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現状を鑑みるに、本を読むことよりも買う方が好きだと言わざるを得ない。
  • 2025年11月9日
    ユーゴスラヴィア現代史 新版
  • 2025年11月5日
    中動態の世界
    中動態の世界
    単行本時以来の再読。本を読んで人生変わるとかそういう経験はほとんどないのだが、自分にとって数少ない目から鱗が落ちた本。当時大きな影響を受けた。 単行本時には、「能動-受動」における責任は意志の概念と結び付けられており、意志概念は本書において徹底的に批判されているので、では責任はどうなるのかという問いは残っていた。文庫版補遺として追記された「なぜ免責が引責を可能にするのか──責任と帰責性」にてその問いに答えている。 意志によって根拠づけられた責任はいわば「堕落した責任」であり、意志概念ともども批判すべきだが、代わって「能動態-中動態」における「応答可能性/responsibility」としての責任が提示される。意志によって根拠づけられた責任は「帰責性/imputability」として応答可能性としての責任とは区別して考えられるべきものだという。 「帰責性」や「能動-受動」といった概念は社会を運営していくにあたって必要なものである(例えば近代の法体系などはそれが前提となっている)一方、それらが意志によって根拠づけられてしまうとむしろその役割を損なうことになると、ここでも本編同様、意志概念が批判されている。それゆえ、意志概念無しでの「能動-受動」の対立や「帰責性」を考えるべきだという主張は、ちょっと想像になかったので面白かった。そこから熊谷晋一郎氏の指摘を受けて、過去を切断する意志と、過去を振り返るからこそ感じる責任とを対義語として定義する。 さて、「帰責性」によって責任を感じるべき人を指し示したとして、応答すべきなのに応答しない人が、責任を感じて応答するようになるにはどうすればいいかという肝心の問題はどう答えているのか。熊谷氏や当事者研究を参照しながら、いくら「帰責性」を問うても責任の生成につながらないが、いったん免責するというプロセスを踏むことで逆説的に責任を感じるようになることがあるという。これは、不思議に思えるが、刑務所での更生支援に携わっていた岡本茂樹氏の『反省させると犯罪者になります』などの著書でも似たような話がなされていたと思う。どうも人間にはそういう心の動きがあるようだ。本書においても一応の理由の説明がなされているのだが、國分氏も自ら書いている通り、まだまだ理由の解明は充分ではないし、この補遺も現時点での仮説の提示にすぎない。 こうした責任をめぐる議論は、例えば戦争責任や差別やハラスメントといった、袋小路に陥りがちな問題を解きほぐすポテンシャルを秘めているように思う。逆に言えば、しばしばそうした問題が硬直化してしまうのは、意志概念をそこに見出して「堕落した責任」を追求してしまうからなのかもしれない。なんら自分の意志によるものでもない、場合によっては自分が生まれる以前からある問題に対して責任を感じることができるのはなぜなのか。今後の議論の展開に期待したい。
  • 2025年10月22日
    戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない
    本書読了後にたまたま読んでいた2025年11月号の『世界』に掲載されているシンポジウムの講演録にて、高橋哲哉氏と三牧聖子氏もICCの持つ役割の重要性に触れられている。いまや長い戦後が終わろうとし、力がモノを言う国際情勢になろうとしている。そんななかで、戦後の遺産とも言うべき、中核犯罪を国際的な規模で裁く常設の裁判所の意義は大きい。 本書で赤根氏は所長選挙に立候補することを同僚たちから勧められたことの理由に、自身の仕事ぶりが評価されたこと以外に日本に対する信頼があったと述べている。「法の支配」の価値を訴え、貫徹している大国である日本がバックにいれば、いざというときに頼りになるとの期待があったのではないか、と。日本にそうした視線が向けられているのはやや意外(?)だったのだが、そのような信頼があることは日本の将来において重要な意味を持つのかもしれない。少なくとも今後数十年は、日本は経済的にも軍事的にも大国たり得ず、国際情勢に翻弄されることしかできないだろう。そうした状況下で日本が主体的に国際情勢に関われる部分があるとしたら、こうした普遍的な理念や価値観を訴え守っていく立場としてくらいではないか。 現在、日本はICCへの最大の分担金拠出国となっているそうだ。こうした事実をこそ日本人は誇りに思うべきだと思うが、昨今の内向きな国内情勢を考えると、いつ日本がこの役割を放り投げることになってしまうかもしれず心許ない。そうなればICCの存続も危ぶまれる。赤根氏はICCの設立は冷戦終結後の国際社会の雪解けムードの時期だったからこそ実現できたのであり、だからこそICCが一旦無くなれば、今の国際情勢では再建することは絶望的だと言う。そうなれば、やはり日本が大国として振る舞える余地もないだろう。日本の国益という観点からも日本が「法の支配」に基づく国際秩序を擁護する立場を貫くことを願いたい。 なお、ICCの裁判官や検察官といった人々の人数は決まっており、公判が増えると一人当たりの負担も増す。赤根氏は所長になってから土日も仕事をするほど忙しく、ワークライフバランスなど考える余裕もなさそうだ。サイバー攻撃やスパイ侵入未遂、アメリカの制裁にロシアからの指名手配と、心休まる暇もないだろうに、職務を全うされる様には敬服するしかない。
