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現状を鑑みるに、本を読むことよりも買う方が好きだと言わざるを得ない。
  • 2026年6月30日
    氷点(下) (角川文庫)
  • 2026年6月30日
    氷点(上) (角川文庫)
  • 2026年6月30日
    平和と愚かさ
  • 2026年6月30日
  • 2026年6月30日
  • 2026年4月8日
  • 2026年3月31日
    革命とサブカル
  • 2026年3月9日
  • 2026年2月19日
  • 2026年2月16日
  • 2026年1月30日
  • 2026年1月25日
    原点 THE ORIGIN
    原点 THE ORIGIN
    読んでよかった。安彦さんは誠実な人だと思う。 全共闘世代であることは知っていたのだが、自身も逮捕歴があり、安田講堂攻防戦に居合わせていてもおかしくないほど運動に入り込んでいたのは知らなかった。一方で学生運動のシンボルであったヘルメットとタオルを忌避し、対話を放棄した画一的なアジよりも、平易な言葉で人々に話すことを心掛けるなど党派的な振る舞いからは距離を取っていた。その弘前時代が自身の創作活動の「原点」になっている、そういう背景を知ると、いわゆるファーストガンダムの見方にも新たな面が見えてくるようだ。 安彦氏からすれば、富野由悠季は60年安保と70年安保世代の中間の人で「政治の人」ではないのだと言うのが印象的だった。ざっくり60年代の若者という同じ世代のように思ってしまっていたが、6つ違いというのは結構な違いのようだ(考えてみれば当然で、富野氏は戦前生まれで安彦氏は戦後生まれ)。ファーストガンダムと「THE ORIGIN」の違いはあるいはそこからきているかもしれないと思うと興味深い。 ところで、本筋とは関係ないのだが、村上春樹はノーベル賞を取っておらず、正式に候補になっているかどうかさえ公表されていないのに「ノーベル賞候補作家として名高い」(P143)と紹介するのはどうなのか。坂本龍一は「アカデミー賞受賞作曲家」ではなく「いまや日本のトップミュージシャンとして君臨する」(P98)と紹介しているのだから、村上も同じでよかったのではないか。
  • 2026年1月21日
  • 2026年1月19日
    虚弱に生きる (扶桑社BOOKS)
    虚弱に生きる (扶桑社BOOKS)
  • 2026年1月9日
  • 2026年1月2日
    現代日本人の法意識
  • 2025年12月15日
    安彦良和 マイ・バック・ページズ
  • 2025年12月5日
  • 2025年11月9日
    ユーゴスラヴィア現代史 新版
  • 2025年11月5日
    中動態の世界
    中動態の世界
    単行本時以来の再読。本を読んで人生変わるとかそういう経験はほとんどないのだが、自分にとって数少ない目から鱗が落ちた本。当時大きな影響を受けた。 単行本時には、「能動-受動」における責任は意志の概念と結び付けられており、意志概念は本書において徹底的に批判されているので、では責任はどうなるのかという問いは残っていた。文庫版補遺として追記された「なぜ免責が引責を可能にするのか──責任と帰責性」にてその問いに答えている。 意志によって根拠づけられた責任はいわば「堕落した責任」であり、意志概念ともども批判すべきだが、代わって「能動態-中動態」における「応答可能性/responsibility」としての責任が提示される。意志によって根拠づけられた責任は「帰責性/imputability」として応答可能性としての責任とは区別して考えられるべきものだという。 「帰責性」や「能動-受動」といった概念は社会を運営していくにあたって必要なものである(例えば近代の法体系などはそれが前提となっている)一方、それらが意志によって根拠づけられてしまうとむしろその役割を損なうことになると、ここでも本編同様、意志概念が批判されている。それゆえ、意志概念無しでの「能動-受動」の対立や「帰責性」を考えるべきだという主張は、ちょっと想像になかったので面白かった。そこから熊谷晋一郎氏の指摘を受けて、過去を切断する意志と、過去を振り返るからこそ感じる責任とを対義語として定義する。 さて、「帰責性」によって責任を感じるべき人を指し示したとして、応答すべきなのに応答しない人が、責任を感じて応答するようになるにはどうすればいいかという肝心の問題はどう答えているのか。熊谷氏や当事者研究を参照しながら、いくら「帰責性」を問うても責任の生成につながらないが、いったん免責するというプロセスを踏むことで逆説的に責任を感じるようになることがあるという。これは、不思議に思えるが、刑務所での更生支援に携わっていた岡本茂樹氏の『反省させると犯罪者になります』などの著書でも似たような話がなされていたと思う。どうも人間にはそういう心の動きがあるようだ。本書においても一応の理由の説明がなされているのだが、國分氏も自ら書いている通り、まだまだ理由の解明は充分ではないし、この補遺も現時点での仮説の提示にすぎない。 こうした責任をめぐる議論は、例えば戦争責任や差別やハラスメントといった、袋小路に陥りがちな問題を解きほぐすポテンシャルを秘めているように思う。逆に言えば、しばしばそうした問題が硬直化してしまうのは、意志概念をそこに見出して「堕落した責任」を追求してしまうからなのかもしれない。なんら自分の意志によるものでもない、場合によっては自分が生まれる以前からある問題に対して責任を感じることができるのはなぜなのか。今後の議論の展開に期待したい。
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