信頼 (ちくま学芸文庫リ-13-1)

信頼 (ちくま学芸文庫リ-13-1)
信頼 (ちくま学芸文庫リ-13-1)
アルフォンソ・リンギス
岩本正恵
筑摩書房
2026年2月12日
23件の記録
  • めりっさ
    めりっさ
    @mel_reads
    2026年4月4日
  • 写真の多い本というのがある。料理の本などは代表格だが。個人的には、開高健の「オーバ!」のシリーズ、藤原新也の「印度放浪」、椎名誠の「インドでわしも考えた」など、パッと思いつくのは旅の記録が多い。この本は現代を生きる哲学者の旅行記で興味深い。もともと青土社からでていた本の文庫化。『跳躍とともにおのずから増大していく点で、他者への信頼は勇気に似ている』〜内容紹介より
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年3月26日
    われわれに与えられるもっとも強烈で官能的なよろこびが、寡黙と沈黙を引き起こすのはどうしてなのだろう。見知らぬ人ではなく、心の通じあいが良好な相手、実際に一緒に暮らして、官能的な身体のすべてを惜しみなく与えてくれる相手の場合も、語りは沈黙させられる。 …… だが、しばしば「ああ」というきわめて短い表現が、目の前にある驚くべきものを巧みに表わすのに対して、ひたすら饒舌な描写は、話者のウィットと言葉の妙技を見せびらかすだけに終わる。 (p.277『寡黙』) 「ああ」という表現には、 言葉により描写しきれない豊穣さが宿る。 著者の言うところ、 それは、言葉にならない感謝、祝福。 それは、自身の「思慮深さ」のあらわれ。 その深さにこそ、いくつもの、無数の時間が 自他を問わず、同時に、重なりつつ流れている。 "言葉の成り立ちをさかのぼっていくと、そもそも言葉は意味から生まれたというよりは、思わず感じて漏れてしまった音、呼びかける声から始まったのではないでしょうか。「ああ」という言葉は感動を意味するけど、「ああ」そのものには意味がないように。" (『「要するに」って言わないで』尹 雄大 p.62) 『源氏物語』から聞こえてくる 光源氏の無数の「ああ」。 その量では表現しきれず、照らしだせない 紫式部の、ひとつの意味のない「ああ」。 "こうした「日常」が一瞬にして地震や津波で失われるように、世界の秩序とはつかの間の「もの」にすぎないのではないか。私たちが生きている世界の実際が、崩壊の危機を宿したつかの間の「もの」にすぎないと気づくこと、永遠が不可能だとしりつつ、いつまでもつづくことを願い思慕すること、この痛切な思いが「もの」の「あはれをしる」ことなのではなかろうか。そして男女関係ほどはかなく、それゆえに永遠不変を願う「もの」はないのであって、和歌の中心的主題でありつづけたのではなかったか。" (『本居宣長』先崎彰容 p.180) 「ああ」は 究極の時間(瞬間)を「もの(モノ)」にし、 「饒舌(おしゃべり)」は 何気ない日常(時間を伴わない空間)を広げる。
  • Ryu
    @ryugo1121
    2026年3月25日
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年3月23日
    生がもっとも強烈に、深部からの活力を得るのは、なにも知らず、感覚を失い、目のくらんだ状態になるために未知の世界に飛びこむときだ。人間は、すべての諸力が解放されたとき、最大の危険を追求する。生は本質的に過剰だ。生は世界の連結と歯車における過剰な行ないだ。 …… ハイチがひとりのアメリカ国民の人命にも値しないのなら、わたしにとってもなにもなかった。わたしがハイチの経済や社会に貢献できる術はまったくなかった。大統領宮殿の庭から持ち帰れるものはなにもなかったしなんの考えも、洞察も、知識も、ほかで使えるものはなかった。わたしは外部からではなく、庭園の内側から群衆を観察していた。わたしは彼らのなかで、彼らのよろこびのうねりのなかで迷子になった。 (p.251『ヴードゥ』) 他者の熱狂を前に、為すすべはない。 熱狂のうちにある人間は弾丸に近しい。 当たっても、外れても、その終わりには 暗闇に埋もれる必定。 「生は世界の連結と歯車における過剰な行ないだ。」 芥川龍之介の目の奥で回り続けた 透明の歯車もまた、「過剰」の表現の ひとつなのだろう。 芥川の場合は、大衆的な身体の熱狂とは真逆の、 孤独のうちにおける冷たい言語的な過剰。
  • 白玉庵
    白玉庵
    @shfttg
    2026年3月14日
    今日店頭で見て、いちばん気になる本だった。しかし手触りがなんだか…紙が薄くなった?
