

しんどうこころ
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岩波の名作を飲み干したい
- 2026年6月27日
息トーマス・ベルンハルト,今井敦読み終わった自伝五部作の三作目。著者十八歳頃の出来事を綴った作品である。 シリーズを通して改行の一切ない怒涛のテクスト。最初は困惑したが、このリズムがもはや心地よい。 重篤患者が収容される、死が約束された病室。そこで自己の死、他者の死と対峙する時間が描かれる。 威厳などまるでない、赤裸々な死。 その姿を前にして、人には十人十色の生き方があるように、十人十色の死に方があることを知る。 切迫感に満ちた描写は、生の意味、生のはかなさ、そして死の恐ろしさを読者に強く問いかける。胸が苦しい。これは精神が元気なときに読むべき作品だ。 もっとも印象に残ったのは、敬愛する祖父が語る「わしら二人には、将来を自分のものにしようという最高に強い意志がある」という言葉である。 死を目前にすることで、人間の意思はかつてないほど輪郭を強める。これこそ哲学である。哲学というのは机上の空論ではなく、まさにこうした生の中にこそ息づいているのであろう。 また療養中、ベルンハルトは膨大な読書を重ねており、それが文学へ進む大きな契機となったこともうかがえる。
- 2026年6月27日
省察ルネ・デカルト,Ren´e Descartes,山田弘明読み終わった『方法序説』に比べ、こちらはデカルトの哲学そのものと向き合う一冊。 第二省察では、デカルトの核心である「コギト」が語られる。 デカルトの気持ちになり、世界の最小単位を「考える自分」とし、それ以外はすべて虚像かもしれないと想像してみた。 すると、とてつもない孤独感に襲われた。 この追体験ができたことは、個人的にとてもうれしい。 哲学とは実感の少ない冷徹な、あくまでも「学問」だと思っていた。だが実際には、自分自身の存在を揺さぶられるほど切実で、熱量のある営みだった。これを感じられたのは今後のわたしの読書にとって、とても大きい。 哲学を読み解くには、感受性もまた必要なのかもしれない。
- 2026年6月25日
杳子・妻隠古井由吉読み終わった「杳」 意味 くらい。奥深い。また、はるか。とおい。 何も起きないのに、なんという不穏。 読書中はこの独特の暗さに引き込まれ、登場人物たちと同じように、意識と認識が曖昧になる感覚を体感する。 本作では人物も感情も出来事も輪郭が不明瞭である。だがそれは描写が曖昧ということではない。 なぜわたしはここにいるのか。なぜ当然のように息をし、直立していられるのか。ふとその感覚を見失い、焦燥を覚えることはないだろうか。 主人公たちはこの感覚のはざまに身を置かれ、互いに影響し合い、その境界線を曖昧にしていく。それは快楽であり、また苦悩でもある。 日常の触感、そしてその中に潜む微かなざらつきへの鋭い観察眼。 ときおりハッとさせられる描写に出会う。情景描写ではない。意識の描写である。言語化の難しい領域でありながら、共感を覚えるほどに巧みだ。 面白いとは少し違う。 だが、文学にしか描くことのできない領域が確かにここにはある。 不思議な読書体験であった。
- 2026年6月21日
田園交響楽ジッド読み終わった無垢が花開く美しさ。生まれる精神。罪を知らぬ清らかさ。盲いたものにしか見えない感受性。 そして五感を得て、世界を知ることは幸福を知ることであり、同時に不幸をも知ることである。 本作を読みながら、善とは何か、悪とは何かについて考えた。 他人の幸福のために行動することが善なのだろうか。だとするならば、他人の幸福とは一体何なのか。他人にそれを決める権利などあるのだろうか。 誠実であろうと心がけても、それはときに相手の人生を自分の価値観へと導こうとする危うさをはらんでいることもある。心せねばならない。 えもいわれぬときめきと切なさに、終始鼻の奥がツンとするような感覚があった。 ジッド。良い作家と出逢えるのはうれしい。
- 2026年6月20日
はつ恋(新潮文庫)ツルゲーネフ,神西清読み終わった思わせぶりな女性のことをコケットというそうだ。 人生において、決して消えることのない甘く苦い記憶。それは大抵、幼い精神では超越できない大きなものにはばかられ、鮮烈な衝動とともに幕を閉じる。記憶はある種の後悔にも似た感情を伴い、ひとつの憂愁となって後生に残り続ける。 離れるか離れないか。その曖昧な距離に一喜一憂し、焦燥に身を焼く日々。それはわたしの若き日の恋の記憶を呼び起こした。 初めて知る歓喜、嫉妬、焦燥、喪失。そのすべてが未経験のまま心に刻まれる。初恋は初めてであるがゆえに、人生から決して消えない特別な憂愁となる。
- 2026年6月15日
