世界は贈与でできているーー資本主義の「すきま」を埋める倫理学

24件の記録
- さみ@futatabi2025年5月4日読み終わった副題回収した〜! 資本主義いやだ!しかなかった思考にひとつ灯りを見つけたかんじ。あたらしくて面白かったので、こういう本を人は必要としてお金を出して買っていくんだ……などとも思った。想像力と、想像力を発揮するための基礎体力=教養。生かすための、ほんとうの教養。
- さみ@futatabi2025年4月29日7章まで 副題に「資本主義の「すきま」を埋める倫理学」とついているのに今気づいたのだけど、資本主義にいかりながらも都合よく(それこそ気づくこともなく)恩恵を享受している自分にはそこから考えていくのがちょうどよいはじまりなのではないか。 贈与を「届かない手紙」と見立てるデリダのテキストに言及されている部分で、「贈与は差出人から見れば、たしかに「届かない手紙」かもしれません。ですが、受取人の視点に立つならば、贈与は「届いていた手紙」になるのではないでしょうか?(…)僕らはいつも他者からの善意を見落としてしまう。(…)僕らにできることは、「届いていた手紙を読み返すこと」ではないでしょうか。あるいは、届いていた手紙を読むことができる人間へと変化することと言ってもいい」と書かれていて、元気?をもらっている。本を読みながら何かに気付かされるとき、そのように変化すればいいんだよというメッセージを見つけると、こうして過去を反省するのも重要だけど、これから修正していくことをいっそう大事にしようと思えるようになります。
- さみ@futatabi2025年4月25日読んでる2章まで 自分にとって良いことばかりな行為を受けたときには「とても支払えない見返りを求められるんじゃないか」とか、何も返していないにも関わらず与え続けてくれる人に対して「その人を消費しているのではないか」とか、そういう不安への解決は「そんなことを考えるのは失礼だ」というのがわたしのなかでシンプルでメジャーになっていたけど、もっと大きな世界や社会から受けたものをその一員であるわたしに返している、という可能性(本人が明確にそう思っているから別として)はなんか海みたいなひろさで心地いいな〜 考えてみればそれはすてきなものでありながら、まあ、そんなもんだよなという気もする。そんな感じでやっていきたい。