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しんどうこころ
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@and_gt_pf
岩波の名作を飲み干したい
  • 2026年3月29日
    愛人(ラマン)
    愛人(ラマン)
    びっくりするくらいよかった。装丁の印象に反して、これは明らかに名作である。 本作は『愛人』というタイトルながら、甘いロマンスは一切語られない。 占領下の異国という環境、いびつな家族、そして貧困の中で、デュラスがどう生きたかが語られる。 軽快な文体でありながら、それは楽しげな軽さではなく、現地の気候のような湿度を帯びている。語られるものはかなしみと危うさに満ち、静かに彼女の顔に皺を刻む。 苦いでは形容しきれない青春。重苦しい日々へのささやかな反逆と、そこで知る甘美な快楽。 精神は委ねず、肉体の快楽にのみ身を許す。反逆は決して劇的ではなく、静かに進む。 母から愛され損ねたデュラスは、どこか母と似ている。そこから逃れようとしながらも、完全には逃げきれていない。 母は娘の内面に自らの影に無意識に見出し、自己嫌悪してしまうのであろう。 時折、デュラスは自身を「わたし」ではなく「彼女」と呼ぶ。主体から離脱することで、情景と感情は冷ややかに保たれ、逃れようとしても逃れきれない運命の感覚を際立たせる。 彼女の時間は、ガラスのようにはかなく、危うく、そして透き通っている。
    愛人(ラマン)
  • 2026年3月26日
    基礎講座 哲学
    基礎講座 哲学
    メモ ピュシス(自然の法)とノモス(人間の法)の矛盾。アンチゴネー
  • 2026年3月23日
    ペドロ・パラモ
    ペドロ・パラモ
    巻末、訳者・杉山晃氏の解説を読んで、くやしいかな、ここで初めて全体像が見えてくる。 断片と記憶、そして声。 幻想的な浮遊感とは異なる、もっと根源的な「浮遊」がこの作品にはある。時間は断片化され、宙に浮いたまま、不規則に現れる。 冒頭では何が起きているのか分からないほど読者を突き放すが、読み進めるにつれてゆるやかにピースが接続されていく感覚が面白い。 本作はストーリーが円環構造をなしていると言われるが、一度読んだだけでは正直、掴みきれなかった。 再読のたびに、また違った顔を見せるのだろう。
  • 2026年3月21日
    筑摩世界文学大系 82 ベケット ブランショ
    筑摩世界文学大系 82 ベケット ブランショ
    ベケット2冊目、モロイを読む。 ゴドーを待つとは全く別方向ながら、ベケットという作家への耐性がついたのか面白くてしょうがない。さぁモロイからはじまり、マロウン、名づけえぬものまで辿り着けるか。
    筑摩世界文学大系 82 ベケット ブランショ
  • 2026年3月20日
    世界文学全集〈31〉シュティフター 晩夏
    世界文学全集〈31〉シュティフター 晩夏
    気になっていた本。とてもきれいな状態でとても安価に手に入ってご機嫌。
    世界文学全集〈31〉シュティフター 晩夏
  • 2026年3月16日
    黄金仮面の王
    黄金仮面の王
    子供は蟻を笑いながら踏み潰す。ここに悪意はない。無垢なのである。 無垢や純粋は決して救いではない。 また、世界は期待するほど暖かくない。むしろ時に、氷のように冷たくなる。 しかしそれもまた、罪でも悪でもない。 だが世界はどこか静かに美しい。 夢のように、幻想的に。 シュオッブはその世界を描く。 シュオッブの文体からは、神話のようなこぎみよい力強さと、心が漂うような幻想とが同時に感じられる。この二つが独特のリズムを生み出しているのだろう。 ときに物語はぐいぐいと前進し、ときに目が泳ぐような浮遊感を醸す。 相反するとも言えるこの感覚の交錯が、シュオッブの文学をより強く読者に訴えかけるものにしている。 そしてこの美しく純粋な情景が、突如として崩壊する。そこに悪意はなく、罪もなく、むしろその純粋さが生んだ破滅とも言える。 これは下手なホラー作品よりもよほど恐ろしい。美しさは、不気味なほどに恐怖を際立たせるのだ。 本書でわたしは「木の星」と「顔無し」が特に気に入った。 シュオッブの世界に、まさに身体の芯から浸れる作品なのではないだろうか。
  • 2026年3月15日