悲しみよ こんにちはフランソワーズ・サガン,Francoise Sagan,河野万里子読み終わった読後、自分の考えをまとめている。まとめればまとめるほど、『悲しい』。 これはおそらく作者がタイトルで狙った悲しみとは違う。 なんだろう。とてつもなくくやしい。 同じ読後感の人はいるのだろうか。 こうした批判的な読後感をもたらす作品も、見方を変えれば文学的には成功しているのかもしれない。 改めて、読書は面白い。 そして恐ろしい。 文学は作品の輪郭を浮かび上がらせるだけではない。読者の輪郭をも浮かび上がらせる。 わたしは何を大切にしているのか。 何が許せないのか。 本を閉じたあとになって、自分自身の方が裸にされていることに気づくのである。 - 2026年6月13日
鏡のなかの鏡ー迷宮ミヒャエル・エンデ,丘沢静也,新宮一成読み終わったエンデの豊かな表現力によって描かれる、不穏なシュレアリスムの世界。 ルネ・マグリットを想起させる寡黙な世界の中で、この世の摂理を象徴するかのような小さな物語が繰り広げられる。 オートマティスムを思わせる自由な発想でありながら、情景は驚くほど鮮明に立ち上がる。その文体は見事というほかない。 ひとつひとつの物語は断片的で、ときに意味すら掴みがたい。だがその曖昧さの中で、生と死、不条理、存在そのものへの問いが静かに浮かび上がってくる。 『はてしない物語』や『モモ』とはまるで違う顔を見せる、大人のためのエンデ。 お気に入りの本が、また一冊本棚に加わった。
- 2026年6月7日
サロメ (岩波文庫)オスカー・ワイルド,福田恆存読み終わった語るほどワイルドの作品を知っているわけではない。が、100ページ弱に濃縮された本作は、代表作『ドリアングレイの肖像』よりもワイルドらしいのかもしれないと感じた。 ビアズレーの挿絵がワイルドの耽美を極限まで加速させる。美しいまでの毒と甘さ。 - 2026年6月7日
不死 プラトーノフ初期作品集アンドレイ・プラトーノフ,工藤順読み終わった初プラトーノフ、読了。 詩、短篇、エッセイ、戯曲など、作家初期の多彩なエクリチュールを集めた小品集。ひとつひとつが独自の輝きをじわりと放つ、古い宝石箱のような読書体験となった。 まばゆい華やかさはない。だが、どの作品にも哀愁や苦悩が、仄かに漂っている。 それは生や愛といった普遍的なテーマだけでなく、労働や産業までも作品の中心に据えているからであろう。 これらが折り重なることで、人生という儚くも深刻な営みについて、静かに考えさせられる。 おそらく出版部数の少ない類の書物なのだろう。少々高価ではあったが、大切にしたい本がまた書棚に加わった。 - 2026年6月6日
メノンプラトン,藤澤令夫読み終わった岩波文庫版にて。 ソクラテスとその客人メノンの会話がメインとなる、対話形式の書式。 ソクラテスは答えを与えない。 問いを重ねることで、相手が当然だと思っていた考えを少しずつ揺さぶっていく。 そのようにソクラテスは「問いを立てること」の意義を解く。 まるで生徒と先生のような問答が続くため、内容もわかりやすく、哲学初心者のわたしにはちょうど良い本だった。
- 2026年6月3日
方法序説デカルト,R.,谷川多佳子読み終わった方法序説 デカルト わたしの本棚にある中で、『石蹴り遊び』の次に読むべき本としておすすめされたのが本書。 まさにベストな選書だったようで、『石蹴り遊び』の理解を深めるよい読書になった。 文体が古いため少々読みづらさはあるものの、内容は比較的やさしい。 わたし自身、哲学は初心者である。ゆえに、哲学とは「なるほどなるほど」と納得しながら読むものだと思っていた。だが実際には違った。 面白いことに、意見がぶつかるのである。 デカルトの考えに納得しながらも、ときに反論したくなる。そしてその反論についてさらに考え始める。 哲学とは答えを学ぶものではなく、思考するための技術なのかもしれない。 こうして哲学を知ることで、今まで読んできた文学が別の顔を見せはじめる気がする。再読時に新しい発見ができる予感しかしない。 哲学書、思想書、もっと読んでいきたいと思う。 - 2026年5月31日
石蹴り遊び(下) (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)コルタサル,土岐恒二読み終わった非常に難解。コルタサルに翻弄されながら、なんとか読了。 不思議な本である。 通常の順序で読む方法と、作者が指定した順序で読む方法とが存在する。 今回は通常の読み方で読了。再読必須。 --- ★★以降、作品の本質に触れるため、自己責任でお読みください★★ ---| 知をまとい、世界に届こうと足掻くオラシオ。しかし知だけでは世界にも生命にも届かない。 だが同時に、知なくしてはその限界にも到達し得ないのである。 作中では生の実感と知の遊戯が対峙する。 知に溺れると、思考と現実との境界は曖昧になる。本作はそれを語るのではない。文体そのものが、その状態へと読者を引きずり込む。 数年後になるだろうか、作者指定のもう一つの読み方で再読としたい。 - 2026年5月30日
