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@_n_em_
- 2025年10月11日それがやさしさじゃ困る植本一子,鳥羽和久読み終わった@ ブックファースト 新宿店ウィニコットの「Good enough mother」という言葉を思い出しながら、ほどよいってマジむつかしー!とのたうちまわりたくなる。 「でもきっとむつかしいって思ってるだけがんばってるよね!」という自分と「ハァ?あなたそれ子どもが生まれてこのかたずっとそう思ってるんじゃないですか?改善できてないってことは本質的に反省なんてしてないんじゃないんですか?」という自分とが脳内で闘ったりしている。 親になったのに、もう大人なのに、未熟で脆弱である(けれどそれを引き受けつつやっていくしかない)という辿々しさ(?)がある私には勝手にグサっとなる部分と、いやー大人だって案外チャランポランな部分もあるもんですわーと子どもに認識してもらいたいと常々思っている自分でいいんだと勝手に納得する部分とがあって、読みながら情緒が忙しい。 あとがきの『ご自身のこわばりに気づいて、もっと適当に過ごしてくださいね、肩の力を抜いてくださいね。』という一文を心に留めておきたいと思う。気がついたら管理しようとしたり、言質を取って責任を負わせたりしそうなので。何回でも読む。
- 2025年10月11日
- 2025年10月3日虚弱に生きる絶対に終電を逃さない女読みたい
- 2025年10月3日読み終わった三宅香帆さんの本で引用されていたのを機に、家にあったなーと読んでみた。村上春樹氏の本を読むのはかなり久しぶりだし、ノルウェイの森あたりの初期の作品しか読んでいないのだけど、読み始めるとああ村上春樹の本だなーと思う。何となく、ピエール・ブルデューの「ディスタンクシオン」を思い出す。文化資本。文化的雪かきというワード。 ここを読んで、米津玄師の名曲「地球儀」の『この道続くのは 続けと願ったから』という名フレーズが浮かぶ。何かを続けるというのは本当に容易なことではない。 『走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。』 『終わりというのは、ただとりあえずの区切りがつくだけのことで、実際にはたいした意味はないんだという気がした。生きることと同じだ。終わりがあるから存在に意味があるのではない。存在というものの意味を便宜的に際だたせるために、あるいはまたその有限性の遠回しな比喩として、どこかの地点にとりあえずの終わりが設定されているだけなんだ、そういう気がした。』
- 2025年9月29日3月のライオン 18羽海野チカ書き続けてくれて、物語を最後まできちんと終わらせようとしてくれて、ありがとうございますという気持ち。物語を完走させるということ、本の流通に関して、キャラクターや物語の、作品に関わる至るところまで羽海野先生の底抜けの配慮と深い愛情に満ちている気がしている。 何といってもchapter206からの207がすごすぎて、うううこんな物語の表現の仕方があるんだ…って思う。みんなしあわせであれ。
- 2025年9月27日子どものための精神医学滝川一廣買った@ 本屋B&Bもうずっと何年も買いたい本リストに入っていた本、B&Bへ行ったら里親制度のフェア本にラインナップされていたので応援!という名目でついに購入した。目次から面白そうだけど、保育士試験で出てきた発達理論のあたりが読み応えがありそうな気がしている。
- 2025年9月27日ウェルビーイング・コンピテンシー平真由子,横山実紀,渡邊淳司読みたい
- 2025年9月26日学校の「男性性」を問う前川直哉,大江未知,教育科学研究会,虎岩朋加読みたい
- 2025年9月23日声を出して、呼びかけて、話せばいいのイ・ラン,斎藤真理子,浜辺ふう読みたい
- 2025年9月23日
- 2025年9月21日パンチラインの言語学川添愛買った読んでる小学校の時出会った『空想科学読本』がおもしろくて、ヒヒッ…クフフ…と楽しく読んだものだけれど、それに似た読書体験をしている。川添さんの言葉選びが好きだなと思う。
- 2025年9月20日「好き」を言語化する技術三宅香帆読み終わった
- 2025年9月16日自滅帳春日武彦気になる
- 2025年9月16日スペクテイター〈54号〉エディトリアルデパートメント気になる
- 2025年9月15日
- 2025年9月15日
- 2025年9月13日読んでる読んでいる。 第1章を読んでいて、うわあ分かる…ということがたくさん書いてあった。 ---- わたしは対面のコミュニケーションが得意ではない。仕事か仕事以外かでも不得手が分けられる。 仕事のテキストコミュニケーション>仕事以外のテキストコミュニケーション>仕事の対面コミュニケーション>仕事以外の対面コミュニケーション テキストは往々にして非同期で、推敲可能、特定の話題となるけれど、 対面は同期的なので推敲する時間的な猶予がなく、(恐らく自分が視覚優位なのもあり)短期記憶で相手の話していることが聞いたそばから脳から霧散してしまったり理解できなかったり、脳で処理して口話するという身体的な苦手感もあり、適切な会話の中心点が見つけられないことも多く本当に絶望することも多い。 絶望している素ぶりを見せないように振る舞うことも、変なこと言ってないかなと後から気に病むことも多く大変疲れる。 (テキストだと残るのと推敲する過程を経るために気に病む度はテキストの方が低い) あとは、聴覚で言語を処理する力が弱すぎて(音は聞こえるが脳内で言語に変換出来ないことが多い)聞き返さないと話しが理解出来ず、何となく分からないまま薄ら笑いで場を濁したり、濁せない時は聞き返す必要があって、これもまた気疲れする。 ---- コミュニケーションの3種類の図が自分の苦手を理解するのにとても役に立っている。1対1の対面コミュニケーションで会話の中心点が見つけられなくてあわあわするの、チャットかつテーマの固定性が弱いからかなとか。 ---- 「相手の内側から理解する」ということ。 ブログを書いてる人、ご自身のことについてテキストで書いている人であれば、人となりや考え、興味が分かって、対面であったとしても不安感があまりないのって他者理解が多少深まっている状態だからなのかなと思った。 ---- 備忘的につらつら書いてしまった。読み進めたらまたメモを残したい。
- 2025年9月12日
- 2025年9月9日
- 2025年9月4日〈私たち〉とは何かトリスタン・ガルシア,伊藤琢麻,福島亮,関大聡気になる「同一性をめぐる戦争が繰り広げられる世界で、人びとを団結させ同時に分断する〈私たち〉という言葉のありようを分析する」 https://h-up.com/books/isbn978-4-588-01188-7.html
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