失われた時を求めて(3)

失われた時を求めて(3)
失われた時を求めて(3)
マルセル・プルースト
吉川一義
岩波書店
2011年11月1日
12件の記録
  • ふらい
    ふらい
    @fry_g73
    2025年5月20日
  • 女中フランソワーズが料理をノルポワ氏に褒められたくだりで、「大使という肩書きには心を動かされなかったらしい。「シェフ」と認めてくれた人への好意からノルポワ氏のことを「人の善いお年寄りですね、私と同じで」と言ったのである」(p.134)とあり、やはりフランソワーズは信頼できる。
  • コーリャ
    @kolya
    2025年5月15日
    p220まで
  • コーリャ
    @kolya
    2025年5月14日
  • またもや久しぶりのプルースト。最近は読む本読む本にプルーストが出てくるので本編を読んでいる感覚になる。 私は、耄碌して養老院に入居したわけではないが、本の最後で作者からとりわけ冷酷さの際立つ無関心な口調で「男はますます田舎を離れなくなり、とうとうそこに住み着いてしまった」などと書かれる人物になったような悲哀を感じたのである。(p.130) 謎の魅力がある喩えである。
  • 「ベルゴットの成し遂げたこと、いわばその全業績のなかに、すこしでも高い志を掲げた小説、読者が書架の大切な場所に収めておきたくなる本は、一冊とてありません。そのような本が全作品に一冊たりとも見出せないのです」(p.114)とノルポワ氏は辛辣で、こんなこと言われたらベルゴットじゃなくても本を書くのはやめたくなっちゃうね、そりゃマルセル・ベナブーも自分の本を一冊も書かなかった理由を書き連ねますわ、とほかの本がプルースト世界に混入してきた。最近はどの本を読んでいてもプルーストが出てくるので、久しぶりに読んでいるのが嘘のようだ。
  • それゆえ著述家としてのスワンが研究成果を発表するとき、手紙や会話にはふんだんに認められる本人の特徴がそのままのすがたで現れないのを残念がった。オデットは書くものにもそうした特徴をもっと発揮するよう勧めた。そう願ったのは、スワンのなかでオデットが好んだのがそれらの特徴だからである。(p.104) たぶん卒論とかも同じで、どうしても「卒論」としてあるべき内容とか文体とかを意識してしまうけども、ほんとうはもっと自分勝手に書いていいのだと思う。そのほうが絶対におもしろく書けるし、中身も質の高いものになる。
  • 家政婦フランソワーズの料理の腕を褒めちぎるノルポワ氏。その比類なき感嘆のなかに出てくるヴァテルという実在料理長の注に「ルイ十四世を招いた三日間の大宴会で予定した魚が到着せずに自殺」(p.81)とあり、ぎょえ〜、という声を出してしまった。
  • ノルポワ氏は人の話を聴くときに微動だにしないし真顔なので「ほんとうに聴いてるのか?」と不安にさせるらしい。しかし同時に、えてして家父長制的な家庭にありがちな「母=女性はその場にいるが、いないものとされる」ことを避けるために、談笑のさなか「私」の母に対して視線を向けながら言葉を発する心遣いもできる。すごいぞノルポワ。真顔の紳士だ。
  • 「私」は舞台俳優の演技に対して一丁前の持論をぶるほど楽しみにしていたにもかかわらず、行っちゃだめと両親に言われていたのが行ってよいとなった途端になんか行かないほうがいいのではないか、風邪でもひいてジルベルトに会えなくなったら嫌だし、とか言い始め、しかし結局超たのしみ〜となる。にもかかわらず当日の心持ちについて「フランソワーズが偉大な創造者につきものの熱烈な確信をいだいていたのにたいして、私を待ち受けていたのは研究者につきものの過酷な不安であった」(p.52)などと言っている。かわいいやつめ。
  • 久しぶりのプルースト。「それはこの「にもかかわらず」がつねに「だからこそ」の理解されない形であることに気づかなかったからであり」(p.36)という文章に、なにか世界の真理を感じてしまった。 なお「私」は、父には外交官になれと言われているが外国に派遣されてジルベルトと離れるのは嫌だ、でも文学の道に進むには能力も根気もない、という散々な状態。「前置きの数ページを書くだけで嫌になってペンを投げ出してしまう」(p.40)
  • 3巻目に入る。あらためて登場人物紹介を読むと、ジルベルトの欄に「自宅に友だちを呼んで「おやつ」の会を開く」とあってかわいい。お呼ばれしたい。
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