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りなっこ
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@rinakko
寒がり変温動物。にょろにょろしている。本を読む。 アイコンは、以前お迎えした “わたくしは誰でもない。あなたは誰?” のエミリー。
  • 2025年8月25日
    獣の記憶 (創元推理文庫)
    獣の記憶 (創元推理文庫)
    再読。初読は10年前、18世紀フランスで実際にあった〝ジェヴォーダンの獣〟事件(狼に似た獣が殺戮を繰り返したとされるが真相は謎)に関心があり手に取ったのだった。今回も面白く読んだ。 フランスが外国で物笑いの種になってしまった事態を終結させたいベルサイユの思惑と、野獣の存在によって生活を脅かされている地方の人々の願いはかけ離れていた。博物学者を目指す主人公トマは狩人隊に同行し、野獣に遭遇して傷を負った少女と出会う。 若かりし頃のデュ・バリー夫人やイザベルの果敢さに惚れ惚れ。黒い聖母やお伽噺の力が果たす役割も忘れがたい。
  • 2025年8月21日
    歪み真珠
    歪み真珠
    再々読。やはり素晴らしい。うとり…隅々まで堪能した。 熱に浮かされたような乙女たちと美神(ヴィーナス)、娼婦と人魚、誰にも追いつかれないアタランテ(凄くいい)、『ラピスラズリ』の落穂拾いの“私”と姪のトマジ、纏足の女王…と、少女や異形の女たちから気持ちが離れがたい(あ、ゴルゴンゾーラ大王も大好き)。こちら側からは触れえぬ硬質な世界の、まやかしの遠近法に惑わされる心地も格別だった。 美麗な装幀の単行本を愛蔵しているけれど、山下陽子の装画もぴったりで素敵だ。
  • 2025年8月20日
    偏愛蔵書室
    偏愛蔵書室
    読み返したい。 “可能な限り筋を語らず言葉に留まるガッダの天邪鬼は、ジョイスを初め、古のラブレーやスターンらにも比すべきだ。そこには小国の統合で成ったイタリア特有の、重層的な「訛り」の混沌(カオス)が渦を巻いている。言葉に病んだ作家の、言葉への恐るべき復讐。それがこのむっちゃくちゃな小説である。” (むっちゃくちゃ文学事件 『メルラーナ街の恐るべき混乱』カルロ・エミリオ・ガッダ)
  • 2025年8月19日
    メルヒオール・ドロンテの転生
    メルヒオール・ドロンテの転生
    素晴らしかった。前世の記憶があるという“わたし”ゼノン・フォラウフの語りによる、メルヒオール・ドロンテの数奇で苛酷な人生。 18世紀の田舎貴族の跡取りに生まれた主人公は、特権を振りかざす傲慢な父親に似つかぬ繊細で感じやすい若者だった。父に見限られた彼は、戦争を潜り抜け危機に会うたびに不思議な回教僧に救われる。オカルティズムが満載で、フランス革命当時のヨーロッパの時勢と掛け合わせてとても面白かった。
  • 2025年8月18日
    ゆかいな神統記
  • 2025年8月14日
    偏愛蔵書室
    偏愛蔵書室
    既読本の頁に引き込まれる。 “ナチスに銃殺されたポーランド作家ブルーノ・シュルツはカフカの翻訳者だった。その作品にもカフカ的幻想性が横溢している。だが何より特筆すべきは、その幼年回想風な美しい詩的描写のさまだ。(略)ことほど左様、シュルツの文体はただ眼でふれる画布か楽譜と同じで能書きは通じず、言葉でありながら言語化(合理的説明化)されることを拒み続ける。” (詩の言葉で小説を 『肉桂色の店』ブルーノ・シュルツ)
  • 2025年8月12日
    シェイクスピア全集(23)
    シェイクスピア全集(23)
    再々読。トロイ戦争を題材とした戯曲なので、アキレウス、ユリシーズ、ヘクトル、アエネアス…といったお歴々がそろっていて、それだけでも楽しめる。 トロイラスとクレシダの恋については、ただクレシダが不実だったという単純なことではなく、そも男たちが始めた愚かな戦(“事の起りは淫売と間男”)の彼女は被害者であり、元々は敵地だった場所で新しい恋人を得ようとするのも、生存本能の強い女子の成せる業…という見方もあっていいと思う。トロイラスは彼女の強かさを見くびったのではないか。“あれはクレシダであってクレシダではない。”
