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まめの
@mameno
  • 2026年8月7日
    カウンセリングとは何か 変化するということ
    memo 心は計画通りには進まない。計画通りに進む心は、それ自体として不自由なままだとすらいえます。 何十年もかけて作ってきた自分の心が、半年とかで変化したら怖いですよね。 ちゃんと生きるとは、ときどき死んで、その都度新しく生まれることです。僕らの人生には節目節目で「死と再生」が挟み込まれています。 人生には、さまざまな終わりがあり、別れがあります。これらと直面することで、僕らの人生は大きく変わらざるを得なくなります。 そう、終わりはこの本のテーマであった変化するということの本質と関わっています。 カウンセリングをしていると、真に難しいのは新しい物語を始めることではなく、古い物語を終えることだと切に思います。 僕らは古い物語を背負っていて、それに執着することで、行き詰まってしまう。そこには古い夢があり、古い幻想があります。 だからこそ、古い物語を終わらせることには痛みがある。 心の変化には科学的な次元もあるし、文学的な次元もある。この両方を生きるのが、人間である。 (科学的な次元…目に見える形で客観的に変化すること。「生存」という価値を目指しているもの。 文学的な次元…外からは見えにくいけど、本人の中では確かに実感されている変化。「実存」の変化。心のもっとも個人的な次元に関わる。) それが心の真実なのだと思います。話を聞いてもらうこと。長い長い話を、複雑で矛盾に満ちた話を聞いてもらうこと。そのようにして聞いてくれる人が安定して居てくれたこと。
  • 2026年7月29日
  • 2026年7月22日
    伝わる・揺さぶる! 文章を書く
  • 2026年7月14日
    問題発見力を鍛える
  • 2026年7月8日
    〈私〉を取り戻す哲学
    細かい情報の塵が山ほど頭に積もり、何かをゆっくりと立ち止まって考えるための空き容量が不足しているからである。みんなに追いていかれたくない、という漠然とした同調意識に支配されて、自分が何を欲しているのかを深く考えなくなっているからである。そして、<私>の不在。これが最も深刻である。情報に意味を与える<私>がいない。(20ページ) 平福な人とは、楽しみ・快楽を既に得ている人ではなくて、楽しみ・快楽をもとめることができる人である、と。楽しさ、快楽、心地よさ、そうしたものを得ることができる条件のもとに生活していることよりも、むしろ、そうしたものを心からもとめることができることともが貴重なのだ。 (國分功一郎「暇と退屈の倫理学』、五五頁) 私)を深く見つめ直すことは、他の<私>(=他者)を尊重する態度を陶治するだろう。それぞれの(私)が<私)を取り戻すことで、複数の<私>による協働のプロジェクトとして、言論は再始発することになるのだ。そして、これはデフォルトの<私>を受け入れることから始まる。どうにもならない<私)が、ここにいるのである。(65ページ) 問題解決が余りに強調されると、まず問題設定のときに、問題そのものを平易化してしまう傾向が生まれます。単純な問題なら解決も早いからです。このときの問題は、複雑さをそぎ落としているので、現実の世界から遊離したものになりがちです。言い換えると、問題を設定した土俵自体、現実を踏まえていないケースが出てきます。こうなると解答は、そもそも机上の空論になります。 (帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』、一八六頁) さまざまな場面で遭遇する問題には、「答え」が一つに絞れないものもある、ということだ。それどころか、「問い」すらまともに立たないことだってあるだろう。(204ページ) ワクチン接種や父とのお別れの場合、どうしても判断に迷いが出たし、どれだけ考えても「これだ」という納得感は形成されなかった。しかも、調べてどうにかなる問題でもない。ワクチンを接種する直前まで、これでもし私に何かあったら、それとそ家族に迷惑をかけてしまうかもしれない、高校時代の友人たちは自分の言葉に責任を感じてしまわないだろうか、と、自分の判断と行為に迷いを感じていた。父が死んでしまったいまでも、もっと感謝を伝えられたのではないか、という未了の感に、私は苛まれている。(199ページ) しかし、すべてにけりをつけて、いつも迷いのない生を生きるという発想が、<私>を追いつめることもある。