生誕の災厄 〈新装版〉

生誕の災厄 〈新装版〉
生誕の災厄 〈新装版〉
E.M.シオラン
出口裕弘
紀伊國屋書店出版部
2021年5月28日
34件の記録
  • jirowcrew
    jirowcrew
    @jirowcrew
    2025年11月22日
    「<幸福に>生きようというのなら、いつも心に、免れえたさまざまな災厄を描き出してみる必要がある。これは記憶力にとって償いの一助ともなるはずだ。というのも、記憶力はつねづね、免れえなかった災厄のことばかり蓄めこんで、幸福を冷遇するべく努め、みごとに成果をあげているからである。」 p.87 「「一切は幻影にすぎない」と言いきるのは、幻影の前に香を焚くことであり、幻影に高度の、いや最高度の実在性を認めることである。本当は幻影の権威を破壊せねばならぬはずなのに。 では、どうしたらいい。一番いいのは、幻影を声高に説いたり、告発したり、幻影について考えるという形で、幻影に隷従したりするのをやめることである。すべての観念を失格させる観念は、それ自体が極梏なのだ。」 p.318 2025.11.22 どんな気持ちになるのか、恐る恐る本位の興味で 自身の誕生日に読む。 表面上の期待は見事に裏切られる。 この本には、 災厄どころか希望しか書かれていない、 ように思える。 「逃れえなかった災厄」、 それの最たるものが「生誕」である。 という、 「すべての観念を失格させる観念」。 著者の言う「誕生の災厄」もまた、  著者の言う「幻影」に過ぎないということ。 それが最も著者の言いたかったことではないか ーー「桎梏」というびっくり箱から 古いスケルトンを脱皮しながら飛び出てきた 軽みを帯びた後頭部、そして 汚れた両手でキャッチする生来のインフィル。 p.318における文章の「幻影」を 「誕生の災厄」に置き換えてみる。 「一番いいのは、誕生の災厄を声高に説いたり、 告発したり、誕生の災厄について考える という形で、誕生の災厄に隷従したりするのを やめることである。 すべての観念を失格させる観念は、 それ自体が極梏なのだ。」 この本を手に取ったのは、 「誕生の災厄」というタイトルに どこか共感を得ていたからこそ。 そして、上記のような発想に至ったのは、 「誕生の災厄」という自身が抱いていた 一種の深刻な観念から逃れたいという、 無意識下の希望に動かされたからこそ。 こういった「反転の操作」を 読み手に為すところがまた、 シオランの底知れぬ創造力ではないか と思い至り、なんだか、 「ああ生きているなー」 というじんわりとした熱が 冷えた足の裏から湧いてくる。 誕生日、この日限りの惑惑が不惑。 四×四=十七の可能性をまだ残す。 「では、どうしたらいい。」 これがシオランから読者への 最高度の優しさだと感じる。 自身の合理的で右肩下がりの記憶力にさよなら。 また一つの「誕生」、 誰も知らないシンバを掲げる シオランが産婆(サンバ) その反復をこそ祝いたい。
  • K
    K
    @readskei
    2025年11月22日
  • りなっこ
    りなっこ
    @rinakko
    2025年11月16日
  • 雨
    @___amadare
    2025年11月10日
    みずから欲するときに自殺できると確信できなくなったとき、はじめて人は未来を恐怖するに至る。(p.120) ⁡ 前を見るな。後ろも見るな。恐れず悔いずに、おまえ自身の内部を見よ。過去や未来の奴隷となっているかぎり、誰にも自己のなかへ降りてゆくことはできない。(p.133) ⁡ 自己のなかへ還り、存在と同じぐらい、いや、存在よりももっと古い沈黙を見つけだすこと。(p.140) ⁡ しかし、一体、どうしたのかね、君は。どうしたというのかね。──何でもない。どこも、なんともないんだ。ただわたしは、自分の運命の外へ一跳びしてしまって、いまではもう、どっちを向いて歩いてゆけばいいのか、何にむかって駆け寄ればいいのか、まるで分からなくなっているだけのことだ。(p.320)
  • jirowcrew
    jirowcrew
    @jirowcrew
    2025年11月3日
  • りなっこ
    りなっこ
    @rinakko
    2025年9月29日
    “ラップランドから帰ってきた友人が、何日も何日ものあいだ、人影の片鱗にも行き合わぬときの息苦しさを語った。何が息苦しいのか、私にはどうしても分かりかねるが。”