  • 2025年8月11日
    シェイクスピア全集(6)
    シェイクスピア全集(6)
    再々読。シェイクスピア、最後の恋愛喜劇。登場人物たちが皆片思いという設定は、今も昔も人気があったりするのかな…と。ヒロインのヴァイオラが正体を隠して男装しているから、ややこしいことになるのだが。 そしてアントーニオは恋に破れた感じ…取られたというか…(セバスチャン!)。 “赤いお前の唇は、処女神ダイアナも及ばない。その細い声は/少女の声のように高く澄み切っている。/すべてが女役を演じる少年俳優そのものだ。”
  • 2025年8月8日
    翻訳する私
    翻訳する私
    「二つに割れた言語世界」に生まれたという自意識を持つ著者にとって、書くことと訳すことは同じ行為の両面だった。そして翻訳に教えられ、翻訳故に言語へ深く踏み入り集中していく…と。 エコーとナルキッソスの神話を取りあげた、エコーはユーノーに呪われて翻訳作家となり、声でしかない最終形に至るという考察は面白かった。そしてナルキッソスは原作者でもあるが、一方で翻訳者に似た特性も持っている(二人は同じコインの裏表) 第三の言語であるイタリア語で書く理由。どんなにイタリア語に魅かれ愛しても、「私の」イタリア語とは認められないことについて、など
  • 2025年8月6日
    シェイクスピア全集 1 ハムレット
    シェイクスピア全集 1 ハムレット
    再々読。復讐の物語であり、気高さと存在の意味を熟考しすぎて復讐を遅らせ続けた男の悲劇である。 そして純粋な被害者はオフィーリア。かつて100分de名著では、「尼寺へ行け」はハムレットの愛情表現だという話だった。 つまり、復讐の為に愛を諦めざるを得ないハムレットは、オフィーリアにはそのまま清純でいて欲しい故に、尼寺にいて誰のものにもならないで欲しいのだ、という解釈、「なるほど…しかし何と身勝手な」と思わずにはいられない。だが、確かにオフィーリアの汚れなさや従順さ(今の感覚では他愛ないほど)はここで際立っており、彼女の狂気と自死はただ痛ましく忘れがたい。
  • 2025年8月4日
    シナバー 辰砂都市
    シナバー 辰砂都市
    〈ヴァーミリオン・サンズ〉からインスピレーションを受けた作品なんて、読まずにはいられない。つい期待した “あの世界と地続き” のような内容ではなかったけれど、70年代頃のSFの懐かしい雰囲気は楽しめた。
  • 2025年7月31日
    シェイクスピア全集(15)
    シェイクスピア全集(15)
    再々読。アーデンの森を舞台にした恋愛喜劇で、当時流行したという牧歌文学(例えば理想化された羊飼いたち)を皮肉っているのがシェイクスピアらしい。愛についての洞察と、恋愛以外の繋がりも大切に描いている(ロザリンドとシーリアの仲の良さとか)ところが好きな作品。 男装して森で暮らすロザリンドのおきゃんな素地は可愛いし、ロザリンドのふりをしながら(本人なのにw)意中の人であるオーランドーに恋の手ほどきをしつつ導いていく聡明さも素敵だ。そしてその捩れた設定の眩暈感よ(少年俳優で観てみたい)。森には魔法が潜んでいる。
  • 2025年7月29日
    領土
    領土
    堪能した。くるおしい追想の中で途方に暮れる少年たちの姿を見送りながら、不可思議な言葉の連なりの間を揺蕩う心地は格別だった。あくまでも小説であることに拘った実験的な幻想小説であり、散文詩の方法を使って譜面のように文章を読ませる試みがされている。 とりわけお気に入りは、思わず笑ってしまった(水の循環w)「尿意」や、ポール・デルヴォーの女たちみたいなマネキンの場面も好きな「百貨店残影」、度を超えた巨大彫刻群の眺めに慄く「聖家族学園」、無人の地下街にたたずみ少年の頃の記憶をたどり始める「中央駅地底街」。
  • 2025年7月25日
    旅のリズムと、うたう手紙と、
    旅のリズムと、うたう手紙と、
