の条件のもとに自然を服属させるーカントの言葉で言えば、自然に対して法則を定めるーにすぎないのではないか。」p. 501
氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「ほとんど有史以来、行為の抱える三重の欠陥、結果が予測不能であること、過程を逆転できないこと、主体が誰か分からず、匿名のままであることに対して、怒りの声があげられていた。できることなら、行為に代わるものを見つけ出して、それによって人間事象の領域を偶然に満ちた混乱と行為主体の複数性に内在する道徳的な無責任から数い出したいというのは、思考する人間にとってだけでなく、行為する人自身にとっても絶えず生じる大きな誘惑だった。…すなわち、それらはみな、行為のもたらす災厄からの避難所を、他人から孤立して一人で行う活動、最初から最後まで自分のなしたことの主人になることができる制作という活動に求めたのである。」p. 380

氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「権力とは、公的空間、すなわち行為し、語る人々が現れることができるような潜在的な空間を存在させ、持続させることのできる力である。」p. 355
氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「言葉の最も広い意味における現れの空間、すなわち、私が他人の前に現れると同時に他人も私の前に現れるような空間においてこそ、人間は単なる生物や無生物のようにではなく、自分の姿をはっきりと現すことができるのである。」p. 353
氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「「生きた精神」が生き残るためには、「死んだ文字」にならなければならない。死んだ文字の中で生き延びている「生きた精神」を仮死状態から救い出すためには、死んだ文字と、それを復活させようとする生命が接触しなければならない。」p. 291
氷うさぎ@yomiyomi2025年12月31日読み終わった「思考は、おそらく頭脳の活動だが、生命そのものとともに終わる過程であるという点で労働に似ているし、労働よりさらにその「生産性」は低い。労働は永続する痕跡を残さないが、思考は手を触れることのできるようなものすら残さない。思考それ自体は、何かの対象に物質化されることはない。精神労働者が自分の考えていることを明らかにするには、他の仕事と同じように、まず手を用いて、技能に習熟しなければならない。言い換えれば、思考と仕事は別々の活動であって、同時並行的に行うことはできないのである。思考する人間が自分の思想の「内容」を世界に知らせるには、まず思考を停止して、自分の思考したことを思い出さなければならない。ここでは、想起という営みは、他の多くの場合と同じく、手を触れることのできないもの、不毛なものを最終的に物質化するための準備である。仕事の過程は、こうした段階から始まる。」p. 159
氷うさぎ@yomiyomi2025年11月23日読んでる「共通世界という条件のもとでリアリティをまず第一に保証するのは、世界を構成するすべての人間が「共通の本質」をもっていることではない。立場の違いとそこから生じる多様な見方にもかかわらず誰もが常に同一の対象に関わっているという事実こそが、リアリティを保証するのである。」 「物事が一つの側面しか見られず、一定の視角でしか現れなくなったとき、共通世界は終わりを告げる。」 p. 92



氷うさぎ@yomiyomi2025年9月10日哲学仙丹を練って呑み込むがごときは「不死」への努力だろう。オリンポスの神々の如き不死者は人間の兄貴分であって、弟は努力することしかできない。 対して「永遠」は人間の努力の対象にはなり得ない。波打ち際に立ったとき、寄せては引いていく波に対して「地球終わるまでやってるんかな?」という感想を私は抱くのだが、こういうのは「観照」に属することであろう。ここには努力の対象とすべき兄貴分が存在しない。
