    原因
    原因
    『ある子供』に続くベルンハルト自伝二作目。 一作目の茶目っ気は一切排除され、ここからが本当の始まりだと感じさせるような激流に飲み込まれる。 圧倒的な美しさで世界から讃えられるオーストリア、ザルツブルクへの容赦ない罵倒。 セリーヌの暑苦しく肉体的な憤怒とは違い、ベルンハルトの怒りは氷のように精神的だ。 それは文学に改行すら許さず、延々と続いていくのである。 ふと、精神と環境の因果について考えさせられる。 戦時下オーストリアという環境、そして彼を取り巻く特殊な家庭環境が彼を生んだのか。はたまた彼の精神が、怒れる環境を作り上げたのか。 ベルンハルトは言う。 政府は人々に蒙(もう)を啓(ひら)かない。なぜなら白痴を生産し、飼い慣らすことで彼らは生きながらえてきたからである。 おそらく当時は戦争という混乱に乗じて社会が腐っていたのであろう。だがここで読み手であるわたしの生きる現代を見回すとどうだ。 いつの時代も社会はどこかで狂っている。 それはすなわち、社会が存続するために支払わされる代償なのではなかろうか。
  • 2026年3月15日
    なしくずしの死 上
    なしくずしの死 上
    国書刊行会 セリーヌの作品 第二巻より。高坂和彦氏の訳にて。 文学とは神聖で高尚なものだろうか。 否。ここに腐臭と反吐と精液にまみれた、饐えた臭いのする文学がある。 とにかく激しい勢いと力、そしてリズムが魅力だ。 腐った社会の中で死と争う、本能的な生のエネルギーがここにあらわれているとも言えよう。 その文章は、まるで音楽のようにページの中で踊る。
    なしくずしの死 上
  • 2026年3月9日
    ゴドーを待ちながら
    ゴドーを待ちながら
    初ベケット。これは手強い。 恥ずかしながら、読めたのか読めなかったのかがまずわからない。名作だと言われる理由も、まだ掴めない。 奇妙な登場人物が、意味があるような、はたまたないような、おかしな会話を繰り返しながら、何も起きない一日が過ぎていく。次の日が来たのかどうかも、なんだかよくわからない。 動こうとするも、結局動かない。 おそらく動けないのではなく、動かないのだ。 世界は虚無か。人の意思は空虚か。 霧のように曖昧ながら、時間だけは確かにそこにあり、極めて静かに過ぎてゆく。 初めてベケットに触れ、わたしの中のベケットを育てていかねばという使命感を覚えた。
  • 2026年3月7日
    テレーズ・ラカン〈下〉 (1968年)
    テレーズ・ラカン〈下〉 (1968年)
    閉じ込められた世界。自分らしくない狭い世界。 そこで生きるテレーズと一人の人物との出会いは、外の世界への扉となり、抑圧されたエネルギーを爆発させる。それは激しい肉欲と、それを妨害するものへの醜い破壊衝動を生む。 懺悔や後悔をすることはなくとも、湧き上がる非難の念は消えない。それは様々な形に姿を変え、ふたりの日々を脅かす。 愛欲と怠惰への陶酔を願った陰惨な利己心からなる意識の表層は、無意識の奥に潜む罪への呵責に永遠に蝕まれていくのだ。 わたしの中で初のゾラ作品。 読書難度は低く、非常に読みやすい。ドラマチックな展開もまるで昼ドラを見ているかのような気分だ。 比較的シンプルに描かれる中に垣間見える凄惨な描写が、この愛憎劇の邪悪さを際立たせる。
  • 2026年2月28日
    闇の奥
    闇の奥
    野心と知性を持つ人物が、文明という制約から解き放たれたとき、果たして何が起こるのか。 密林というプリミティブな環境は、人の欲望と衝動を増幅し、心の奥にひそむ闇を剥き出しにする。その先にあるのは、理性と衝動の境界が溶ける「地獄」である。 読後もなお、鬱蒼としげる樹々と深い霧の中で、原始のリズムが鳴り止まない。
  • 2026年2月18日
    存在の耐えられない軽さ
    存在の耐えられない軽さ