    素敵な製本(観音開き蛇腹製本、というらしい)の詩歌集。架空の世界を旅するふたりの、お互いを思いあう言葉のやりとりが瑞々しく響く。 〈まだ音にしたことはない君の名を氷のごとく口に含んで〉 思いついて 手巻きの腕時計を二つ買った 一つは君に 一つは僕に 真ん中の町で出会う日まで 君の時計を毎日巻こう 真ん中の町から始まる 新たな時間のために 〈君の手の時計で遠く刻まれる僕の時間を思うはつなつ〉 〈君がくれた時計に耳を押しあてて過ぎゆくもののおおかたは夢〉
  • 2025年7月24日
    シェイクスピア全集(25)
    シェイクスピア全集(25)
    再読。シェイクスピア中盤(成長期の終盤辺り)の作品。解説にある“歴史劇から悲劇への橋渡し”という言葉に、なるほど‥‥と。 “お前もか、ブルータス?——ならば死ね、シーザー。”
  • 2025年7月23日
    本のなかの少女たち
    “少女”というモチーフには昔から心魅かれてやまないし、私自身にも“少女”に拘り続けているところがある。そんな訳で読んでみて、「なるほど…」と頷くところとそうでもないところがあり(時代性の所為かも知れない)、兄妹や姉弟の関係を軸に語られる少女像などは、あまり考えたことのない観点で興味深く読んだ。 そしてもう読んでいる最中から、私だったら誰のことを語りたいかな…と、今までに文学の中で出会ってきた大切で特別な少女たちのことを思い出さずにはいられなかった。(あと、『恐るべき子供たち』はそう読めるのか…と驚いた)
  • 2025年7月21日
    シェイクスピア全集(17)
    シェイクスピア全集(17)
    再々読。シチリアのメッシーナを舞台にした恋愛劇で、二組のカップルがお決まりのハッピー(?)エンドを迎える。ビアトリスとベネディックは、顔を合わせれば舌戦が始まる独身主義者同士だけれど、実は相手のことを理解はしている。多分、所謂お似合い。一方、ヒアローに一目惚れをしたクローディオの求婚は、すんなりと上手くいきかけるが…。  騙されていたとはいえ、ヒアローへのクローディオの仕打ちがあまりにも酷くて唖然とする展開で、男社会において寝取られ男になる(体面を汚される)ことへの恐怖心が如何に強いかということの表れと考えると、何だかなぁ…  ビアトリスがヒアローのために激怒しながら「私が男だったら!」と叫ぶところ、心からの言葉だろうな…と胸が痛い。
  • 2025年7月18日
    誰の死体?
    誰の死体?
    再読。すっかり内容を忘れていて面白かった(流石に犯人は途中で思い出したw)。デンヴァー先代公妃が素敵だ。
  • 2025年7月16日
    シェイクスピア全集(9)
    シェイクスピア全集(9)
    再々読。やっぱり面白かった。言ってみれば、悪漢フォルスタッフを主人公に据えた『ヘンリー四世』のスピンオフで、シェイクスピアには珍しく特に材源のないドタバタ喜劇。 フォルスタッフから同じ内容の恋文を受け取った貞節な女房たちが、互いに手を組んで不埒な誘惑者を懲らしめるのが痛快だ。ついでに嫉妬深い夫も諫められるが、その女房も娘には愛のない結婚を強いていたり…。フォルスタッフは恥をかかされ、でも最後は大団円。 エリザベス女王からのリクエストで書かれたというのは、伝説の域を出ないそう。
  • 2025年7月15日
    多和田葉子の地図
    素晴らしい読み応え。多和田葉子の代表作が、世界文学としてベンヤミンやラカン、ドゥルーズ+ガタリなどの理論を援用しながら読み解かれる。クィア/フェミニズム的モチーフ、動物への生成変化、エクソフォニーとノマディスム… 其々の理論を読むのには時間がかかったけれど、「なるほどそう読めるのか!」と驚嘆の連続だった。それによると、私の大好きな作品『飛魂』の女たちの群れは、亀鏡を中心としたシニフィアン的体制からなるミニ国家で、そこからこぼれ落ちるのが音読派の梨水の存在だった。『旅をする裸の眼』の夢幻能の形式にも驚いた。
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