
ふわち
@fuwachi
ふわち
- 2026年4月23日
- 2026年4月23日
心をたがやす浜田晋今でもたまに読み返すことがある本のひとつ。 太平洋戦争を生きた人の記憶が詰め込まれている。 国道も整備されていない時代の土佐の田舎。その土の匂い、海の景色、旧制高校の雰囲気など…今では体感することも見ることもできなくなってしまった時代の空気が綴られた文章の端端から匂ってくる。 そんな箇所もあれば、著者が医師となるために進学し、満州からの引き揚げ船の中で出産に立ち会ったこと、その際に臍の緒を絶つも、あろうことか臍の先。消毒してしまい新生児を死なせてしまったことがありありと語られている所もある。 当時の命の扱われ方は現代のそれとは全く異なっていた。著者自身もどうしようもなさに打ちひしがれるも腹は減り空腹に喘ぐ。この新米医師の頃から精神科医として勤務し始めた後まで、様々な話が展開される。 戦後は飢えの時代だったと回想する著者は人間の根源的なものをどこまで見つめたのだろうか。闇市や大学講義棟で、あるいは病床、閉鎖病棟でどれほどの現実を取り込み、それをどれだけの歳月をかけて濾してきたのだろうか。 この本も医学の専門課程を修了している人が読めばまた異なる味わいがあるのだろう。ただ一市民が読んでもエッセイの枠を超えてくる。少なくとも私はそう思っている。 著者が稀有な町医者であったことは間違いない。 言葉に立ち現れている。そんな著者と出会いにページを開くのだ。話を聞きに、聴いてもらいに出会いに行くのだ。だから読み返す。 いつかこの本について誰かと語ることができるといいなと思って生きている。 - 2026年4月23日
イン・ザ・メガチャーチ朝井リョウ気になる読みたい - 2026年4月23日
- 2026年4月22日
心をたがやす浜田晋かつて読んだ - 2026年4月22日
岸辺の旅湯本香樹実かつて読んだとある人物が蟹に食べられてしまうのです。 それが物語の重要な部分に関わってくるわけではないのだけど、このイメージがなぜかずーっと頭から離れないでくっついているのです。 私が海で死んでしまって、誰も知らない海の底に私が落ちて底生生物たちに食べられるのは一体どんな気持ちになるのでしょう。「死んでいるから分からない」は禁句です。ここを踏み込んでみる。でもやっぱり分からない。すると何かが足を浸してきます。きっと主人公もそんな風に分からなさと寄り添っていったのかなぁと思います。 個人的なことを言えば、この本を読んだことで蟹に対するイメージが決定的に変わってしまったのです。祖父に連れられた小さな海で潮溜りに残された蟹を見ていた、あの頃の私はもうどこにもいなくて、永遠に逢えないことを思い出しました。 - 2026年4月22日
機嫌のいい犬川上弘美気になる読みたい - 2026年4月22日
ざらざら川上弘美気になる読みたい - 2026年4月22日
大きな鳥にさらわれないよう川上弘美気になる読みたい - 2026年4月22日
- 2026年4月22日
死のやわらかい鳥さんの瞼気になる読みたい - 2026年4月22日
絶叫委員会穂村弘気になる読みたい - 2026年4月22日
老人ホームで死ぬほどモテたい上坂あゆ美気になる読みたい - 2026年4月22日
老人ホームで死ぬほどモテたい上坂あゆ美気になる - 2026年4月22日
アーのようなカー寺井奈緒美 - 2026年4月21日
老人ホームで死ぬほどモテたい上坂あゆ美気になる - 2026年4月21日
そして生活はつづく星野源気になる - 1900年1月1日
過疎ビジネス横山勲読み終わった買った読み始めた新聞記者の魂を感じる本だった。 著者の視点・論点はもちろんのこと、丁寧な説明をもとに読み手に問いかける姿勢が随所に見て取れる。本の中で扱われている主題が「官製談合」という一般には馴染みないものだが、著者は読み手を独りにしない。決して置いていかない。 新聞の一部は「大衆紙」と呼ばれたようにマスメディアであった。世の中ではオールドメディアと揶揄されることもあり、「大衆紙」はもはや死語と言われても仕方ないかもしれない。 しかし新聞が誰もがわかる言葉を使い、広く世の中の流れを知らせてきたことは事実だ。これは新聞報道が持つ矜持であり、SNSなどのメディアと一線を画す部分でもあるだろう。 著者はまさにこの点を心得て記事を書き、福島県国見町で起こった官製談合の一連の流れを一冊の本としてまとめた。凄い仕事だ。 著者の問題意識の深さには頷くばかりだった。 日本という国が壮大な撤退戦を迎える中で、私の生きる社会が、携わる部分が少しでも良いものであるためにできることを頑張ろうと思えた。 - 1900年1月1日
過疎ビジネス横山勲読み終わった - 1900年1月1日
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