なにも見ていない
30件の記録
octo@mothmanoir2026年6月30日読み終わった既知の知識を当て嵌めて絵画を観るような、頭でっかちな絵画の鑑賞法を批判する美術エッセイ。教条化したイコノロジーを振りかざす美術史家に対しての「何も見ていない」という批判。それでも絵画に対してモロに反-知性主義的な態度を取っているわけではなく、ただ単により柔軟に絵画そのものを観ることで見えてくるものがあるということが主張されている。 王道美術史的な解釈に回収され得ない、不自然な「逸脱」に着目し続けることでとても豊穣なイメージの世界が立ち現れてくる様がとてつもなくスリリング。 中でもフランチェスコ・デル・コッサの『受胎告知』の手前下に描かれたカタツムリを解釈する章が素晴らしい。形態的にも象徴的にも天上の神の等価物として描かれたカタツムリ。(よく見ると巨大なこの)カタツムリはタブローと現実の世界の境目に描かれており、遠近法で描かれた幾何学的な世界から逃れ出たその存在は形象不可能な「不可視なもの」=父なる神の存在を仄めかす。 軽いタッチで書かれたエッセイのような作品群なので内容の高度さに反して文章は読み易い。 収録されている6つの文章はそれぞれ、手紙の形式を模していたり、はては2人の人間による対話形式によるものであったりする。中でもティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』について2人の男が話し合う章はほとんど漫才の掛け合いのような面白さがある。 著者のように絵画を鑑賞できたらさぞかし愉しいのだろうと心の底から思う。訳者あとがきで願われているアラスの主著の翻訳は未だに実現していない…….フランス語で読むしかないのか……
白玉庵@shfttg2026年2月20日読み終わった饒舌すぎてちょっと疲れながらもなんとか読了。 ブリューゲルとベラスケスが面白かった。 ベラスケスは、専攻に進んですぐの演習を思い出した。史学的に美術を見るというのはどういうことか、というのを非常に効果的に教えてもらったのだった。 テレビの画面で拡大して絵を見るという方法がわかったので、前よりは「少しは何かを見ている」状態になったかも。 4月からの放送大学で美術史系科目をとる。いいタイミングでこの本を読んで、新鮮に楽しめそう。





白玉庵@shfttg2026年2月19日読んでるそれまで、多くの絵をじっくりと見つめ、識別することを学び、整理分類し、位置づけてきたがために、今では、まるでみずからの知識を再確認して自己満足にひたるかのように、それらすべてを、歓びもなく、手早くおこなうようになっていたのだ。(p57) いやもうそれ、頷きすぎて痛い、首が。









白玉庵@shfttg2026年2月19日読んでる取り上げられている作品をipadで検索して、それをテレビにミラーリングすると、結構大きく図像を映せるということに気付きました。ゼーバルト方式というかなんというか、これは良い…テレビ、買い替えてよかった!美術史系の本を読むときはどんどんやってみよう。





ユカ@yuka_her2026年2月10日読み終わったおもしろすぎる 手紙や会話形式で、セオリーぽい図像学や文献を引用した絵の解釈に対して、こう見れるんではないか?と読み解き直していく 有名な絵ばかり取り扱っているので、持ってる知識と実際に見たことのある絵という親近感で議論の会話に少し参加できた気分になる! 文庫化うれしい、図も多く入っていてやさしい



ジクロロ@jirowcrew2026年2月4日ちょっと開いたこうして、フランドル絵画の発展を飛び越えて、イタリア風の構図を隠れみのとして、ブリューゲルの絵画(「東方三賢王の礼拝」)は、その着想の源へと回帰しているしそこでは黒人(三賢王の一人ガスパール)が、黒人のまなざしこそが、最高度の霊性の運び手なのであって、キリスト教信仰の普遍的な使命を、当時のことばでいいかえるならば、人類の人性の普遍性を保証しているのである。 (『黒い目』) 「なにも見ていない」、これが本のタイトルであり、 アフリカ人ガスパールの黒い目である。 著者の見解は少し思弁に過ぎていて、歴史や象徴を背負い過ぎているようで、あまりしっくりこない。 その場に参加しきれない者の目は、別の風景を追い求める。 カーニバルめいたこの絵画の中にあって、ガスパールの視線は定まっていないように見える。まさに泳ぎの途。 そういった場に関心がない、または馴染めない者こそ、外から見た時にとても関心を惹くのは、自身もそのような立場に立たされているからだろう。 著者の言うような肌の色に象徴されるものではないと思う。ブリューゲルが描きたかったものは、 純粋なる目の色の虚(うつろ)。 お遊戯会で心なく合唱する子どもの目。 「なにも見ていない」 その黒い目が見つめる先こそ、その目に描かれつつある新しい世界。

gato@wonderword2025年12月10日かつて読んだこれ文庫化するんだ〜!山師じみた語り口が楽しかった記憶。 ↓ 当時の感想 コッサの「受胎告知」の上を這うカタツムリの考察と、ブリューゲルの「東方三賢王」のバルタザールが見つめているモノの話が特に面白かった。イエスの包皮、『眠れない夜に思う、憧れの女たち』にもでてきたので驚いたし、受肉をめぐる超重要な聖遺物で笑った。まぁ言われればそうか。宮下訳の上手さもあって、「このおっさんが言うことは話半分で聞いといたほうがよさそうだぞ」という怪しさがむしろ魅力になってするする読み進めてしまう。 はじめは西洋画に権威を感じる層が無視している画題の下世話さ、裸婦画を高尚に語ろうとする違和感を指摘していくのかなと思って読んでいたのだが、話は次第に絵画というものの核心に迫っていく。存在しないはずのもの、時間、情景を描くこと。〈描けない〉ということを描いて表現すること。「ラス・メニーナス」をめぐる最終章の語りで明らかになるのは、そうして果敢にキャンバスに挑んできた画家たちへの著者の深いリスペクトだ。





















