未来散歩練習
37件の記録
もぐもぐ羊@sleep_sheep2026年3月4日読み終わった『チボー家の人々』について斎藤真理子さんのエッセイ『本の栞にぶら下がる』を読み直してから『未来散歩練習』に戻ってきた。 釜山アメリカ文化院放火事件についてはそういう事件があったことは知っていたけど韓国近現代史の時系列のどこでどういう経緯で起きたかは知らなかった。 この事件の存在は同じく斎藤真理子さんの『韓国文学の中心にあるもの』で知った気がする。 この本の中では事件の詳細については描かれていないが、放火で逮捕され収監された叔母のユンミ姉さんとスミが直接的には事件については会話しないが、周りの大人の態度や言動でスミがユンミ姉さんが何故収監されていたかを知る。 一方で作家が釜山を拠点に行動しながら地元の人たちと交流する日々が淡々と綴られる。 感情表現は最低限で見たものの描写で進行していくのにここまで引き込まれるのか不思議だった。









もぐもぐ羊@sleep_sheep2026年3月3日まだ読んでる劇的な何かが起きるわけではなく、淡々と物語が進行していくのだけの、リズム感が良くついつい読まされている。 「作家」が語り手のところは心の声をそのまま文字にしたような感覚がある。 特に目に見えたものの描写がそんな感じ。 茶トラ猫のことを韓国ではチーズ猫と呼ぶらしい。 とてもかわいい。 英国ではマーマレード、トルコではジンジャーと呼ばれているけどチーズ猫含めみんな食べ物だ。 それもかわいい。 他にも教会のベンチにいた黒ヒョウのような黒猫や火事の煙や灰で灰色になってしまった白猫など、猫ちゃんの描写がとてもかわいくてとても和んだ。 『チボー家の人々』を読み、ストーリーと同化していくシーンがあり、そういえばこの本の翻訳者の斎藤真理子さんのエッセイ『本の栞にぶら下がる』で『チボー家の人々』について書いていたのであとで読み返してみよう。 他にタイトルだけ出てきたのは『嵐が丘』と『氷点』で、『嵐が丘』はよく目にするなと思った。









もぐもぐ羊@sleep_sheep2026年3月2日まだ読んでる積読消化強化中なので本棚から取り出したのはパク・ソルメ。 以前読んだ『もう死んでいる十二人の女たちと』は短編集だった。 これは過去と現在と語り手が入れ替わりながら進んでいき、文体が散文調だったりするのだけど、不思議と引き込まれて読み進めてしまう。








べべ@b_ebe2026年2月15日読み終わった「来てほしい未来を思い描き、手を触れるためには、どんな時間を反復するべきなのか」と作者は問うてると訳者・斎藤真理子が書いていたけど難しい。 理想の未来を掴むために今の時間をどう反復するか、面白い考え方。難解パク・ソルメ……。
ricochet@ricochet2025年7月3日読み終わった借りてきたコーヒーを飲み、歩き、ご飯を食べ、ドーナツを食べ、というような生活のリズムと、人々の間の友情の距離感がとても心地いい。望む未来をたぐり寄せるための練習として今を繰り返し生きていくこと、の意味するところは分かるようでいてはっきりとは分からないけれど、過去と現在と未来を何気ないリズムの中に繋ぎとめる作者の言語化のセンスにはびっくりする。






zelkova@zelkova2025年4月13日読み終わった電車で読んでいたらコーヒーを飲む場面がたくさん出てきたので飲みたくなり、駅から一番近いコンビニでコーヒーを買ってしまった。 ふわふわとしていて不思議なところも、社会問題となった事件を描いているところも『もう死んでいる十二人の女たちと』と共通していることだけれど、こちらのほうが希望を感じられた。

白玉庵@shfttg2025年3月22日読み終わった好き@ 図書館韓国では茶白猫をチーズ猫というの?かわいい。 とてもよかった。3つのストーリが過去から未来へ、反復しつつ少しずつ進む。まさに練習である。釜山のまちが魅力的で、明日にでも散歩に行きたい。静かで穏やかな暮らしの床下に暴力があって、時々それが見えてしまう、このひんやりとした感触。暴力描写が辛く挫折した『もう死んでいる…』も再読しようと思う。 そしていつも通り、訳者斎藤さんの後書きが本当に行き届いており、韓国の歴史に疎い者への大きな助けとなっている。




DN/HP@DN_HP2025年3月6日ふと思い出した読書日記@ 古本 水中書店この本を買った日、古本屋さんを出て駅に向かうと、ちょうどアクシデントで電車が動かなくなったところだった。その日はまだとても暑くて「また汗をかいてしまうな」と一瞬躊躇したけれど、乗り継ぎができる一つ先の駅まで歩くことにした。その道はたまに歩くのだけど、まだ日が高いうちにひとりで歩くのは新鮮な気がした。必要に迫られたそれは、どちらかというと散歩よりも移動という感じでもあったのだけど、それでもバタついた日々に不意に訪れた余裕のような時間には色々なことを考えていた。この本の中で「私」がそうするように、「私」やあなた、街の過去を思い、未来を想像し、現在を省みる。頭の中では同じようにそれらが重なったり繋がったり混じり合ったりしていた。少し新鮮に見えた街並みも眺めながら目的の駅にたどり着いて、電車に乗り込んで訳者あとがきから読み始めた。 ”今”というのはうまく定義ができないのだけれど、そのとき歩きながら頭の中で重なったり混じり合ったりしたもの、瞬間が単純ではない”今”と言えるのかもしれない、と小説を読み終わった後に考えている。小説も思考でも”今”をたしかに捉えることも、それを書き残すことは難しいけれど、整理されずに混沌としているそれを、そのまま、と思えるように書き残そうとしたのもこの小説のような気がしてきている。未来も過去も現在も含めた”今”を書いた小説。そんな小説が読みたかった、読めたと思った。 「本を読んで散歩しよう」とても印象的な一文を思い出す。この本のこともまたゆっくり歩きながら、たくさんのものが混じり合ったなかで考えたい。もうすぐ散歩のシーズンがくる。


socotsu@shelf_soya2025年1月1日2025年1月1冊目だった。 短文で刻まれる生活描写のリズムが淡々と読む側に伝わって、どんどん読んでいると登場人物らと並んで歩いているような気持ちになる。気持ちになるというか実際伴走ならぬ伴歩している。訳者あとがきに「訳し終えてしみじみと思ったのは、散歩とは人に会う行為だということだ」とあるが、これは目の前に同じ時間を共有する肉体を伴った人間が出現する「人と会う」だけでなく、散歩は思索の時間であり、同時に邂逅の時間でもあり、脳内で無数の人に会うことをも指していて、実際作中には昔の自分や読んだ本の登場人物たちと邂逅する人々の姿が描かれる。


