うまく答えを出せない<私>に自己嫌悪を覚え、生きるのが辛くなってしまうのは、すべてに答えがあると思い込み、それを導き出そうとする私)がいるからなのかもしれないのだ。(201ページ) ネガティブ・ケイパビリティを行使するとは、どうしようもない状況から逃げることを意味しない。逆に、どうしようもない状況に立ち向かうことでもない。判断保留は逃げるひとでも立ち向かうことでもないのである。それはいわば、両方から距離を取る能力だからだ。謎を謎として、不安を不安として、迷いを迷いとして、そのまま持ちこたえ、その先の新しい展開の可能性のために態度を保留する。(206ページ) ここで注意すべきは、判断保留は思者や情動を抑止することではない、ということである。(209ページ) それはきっと、〈私〉に嘘をつかないことでもある。自分を偽って、現実を歪曲して、その場しのぎの答えを出すよりは、(私>が置かれている状況を認めた方が、肩の力を抜いて生きられることもある。問題の所在が分からないのが、正当な場面だってあるのだ。(210ページ)
  • 2026年6月29日
    PRIZE-プライズー
    すごく引き込まれてスッと読めてしまった。 「好き」や「憧れ」は原動力でもあり、その一方強すぎると毒のような麻薬のようなものでもあるのかもしれない。 好きすぎて【他人のプールにとびこんでしまう】。 侵してはいけないところはどんな関係性だってあるのに、いつのまにかそうなってしまう。 あの人が、報われてよかったなぁ。
  • 2026年6月25日
    おつかれ、今日の私。
    おつかれ、今日の私。
    「人って、思いもよらない方向に変わるよね」 彼女が笑った。その通りだ。私たちだって、取捨選択を繰り返し、かなり変わったもの。 「変わってからのほうが、楽しいよね」彼女が続ける。私は深く頷いた。 この二十数年で学んだことは、一歩踏み出せば結果的になんとかなる、ということ。彼女も私も、踏み出したからこそ「これから先も、なんとかなる」と自分を信じられるようになった。 ネガティブを頭から追い出せないのなら、そのあいだに手を動かして顔の手入れをしてしまおう。 落ち込むたびに顔が綺麗になるなんて、我ながら素晴らしいシステムを開発したと思うんだよね。
  • 2026年6月25日
    世界のほうがおもしろすぎた
    自分が惹かれる文章を並べてみたら、根っこにあるのは「確定させないことへの信頼」なのかもしれないと思った。 わからないもの、ぴったり言い切れないもの、まだ名づけたくないもの。 それらを「欠けている」のではなく、余白を含んだものとして受け取ること。 すぐに正解に回収しない。 自分の中にある複数の自分も、矛盾も、曖昧さも、そのまま置いておく。 それは優柔不断ではなく、物事を狭めすぎないための豊かさなのかもしれない。 ---引用 思想とか文化というものは、チグハグのほうがいいと思っているんです。チグはチグ、ハグはハグというふうに、どちらかにはっきりさせないほうがいい。それを何もかもはっきりさせて、きっちり分けられるものを分けよう、取り違えをおこさないようにしようとしすぎると、〇✕式の答えあわせにこだわる社会、コンプライアンス型の社会にどんどん嵌まっていってしまう。これはやばいですよ。 もちろん、チグハグ状態はあまりにも曖味に見えるので、ふつうは耐えられない。どちらかにしてほしい、はっきりさせてほしいと思ってしまいがちです。でも、本来はどんなものも、チグとハグの両方状態で、抜けばいいのか打てばいいのかはっきりしないものなんですよ。自然界では、生命も物質も、植物の芽から素粒子・量子にいたるまで、だいたいのものがチグハグ状態にあります。それをチグとハグに分けているのは人間側の事情や都合にすぎないし、しかもごく一部分でしかかかわろうとしない見方になっていることが多いんですね。 実物そっくりになるというのではなく、ある程度の幅をもって許容しうるものにしていくというのかな。 ですから、見えるものと見えないものとの関係ということだけじゃなくて、見えても少し保留するもの、仮置きにしておきたいものもいっしょに入れておく。 いまはポップスなども正しいこととか、多数の人が理解できることに寄せすぎていて、つまらないですね。変異や事変を取り入れられなくなっている。誤解されたり理解されなかったりすることを恐れすぎているような気がします。 本当は、誰もが自分のなかに、いくつもの自分というものを持っている。