奇病庭園

29件の記録
- ゆうき@madoromi_y2025年4月19日読み終わった耽美な雰囲気が密やかに漂う幻想小説。タイトル通り、奇形であり、精神疾患ともかいぶつとも言えないいきものの話。おとぎ話のようで詩的、精神のおやつみたいな文体と好みのフォントにメロメロした。いずれ買って手元に置いておきたい。ミュザイの話、いかにも私が好きそうで目を疑った
- 宵子@yoico2025年3月9日買ったかつて読んだ大好きな本好きな作家好きな装丁一行目から物語に引き込まれて、読み終わる頃には作家のファンになっていた驚異の一作。幻想小説と言えばいいのかな。初めて川野さんを知った本です。
- はぐらうり@hagurauri-books2024年3月12日読み終わった話の仕舞い方が良かった。『Blue』と同じ著者の方だとは思わず驚き。ヤンシュバンクマイエルのような世界観と思ったが、どうだろう。ここ最近よく思う、普通なんてないんだということを描いているようだけど、自分の想像力不足により自信はない。
- 𝕥𝕦𝕞𝕦𝕘𝕦@tumugu2023年11月5日読み終わった寝る前にすこしずつ読みすすめた本 天井の灯りを落として読書灯だけのほの暗さの中で読んでるとだれかの遺した古い大切なもの入れの箱の中をこっそり覗き込んでるような気持ちになる 箱の中には貝殻やゆがんだ真珠や虫の抜け殻や動物のひげが仕切りもなく一緒に入れられていて、それらはそれぞれ住む場所も寿命も違うものたちが「かつて生きていた証」でもある ▪️「翼に就いてⅡ」 わたしは山尾悠子さんの『ラピスラズリ』の亡霊と少女の邂逅を描いた「閑日」がとても好きで、なので奇病庭園でのイリュアンとキアーハのふたりの邂逅があまりにも好きなのですわ キアーハの「あの子が私を呼んだときは」「どこにいようと迎えにいく。すぐに迎えに行く」という言葉は月も星もない夜にただひとつ目の前を照らしてくれる灯りであり続けてくれる 自らの意思で塔に来てキアーハに出会って、いままでの名を捨てて意味をもたない「イリュアン」という名前を自分で選びとった少女の塔での日々はあまりにも静謐で、それ故にその後のイリュアンに起こったあらゆるできごと(イリュアンを「助けに」やってきたフュルイに繰り返しデッドネームで呼ばれ続ける、まるでイリュアンの意思がないかのように「あなたは魔物に唆されている」と説得され続ける、教団に戻されたあとの暴力、キアーハとの別離による絶望)が読んでいて本当につらかった 著者の川野さんご本人が発売時期にあわせて「性的マイノリティの矯正(コンバージョンセラピー)を思わせる描写が含まれている」などのトリガーウォーニングのアナウンスをされていた(こういうアナウンスが著者ご本人から事前にあるのは大変助かる) 幻想小説でかつクィアな属性を持つものたちが克明に描かれていて、いまこういう作家さんがいてくださることがわたしにはとてもうれしい ▪️「牙に就いて」 結婚できる年齢になると犬歯を抜かれる女たち、理由は「夫に逆らうといけないから」。犬歯を抜かれて、これでちゃんとしたお嫁さんになれると安堵した、それが当たり前だと思っていた、けれど婚礼の前夜に抜いたはずの犬歯がふたたびするすると生えて牙になって、そのときにやっと「ほんとうはお嫁さんになんてなりたくなかった」と気づいた「もはや花嫁ではない、牙のある娘」の話 あまりにもよすぎる 最初から最後まで、灯りを必要最低限にした状態で読了 すばらしい読書体験だった 読み終わってしまうのがあまりに惜しかった 読んでるあいだ自分も皮膚を掻いたところから鱗が生えて、触覚が生えて、毛皮が生えて、複眼になっているんじゃないかという気がした
- 村崎@mrskntk2023年9月3日魔物に拐かされて塔に閉じこもっている少女を助けに向かう少年、それに対してまったく助けられたいと思っていない少女。少女を助け出すのに〝ふさわしい”とされる二人目の少年。「物語」が創られてしまうグロテスクさ。 しかしそんな物語から鳥のように抜け出していく者もおり、「脚に就いて」「声に就いて」がとくに好きでした。(あとフュルイも……)あ、あとはじまってしまうことを想像させる「繭に就いて」も、二度目はまったく別の読み口になる「蔓に就いて」も。は、きりがない。 まったくべつべつの場所で起こっている出来事かと思いきや、それぞれどこかでつながっており、一度読んだあと、メモをしながら再読しました。そうすると、「あ、この少年ってこういうことだったのか」と、章ごとの解像度が上がり、さらに言うと二回読んだだけでは読み逃していることがかなりあると思うので、何回でも読める作品になっています。 幻想作品でありますが、奇病は現代にも通じるものとしてあり、奇病を忌み嫌う風潮は悲しくもまだなくなっていない。「始まらないのが一番ではあったにせよ。」、序文のさいごにあるこの一文を、ずっと頭に置いています。 はじまりの序文から引き込まれるのはたしか、そして読んでいくうちに庭園にいるのもたしかです。