- 2026年5月24日
焼跡のイエス・善財石川淳,立石伯読み終わった宗教と俗世が静かに重なり合う。 キリスト教的なモチーフは感じられる。だがそれは説教のためではない。石川淳は、世界を語るためではなく、小さな日常と人間模様の中にこそ宗教を滲ませていく。 神聖な光は人間を照らし、道を示す。だが同時に、その光は人間の影をも鮮明に浮かび上がらせる。 それは白刃のように鋭く、そして危うい。 文体は粋で、荒々しく、勢いがある。読点が少なく、読みにくい。だがその文体そのものに、不思議な熱が宿っている。 戦後まもない焼跡の俗世。 人間の本性がむき出しになったその世界に、著者は宗教の影を重ねて見ていたのかもしれない。 - 2026年5月9日
モロイサミュエル・ベケット読み終わった精神と言語が崩壊する。 本作は、その追体験を読者に強いる。 一般的に、文学は、筋が通るように整頓され、書かれている。 だが本作は、冒頭からその秩序が破壊された状態ではじまる。思考は流れ、逸れ、支離滅裂に漂い続ける。まさに狂気。 だがふと、人間本来の思考の仕方と比べてみるとどうだろう。むしろ、こちらの方が自然なのではないか。 人間は絶えず連想ゲームのように思考する。決して道は一直線ではない。明確な目的を持って思考しているシーンの方が明らかに少ない。 このように思考は常に浮遊している。 問いも、答えも、決してそこに留まり続けない。 ベケットは狂人を描きながら、人間の精神そのものを暴き出しているように思えた。 ※筑摩の世界文学体系にて読了
- 2026年5月7日
アルゴールの城にて (岩波文庫)ジュリアン・グラック,安藤元雄読み終わった不穏で、痛みを伴うほどの静けさ。 圧倒的な広がりと大きさ。 そしてとめどなく押し寄せる比喩の嵐。 端正でありながら荒々しい描写。 岩のような荘厳さと、夢のような浮遊感。 バロック音楽のような格式を感じさせるそれは、あまりにも美しすぎる。 文体は抒情詩や神話のようであり、スケールが大きすぎてどこか現実離れしている。だが、その過剰さこそが作品全体を現実からわずかに浮かび上がらせ、異様な感覚を生み出している。 グラックの世界では、空間は単なる背景ではない。城や部屋そのものが、人間の精神を静かに蝕んでいく。 全編を通して、まるで白と黒だけで描かれた死神の絵のように、色も温度も失われている。時間すら止まったかのように、死が静かに、そして着実に忍び寄る。 終盤、二本の線が並行して走るような描写が繰り返される。一度では完全に読み解けなかったが、決して交わることのできない二重構造を暗示しているのだろうか。 結局、あれは夢だったのか。 だが作品は、その境界すら曖昧にしたまま閉じていく。
- 2026年5月7日
愛の生活・森のメリュジーヌ芳川泰久,金井美恵子読み終わった日常の中に、突如として現れる猛毒。 そこかしこに点在している不快感を濃縮したような、異様な読後感が残る。しかも不思議なことに、その毒はどこか恍惚としている。 澄んだ湖の水底には、腐葉土になりきれないヘドロが静かに沈んでいる。 本作から受ける感覚は、それに近い。 収録作品を通して、退廃の気配が漂い続ける。だがその一方で、父の存在や異性への愛といった、生の匂いが濃密に滲み出している。 相反するはずのものが静かに隣り合ったとき、狂気だけが異様に自然なものとして立ちあがってくる。 これは極めて官能的だ。 金井氏は、女性だけが知る小さな地獄を、日常の中に見ていたのだろうか。
- 2026年5月3日
- 2026年5月1日
河明り/老妓抄岡本かの子読み終わった実に清々しい。 物語に命が宿っている。人物に血が通っている。 重い読後感の作品が続いていた中で、この軽やかさは鮮やかだった。 しかしそれは単なる心地よさではない。人を深く見つめ、その内側を言語化しきる強さに支えられている。 女性であること、その生の実感をここまで自然に、そして力強く描き出せるのは、作者ならではだろう。 これは誰かに薦めたくなる作品だ。 最近、女流作家の作品を通して、自分の母の姿がありありと見えるようになってきた。 本作にも、子を見守る母のような視点がある。ときにおせっかいであり、ときにやさしく、そしてときに強く、頼もしい。 美しさの定義が、自分の中で変わりつつある。知と強さを内面に秘めたものこそ、本当の美しさなのかもしれない。
- 2026年4月29日
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