かつてプロ野球選手に憧れた自分、ピーター・パンのように空を飛べると思っていた自分、ファイティング原田のように三分間の闘いに挑もうとする自分というようにですね。 自己というのはほんとうに覚束ないものだ、自分で「これが自分だ」と思っているものなんて、ほとんど当てにならない、自分というものもまたトレースできないものなのだ つまらないところがあるなんて、当たり前のことですからね。 じつは、どんな著書も、いちばん書きたいことを、あんがいちゃんと着けていなかったりするんですね。 どんなテキストも、最初の読者は書いた本人なんですね。その最初の読者である自分というものを、どれくらい膨らませていけるかを、文章を書きながらずっと意識しています。 【空(くう)】 真理を知っていながら追求をそらすというか、直感はしているのに名指しはしないというか、あえてそこで勝負をかけない。 如来になるということも、勝負なんかと関係がないわけですよね。むしろ、そうなろうとすることに自宿や自慢を持ちすぎてしまってはいけない。そこを「空」のままにしておく。おそらく、そういうことに気がついた人たちが、あえて菩薩にとどまるというあり方を選んだんじゃないか。 --- 言葉で説明し尽くしすぎない、含みや意図しない解釈までを許容した文章
  • 2026年6月13日
    〈私〉を取り戻す哲学
  • 2026年6月12日
    私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
    【私とは何か】 ◆この本から感じた・学んだこと ・**個性は**、他者や本などとの出会いによって**変化する!** ・個性(その人らしさ)=分人の構成比率。 ・いろんな分人が集まっているのが「自分」。 その分人も1:1:1:1みたいな感じじゃなくて、1:10:5:2みたいに自分の中で比率が変わる。 ・「自分には価値がない」…自分を構成している(複数ある)‘分人’の一つに、そう思う‘分人’がいるだけのこと。 確固たる「自分」なんてものはない。 これが自分なんだと、【本質規定】しない! ・好きな分人、嫌いな分人、どんな分人も何もないところからポンとは生まれない。 なぜなら、分人とは他者との相互作用で生まれるものだから。 **好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場にして生きていけばいい。** 私はこれを読んで、以下のことをやってみようかなと思いました。 ①いい感じな自分(分人)、やだなーと思う自分(分人)を、他者や環境との関係から書き出してみる (Aさんといるときは考えが深まるな、とかBさんといると嫌なことばかり言っちゃうな、など) ②「やだなーな自分」の比率を減らして、いい感じな自分の比率を増やす方法を考えてみる
  • 2026年6月10日
    負ける技術 (講談社文庫)
    短所だって逆に言えば長所になるので、短所の数だけ長所があると言っていいだろう。つまり私には三億個くらい長所があるということになり、別段困ることはない。
  • 2026年6月9日
    世界は夢組と叶え組でできている
  • 2026年6月2日
    星の王子さま
    星の王子さま
  • 2026年5月28日
    幸せになる勇気
    幸せになる勇気
    われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。
  • 2026年5月18日
  • 2026年5月18日
    レッツもよみます
    レッツもよみます
    ページターナーズで紹介されていた本 読み聞かせから、自分で読む、へ移行する子どもの気持ちと、両親のやりとりが簡単なことばだけどとても優しく、わかりやすく書いてあった。 いつでも戻ってこられる(読み聞かせをお願いしたらしてもらえる)っていう安心感が、自分で読みたい、自立したい気持ちを後押しすることに繋がるのかななんて思ったりした。
  • 2026年5月14日
    一流の人に学ぶ心の磨き方
  • 2026年5月4日
    自分で名付ける
  • 2026年4月27日
    新版 図解 やさしくわかる認知行動療法
  • 2026年4月27日
    国枝慎吾に学ぶ!自分らしく輝くためのセルフ・コーチング
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