  • 2025年10月16日
    世界 2025年 11 月号
  • 2025年10月12日
  • 2025年10月9日
    秋葉原事件を忘れない
    秋葉原事件を忘れない
  • 2025年9月23日
  • 2025年9月23日
    なぜ人は自分を責めてしまうのか
    タイトルに興味を惹かれて読んだ。 帯と表紙に「わかりやすい」「やさしい」とあるのだが、個人的には存外に読みづらかった。書かれている内容そのものは平易なもので部分的にはよくわかる。が、タイトルの「なぜ人は自分を責めてしまうのか」という問題意識だけで入ると、いきなり「母娘問題」の概要から始まるのだが、そのふたつがどう繋がっているかが自明ではない読者にとってはちょっとわかりづらかった。この本全体を貫く通奏低音は家族の問題で、とりわけ「母娘問題」であるということを前提とした本だということがタイトルで示されていればよかったのにと思う。信田氏の著書を読んだことがあれば自明なのだろうが、自分は初めて読んだので。どうも、自分にとっては最初の一冊として不適切だったようだ。内容自体は興味深く読んだので、別の本をあたってみようか(たしか積読本の中にあったはず)。
  • 2025年9月21日
    エモさと報道
    エモさと報道
    読めば読むほど朝日新聞がなぜ議論に応じないのかさっぱりわからなくなる。 仮に「エモい」路線に振り切ったとて、もはや今の新聞社のスケールを維持することなど到底出来そうもない。民業として成立していたここ100年ほどの歴史がむしろ例外的で、今後も維持していくためには補助金や助成金を入れることも考えていいという著者の提案は、従来の報道の独立性を脅かしかねないものなので驚いた。とはいえ、すでに軽減税率も適用されているし、放送事業者には公的な資金も流れているのでまったくありえない発想ではないようだ。 なにより、そこまでして既存の新聞社を維持しなくてはならないという大前提に立っている著者は、それだけ新聞社の持っている役割を重要だと考えているということで、一度これが壊れれば元には戻らないという強い危機感がある。それだけに議論にすらならなかったのはかえすがえす残念だ。
  • 2025年9月16日
    see you again
    読んだ。時間がかかったが第4部以降は一気読み。『カラマーゾフの兄弟』を読み終わった時のような読後感。はたして続編は書かれるのだろうか……。
  • 2025年9月14日
    反省させると犯罪者になります
  • 2025年9月12日
    see you again
    帯にあるように924ページ一気読みとまではいかないが、やっと半分読んだ。途中二段組どころか三段組の章まであってとにかく読むのが大変。重いし。しかし、内容は凄まじい。早く読み切りたい。
  • 2025年8月27日
    「あの戦争」は何だったのか
  • 2025年8月25日
  • 2025年8月23日
  • 2025年8月18日
    ルポ 京アニ放火殺人事件
  • 2025年8月15日
    黒い雨
    黒い雨
  • 2025年7月30日
    日本の国民皆保険
    医療保険制度についてそもそも成り立ちも仕組みもちゃんと説明された事ないなと思い読んだ。労働者向けの被用者保険は欧州先進国にモデルを求めることができたのに対し、窮乏著しい当時の農民向けの医療保険は他国に範を求めることができず、日本独自の制度を作らざるを得なかった。そこで「カイシャ」という共同体を基盤とする労働者向けの雇用者保険に対し、農民は「ムラ」という共同体を基盤とする国民健康保険にてカバーし、それが発展して今日の国民皆保険につながったという経緯は興味深かった。しかしそうなると、いまや「カイシャ」や「ムラ」に限らず共同体意識が弱まってる現状で、医療保険の先行きは大丈夫なのだろうか。医療財政や細かな制度論の話も重要だが、門外漢としてはそっちが気になってしまった。
  • 2025年7月5日
    考えるよろこび
  • 2025年7月5日
    小説 仮面ライダークウガ
    小説 仮面ライダークウガ
    ワンチャン超クウガ展行けるかもと思って見返して、小説版も読み返したけどどうも無理っぽい(泣)。小説版読むと、本編で描かれていたことの重みがより一層感じられるようになる。しかし、この小説版でさえもう12年前なのか。平成ももはや遠いのだなと感じる点が多かった。
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