  • 金原ひとみさんが紹介していた本。気になってメモしてあったみたい。
  • りなっこ
    りなっこ
    @rinakko
    2025年9月24日
    “非の打ちどころのない形で、ポエジーというものを描き出してもらった例を、私は一つしか知らない。これはエミリー・ディキンスンの言葉なのだが、本物の詩を前にすると、彼女は猛烈な寒気(さむけ)に捉えられて、もはやどんな火も、この身を暖めはしないだろうと思うのだそうだ。”
  • りなっこ
    りなっこ
    @rinakko
    2025年9月8日
    生まれるという事実のなかには、はなはだしい必然性の欠如が見られ、平生より少しでも長くそのことに思いを凝らせば、どういう反応を示したらいいのか分からなくなったすえ、私たちの表情は馬鹿のような薄笑いに固定してしまう。
  • ももんが
    ももんが
    @Persona4
    2025年7月21日
  • Blue moon
    Blue moon
    @mimosamimi
    2025年7月21日
  • 茅野
    茅野
    @mizuumis
    2025年7月20日
    何も読めない時は電書で断片を
  • acco
    acco
    @aco_spc032
    2025年6月20日
  • 橋本吉央
    橋本吉央
    @yoshichiha
    2025年6月19日
    『鬱の本』で海猫沢めろんさんが紹介していたシオラン、気になる
  • sayom
    @rosedale
    2025年5月12日
  • 釣
    @nrvn
    2025年5月6日
    金原ひとみさんがTVで紹介していたシオラン 名前は知っていたけれど特に気に留めていなかった がぜん読みたくなる
  • しゅく
    しゅく
    @ct2011
    2025年5月5日
  • sei
    sei
    @_iatimimu
    2025年5月3日
  • ハム
    ハム
    @unia
    2025年4月24日
    たまたま「メランコリーで生きてみる」と同時に読んでいた。 シオランの思想自体は「メランコリー」を突き抜けてて極度の悲観主義が全開なのだけど、メランコリーという状態と向き合う過程で触れてみると絶望が希望に変わるというか、生きる糧にもなる不思議がある。 悲観、絶望に振り切ってもダメだけど、いつでもポジティブってのも健全とは言えないし、やはりこうした負の側面と向き合う時間は必要なんじゃないかとシオランを読んで思う。 本人は本当に絶望していたかもしれない。でもそこから生まれたものと相対して救われる人もいる。 バランスを取るために価値ある一冊だと思う。
  • 単独派
    単独派
    @VvV0699
    2025年4月21日
  • 白雨
    白雨
    @nocturnalism
    2025年4月20日
  • 敗荷
    敗荷
    @sibue_fjodor_
    2025年4月19日
  • さくま
    さくま
    @amukas
    2025年4月19日
  • K.K.
    @honnranu
    2025年4月19日
  • かげ
    かげ
    @Kage_0313
    2025年3月19日
    シオランに興味が湧いてきてる、てか表紙カッケー…
  • かわら
    かわら
    @roof_kawara
    2025年3月9日
  • Rota
    Rota
    @rota
    2025年3月7日
  • セイハロー
    セイハロー
    @sh2mhg
    2025年3月6日
  • sasai
    sasai
    @sasai_74
    2025年3月5日
  • クロ
    クロ
    @a____o
    2023年12月23日
  • まみ
    @mami2025
    1900年1月1日
  • 🌜🫖
    🌜🫖
    @gn8tea
    1900年1月1日
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