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年3月13日
    希望と誇りは、過去の憂鬱な継続を捨てる。それらは新たに生まれた、過去を持たない力として現われる。愛、信頼、信仰は、過去の教えや、迷いから覚めた過去の思慮分別から切り離された諸力の無垢と率直とともに生まれる。「忘れやすさがなければ、いかなる幸せも、快活も、希望も、誇りも、現在もありえない」とニーチェは記した。 221 一時的な悲劇や単調な継続を引き摺ることがないように、忘却が備えられている。 忘れるということは、「悦ばしき知識」。 苦悩を引き延ばさないためには、新鮮さを味わうためには、驚きを繰り返すためには、忘れることが必要。 忘れることにより立ち上がる現在がそこにあるということ。
  • Marua
    Marua
    @marua
    2026年3月13日
    20年前に刊行された本の文庫化。 菅啓次郎の解説によると、30年以上前に著者の”Abuse”という本を読み、思い立って手紙を書いたとのこと。「あなたの文章はすばらしい。あなたはブラジル人にちがいないと思うが、いかがでしょう」。返事には「私はリトアニア系の移民の子、農民の息子です」とあった。「それから何度か、世界各地から突然、写真を送ってくれた」とのこと。著者が今年5月に亡くなるまで、友情を育んだらしい。
  • ぽす
    @pos2026
    2026年3月12日
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年3月10日
    シェリルをレイプしたふたりの男はすでに死んでいる。安らかに眠ってほしいわ、ときみは言う。彼らの葬儀にきみは出席した。許して忘れるの、ときみは言う。ただ忘れるの、と。生まれて捨てられたその日から、すべてを記憶し、許さなければならない。シェリルは自分を変えられないんだ、とウェイン、きみは言う。それもまた、愛しくてたまらないところなのさ。 (p.178 『ラブ・ジャンキーズ』)
  • ズゴ子
    ズゴ子
    @zugocco
    2026年3月1日
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年2月27日
    自分のなかにある蔑むべき要素は、最終的には、すべてなんらかの臆病さなのだ。 (p.123) 「なんらかの臆病さ」 その通り、ぴったりの表現だと思う。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年2月26日
    信頼は、どこまでも広がる確実性と蓋然性の地図にできた裂け目であり、切り裂きである。つきまとう疑問と熟考をふり払う力は、高まりであり、誕生であり、始まりである。 それは独自の勢いを持ち、ひとりでに増大する。人はその力をどれほど感じることか! 人は、疑い深い不安な心で、この見知らぬ人たちにはずる賢い動機がいろいろあるのではないかと推測し、その一方で、唐突に、あるひとりの人物を無作為に選び、信頼を寄せる。 それは閘門から放出された川のように、人の精神をふくれあがらせ、人をその方向に送りだして流れてゆく。 (p.103)
  • @fm_rin_
    2026年2月25日
  • ひつじ
    ひつじ
    @hitsujibook
    2026年2月23日
    読の市で
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年2月19日
    「奇妙な対照だった!」とアメリカの神学者、エドワード・ロビンソンは一八三八年に記した。「ここでは時代の軽薄を好む趣味が、墓の壮麗さによって同時に満たされた。墓地のなかの娯楽であり、墳墓に囲まれた劇場だった。」目に見える形で残っているものは、すべて目に見えぬものの証拠なのである。 …… ナバテア人が苦労して彫りあげ、みごとに完成させた葬儀のための巨大なファサードを、われわれは見る。ファサードの奥には部屋も通路もなく、動かぬ岩の無限の闇があるばかりだ。われわれの視覚は表面だけを見つめつづける。その奥には、考えられないものが存在している。 (p.54『知りえぬ知性』) ないところにあるものを感じ それを生み出してみたり、 あるものをあって欲しくないからと 見猿聞か猿言わ猿、ないことにしてみたり これこそが人間だけに備わる究極の能力。 前者は感受性を全開にし、 後者はそれを完全に閉ざす (閉ざそうと自身を偽る)。 光も闇も、結局は、人間だけが 意識的に操作しているだけかもしれない。 「はじめに、光ありき」 と語りはじめた人間の闇。 気づかない、気づかれないことは 死を意味する。 だから生きようとするものは 生きているものの五感に訴えようとする。 その欲望が極大になったときに形になるもの、 それが「巨大さ」、つまり五感への威圧、 スケールアウト。そして、 生物的死による象徴的不死。 これもまた、人知からのスケールアウト。 人間ってすごい。すごいってのは「馬鹿みたい」。 それを古代遺跡から感じられることが できるということ。 そのほんんどが、ないもののために捧げられた 巨大さであるということ。 遺跡、その建設においては、 死んだ人間(王)を存在させるために 生きている人間を死物(道具)として扱う。 死者だけが、今もなお健在であるということ。 死者が生者を翻弄しているという事実が 気づけばたくさん身近にあるなと思う。 あなたが生きているとするならば、 死んだもののために何かを捧げているはずでは? 今は亡き著者の本とか。 読むことで光を生み、死者に生命を与えつつ 自身は仮死状態となっているではないか。 そんな我とて Readsをon(rea(d)son)とすDeadsの一人。 RandDに生き死にする日々。 「大事業」とは、選ばれし死者を生かすために、 無数の生者の生命を犠牲にする。 「聖戦」もまた然り。 世帯主が世帯主たらんために つまらぬ犠牲を負う家族とか。 陰影の礼賛はときに危険思想につながる? 「ファサードの奥には部屋も通路もなく、動かぬ岩の無限の闇があるばかりだ。」 ファサードをファサードたらしめるものは、 その奥行き感、立体感を想像させるための 陰影であるということ。 ファサードが、本のタイトルが 普遍的生命を得る権利をもつとすれば、 それを生かすのも殺すのも 生きているものの生命だけであるということ。 私の文章を生きさせるために、 あなたの生命を吹き込ませているという事実。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年2月16日
    砂は布のように漂って東のニジェール、チャド、スーダンへ向かい、やがて紅海の沈泥となる。 (p.20「アラワーヌ」) この本に書いてあることはまさに砂のように、形を残すことなく、布のように漂って、その輪郭だけを撫ぜてゆく、そんな流麗な風のような「信頼」の置けるレトリックたち。文章すごくいい。
  • monami
    monami
    @kiroku_library
    2026年2月13日
  • 白玉庵
    白玉庵
    @shfttg
    2026年2月11日
  • 上野剛
    上野剛
    @oribe1981
    2026年2月7日
  • Taka.K
    Taka.K
    @Taka43
    1900年1月1日
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