失われた時を求めて(3)

20件の記録
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年8月25日まだ読んでる「私」がその作品に対して好き好き〜、となっていた作家ベルゴット本人についに対面。その容貌が思い描いていたものとは違っていたことに幻滅する身勝手さを示したのち、とはいえベルゴットの作品というか本人の素質はすごいよね、みたいな話を身勝手に延々とし続けていて、そもそもなんの場面だったのかもうわからないが、作家の文体とは作家自身の生き方や考えていることそのものである、みたいな文体論にもなっていて、たぶんとても大事なパート。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年8月25日まだ読んでる力強い考えというのは、その力を反論する相手にもいくぶん伝えるものだ。その考えが否定する相手の精神のなかに組みこまれ、多様な考えのそばに接ぎ木されることにより、既存の隣接する考えの力添えを得た相手がいささか優位をとり戻し、接ぎ木された考えを補足してその誤りを正すからこそ、さまざまな精神の持主の普遍的価値に寄与できるのである。(p.300) 現状のSNSでほとんど失われつつある在り方が記されている。 しかしその直後、 ベルゴットが私の異論を斥けなかったので、私はさっきのはノルポワ氏に軽蔑された考えだと打ち明けた。「だって、あれは間抜けな耄碌爺ですから」とベルゴットは答えた、「あなたを辛辣にくちばしで突っついたのは、いつも目の前にあるのはエショデかイカと想いこんでるからです。」(p.301) と、まるでSNSのようなこと悪口が記されていた。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年8月20日まだ読んでる「オデットに苦しめられた当時はいつかほかの女に首ったけなのを見せつけてやろうとあれほど願っていたスワンが、いまやこの新たな恋を妻に勘づかれないようたえず細心の注意を払うようになっていた」という描写の直後に「昔はおやつの日には普段より早く私と別れて帰ってゆくジルベルトを悲しく見送ったものだが、今やそのおやつに私も仲間入りできるようになった」という私の微笑ましいエピソードが続く(p.218)。私もそろそろおやつに招待されたい。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年6月25日読んでるまだ読んでる最近はなにを読んでもプルーストの気配を感じてしまうので、ここらでモノホンのプルーストをかまして幻影を断ち切ろうと考えたが、栞が挟まってはいるもののどこまで読んだか正確にはわからなくなってなんとなくで決めた改行のところで、はやくもプルーストをくらった。 私は家に帰った。私がすごしたのは老人の一月一日だった。その日に老人が若者と区別されるのは、もはやお年玉をもらえないからではなく、老人がもはや元旦など信じていないからである。私もお年玉ならもらったが、それは私を喜ばせてくれたはずのただひとつのお年玉というべきジルベルトの手紙ではなかった。それでもまだ私が若かったのはジルベルトに手紙を書けたからで、その手紙で私の愛情の孤独な夢を語ることによって相手の心にも同じ夢がかきたてられるものと期待したのである。年老いた人の悲哀は、効果がないのを知ってそのような手紙を書こうとも思わないところにある。(p!141-142) 確か『突囲表演』ではX女史にメロメロになった何者かがキテレツな手紙を書いていた気がする。X女史はジルベルトなのかもしれない。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年5月18日読んでるまだ読んでる女中フランソワーズが料理をノルポワ氏に褒められたくだりで、「大使という肩書きには心を動かされなかったらしい。「シェフ」と認めてくれた人への好意からノルポワ氏のことを「人の善いお年寄りですね、私と同じで」と言ったのである」(p.134)とあり、やはりフランソワーズは信頼できる。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年5月14日読んでるまだ読んでるまたもや久しぶりのプルースト。最近は読む本読む本にプルーストが出てくるので本編を読んでいる感覚になる。 私は、耄碌して養老院に入居したわけではないが、本の最後で作者からとりわけ冷酷さの際立つ無関心な口調で「男はますます田舎を離れなくなり、とうとうそこに住み着いてしまった」などと書かれる人物になったような悲哀を感じたのである。(p.130) 謎の魅力がある喩えである。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月26日読んでるまだ読んでる「ベルゴットの成し遂げたこと、いわばその全業績のなかに、すこしでも高い志を掲げた小説、読者が書架の大切な場所に収めておきたくなる本は、一冊とてありません。そのような本が全作品に一冊たりとも見出せないのです」(p.114)とノルポワ氏は辛辣で、こんなこと言われたらベルゴットじゃなくても本を書くのはやめたくなっちゃうね、そりゃマルセル・ベナブーも自分の本を一冊も書かなかった理由を書き連ねますわ、とほかの本がプルースト世界に混入してきた。最近はどの本を読んでいてもプルーストが出てくるので、久しぶりに読んでいるのが嘘のようだ。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月14日読んでるまだ読んでるそれゆえ著述家としてのスワンが研究成果を発表するとき、手紙や会話にはふんだんに認められる本人の特徴がそのままのすがたで現れないのを残念がった。オデットは書くものにもそうした特徴をもっと発揮するよう勧めた。そう願ったのは、スワンのなかでオデットが好んだのがそれらの特徴だからである。(p.104) たぶん卒論とかも同じで、どうしても「卒論」としてあるべき内容とか文体とかを意識してしまうけども、ほんとうはもっと自分勝手に書いていいのだと思う。そのほうが絶対におもしろく書けるし、中身も質の高いものになる。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月5日読んでるまだ読んでる家政婦フランソワーズの料理の腕を褒めちぎるノルポワ氏。その比類なき感嘆のなかに出てくるヴァテルという実在料理長の注に「ルイ十四世を招いた三日間の大宴会で予定した魚が到着せずに自殺」(p.81)とあり、ぎょえ〜、という声を出してしまった。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月3日読んでるまだ読んでるノルポワ氏は人の話を聴くときに微動だにしないし真顔なので「ほんとうに聴いてるのか?」と不安にさせるらしい。しかし同時に、えてして家父長制的な家庭にありがちな「母=女性はその場にいるが、いないものとされる」ことを避けるために、談笑のさなか「私」の母に対して視線を向けながら言葉を発する心遣いもできる。すごいぞノルポワ。真顔の紳士だ。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月29日読んでるまだ読んでる「私」は舞台俳優の演技に対して一丁前の持論をぶるほど楽しみにしていたにもかかわらず、行っちゃだめと両親に言われていたのが行ってよいとなった途端になんか行かないほうがいいのではないか、風邪でもひいてジルベルトに会えなくなったら嫌だし、とか言い始め、しかし結局超たのしみ〜となる。にもかかわらず当日の心持ちについて「フランソワーズが偉大な創造者につきものの熱烈な確信をいだいていたのにたいして、私を待ち受けていたのは研究者につきものの過酷な不安であった」(p.52)などと言っている。かわいいやつめ。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月26日読んでるまだ読んでる久しぶりのプルースト。「それはこの「にもかかわらず」がつねに「だからこそ」の理解されない形であることに気づかなかったからであり」(p.36)という文章に、なにか世界の真理を感じてしまった。 なお「私」は、父には外交官になれと言われているが外国に派遣されてジルベルトと離れるのは嫌だ、でも文学の道に進むには能力も根気もない、という散々な状態。「前置きの数ページを書くだけで嫌になってペンを投げ出してしまう」(p.40)
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月17日読み始めた3巻目に入る。あらためて登場人物紹介を読むと、ジルベルトの欄に「自宅に友だちを呼んで「おやつ」の会を開く」とあってかわいい。お呼ばれしたい。