    とても良かった。色々な人が好きな本で本作をあげる気持ちがわかる。 四人の男女の人生をなぞりながら、「重さ」と「軽さ」について何度も立ち止まって考えさせる小説。 ものごとの本質を言語化するのが非常に上手く、よく効く広告キャッチコピーを浴びるかのように、共感しっぱなしで夢中で読めた。 相対的に軽い人、重い人はあると思いつつ、「すべてが軽い」「すべてが重い」という人は存在せず、誰もが人生の中でバランスを取っているのだろうと思った。 気づけば常に自分と対比させながら読んでいたように思う。「わたし」を見つめ直してみるとわたしの人生は相対的に重いのだと思う。本作で軽さは自由だと語られるが、同時にリスクを伴う。わたしは自由に憧れつつも、このリスクを負うのが怖く、軽くなれない。 そして人生は軽いも重いも、一つひとつが選択の連続であり、円環ではない。 軽く試す、やり直すことは実は許されておらず、前に進むことしかできない直線なのである。歳を重ねるごとに実感が増すが、これは極めて恐ろしい。 総じて本作はわたしの心に強く響き、自分と相手について立ち止まって考えるきっかけを与えてくれた。 歳を重ねるごとに、良いタイミングで読み直したい。 そのたびに感じることは違うだろう。 蛇足 トルストイのアンナ・カレーニナが究極のネタバレをするので積読している方はご注意を。
  • 2026年2月5日
    存在の耐えられない軽さ
    存在の耐えられない軽さ
    ストレートな描写のマッカーシーの後に、クンデラ。書き出しから早速文体が小難しくて、わたしは正直こちらの方がわくわくする。 楽しみ。
  • 2026年2月5日
    ザ・ロード
    ザ・ロード
    序盤は「ディストピアを描いたSF小説か?」と浅く読んでしまったが、読後感はまったく違った。 限りなく続く灰色の世界は舞台装置であり、突きつけられるのは、「人が人たるには?」という倫理である。 ラストは救済でも絶望でもない。 ただ、人間性を次へ渡せるのかが問われる。 長い物語ではないものの、似たような風景が長く続くため、辛抱強く読む必要がある。しかしその長い準備を経て開けるラストは、その分、ひどく美しい。 登場人物と自分の息子とを重ねながら読まずにはいられず、なかなかに胸が苦しい。
  • 2026年1月31日
    なしくずしの死 上
    なしくずしの死 上
    「長い読書」にて紹介されていたので購入。古い本なのでReadsでは引っ掛からなかったが、国書刊行会のセリーヌ全集2、3巻より。装丁が大変美しく、大切に置いておきたい本である。 毒舌と暴言、楽しみ。
    なしくずしの死 上
  • 2026年1月30日
    伝奇集
    伝奇集
  • 2026年1月30日
    灯台へ
    灯台へ
    わたしの人生の一冊に加えたい本が、また増えた。 文学だからこそ触れ得る世界に、今回も出会えたと思う。 目を凝らせばこの上なくゆったりと流れ、全体を眺めれば矢のように過ぎ去っていく相対的な時間。 善悪では測れない、人と人との距離。 それらを俯瞰し、配置として捉える画家という観察者。 流れるような描写の背後で、役割を与えられた人物たちが、パズルのように緻密に配置されている。 前半は内面描写が長く続くため、ある程度の読書体力を要するが、中盤から後半にかけて立ち上がる強烈なコントラストは、本当に美しい。 わたしはこの本を、気高く厳しかった母に贈ろうと、心に決めた。他人に書物を贈ろうと思ったのは、今回が初めてだ。 そういう変化をわたしにもたらした、かけがえのない読書体験になった。
  • 2026年1月21日
    長い読書
    長い読書
    素晴らしい読書体験であった。 普段、乾いて冷たく、少々難解な文学を読んでいるだけに、心にやさしくあたたかく響いた。 時を空けてまた、心が疲れたときに開きたい。
  • 2026年1月20日
    灯台へ
    灯台へ
  • 2026年1月19日
    異邦人
    異邦人
    文学の素晴らしさを改めて確認させられる傑作だった。 読後、衝撃のあまりしばらく動けなくなった。 主人公の無関心と淡白な文体が生むひやりとした空気に対し、世界はまばゆく、熱く、過剰なほどに存在している。 冷たいのは人間であり、世界ではない。 前半の感覚的な日常と、後半の言葉による非日常の落差も見事。 本作は決して「感情欠如の男の末路」を悲しく描いた物語ではなく、意味づけを拒否した人間と世界とがどう反応しあうかを描いた誠実な作品だと感じた。 カミュは主人公を通じて世界の無意味性を提示し、その無意味性を正面から引き受けて生きる人間が、社会にとっていかに危険な存在になるかを描きたかったのだと思う。 読者の温度を下げるような淡々とした文体と一級品の情景描写もとても美しい。
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