まにまに
37件の記録
- 秋桜@aki_sakura2026年3月14日読み終わったどんな些細なことだったとしても、今の自分が生きているのはそれらがあったから。当たり前といえば当たり前かもしれないが、そのようなことに気付かされた気がする。 この本で言及されていた本もいくつか読んでみようと思ったし、この本もまた繰り返し読んでみるのもいいなと思った。1回しか読んではいけないなんて決まりも無いし。


綾鷹@ayataka2026年3月12日私って、生きてきたんだなぁ。 嬉しくても悲しくても感動しても頭にきても泣けてくるという、喜怒哀楽に満ちた日常、愛する音楽・本への尽きない思い。『サラバ!』『まく子』『きいろいゾウ』などの小説で多くの人に「信じる勇気」を与えてきた西加奈子のエッセイが詰まった一冊。 西加奈子さんのエッセイは初めて。 すごく面白い。思わず笑ってしまうものばかり。 特に「知らぬ間に」「めっちゃ未来」「たーとーえーるーなーらー」「1ヶ月コーデ」とかが好きだった。 「たーとーえーるーなーらー」は何回読んでも笑える。 自分がこんな話ができたら、ドヤ顔しちゃいそうだ。 元気になりたい時にまた読もう。 ・私の友人にも、このような奇跡的な話し方をする人間がいた。ある日、彼は「三枝の家行った話したっけ?」と言ってきた聞いてないよ、と言うと、「仕事で〇〇いう高級住完街歩いとったらなかめっちゃくちゃでかい家あってな。どんな奴住んどんねや思たらな、中から人出てきてん」そう言う。 もうこの時点でそれ三枝やろ、絶対三枝やろ、そう思っていたのだが、彼の「おもろいこと言いまっせ」顔を、私は信じた。しかし彼は、私の切実な願いを踏みにじって、こう言ったのだ。 「誰やったと思う?」 神様、と思った。泣き出しそうになりながら「誰やったん?」と聞くと、「三枝やってん!三枝の家やってん!」なんで?なんで? 「わておもろいこと言いまっせ」顔を、安易に使わないでほしい。どんなに裏切られても、期待してしまうから。何度でも、期待してしまうから。 ・私はイランで生まれた。初めて見たのはきっと母ではなく、イラン人の医師や看護師だったのだろう。私は彼らを見て、麻酔で眠っている母を見て、どう思ったのだろうか。この世界を見て、窓やベッドや人の指や花や血を見て、どう思ったのだろうか。きっと震えた。ぶるぶると。でもそれは、何に対する震えだったのだろう。そのときの感覚に戻りたくて仕方がない。 初めて自分の小説が活字になったときの衝撃を、覚えている。27のときだった。震えた。怖くて、ではない。嬉しかったのだ。だが今、その衝撃を毎回きちんと、体験できているのか。「めっちゃ嬉しい!」などと言っておいて、経験が邪魔をしてはいないか。もしそうであったなら、「調子のんなや最近の自分」と、思う。すごく思う。 ・取材などでデビューのきっかけを聞かれ、当時の話をすると、よほどの覚悟だったのですね、と感心されるが、実ははっきりとは覚えていない。もうちょっとスマートに話したいのだが、心細かった、惨めだった、ということ以外は、朧なのである。それほど、切羽つまっていたのだろう。なんとかしなくては、という意気込みだけが空回りしていた。当時の私の写真を見ると、インドの犬のような顔をしている。やる気だ。そして何故か、「ケニア」と書いたタンクトップを着ている。勝負服だ。 昨今、女優やモデルの女の子などが、デビューのきっかけを聞かれて、こう答えているのを聞くことが、ままある。 「芸能界には全く興味がなくって。友達がそういうお仕事をやっていて、たまたまスタジオに遊びに行ったらスカウトされたんです」 「モデルなんて全然考えてなかったんですけど、知らぬ間に弟が応募用紙を出していて」 本当か。本当なのか。「やる気がないのにいつの間にかスターダム」、格好よすぎる。そのエピソード、私、いただこうと思う。これからのインタビューでは、こう答えるのだ。 「小説家とか全く興味なかったんですけど、道で子供たちに物語を聞かせているのを、たまたま弟が聞いていて、知らぬ間に出版社に応募していたんです」無理だ。ではせめて、「気負ってないのにうっかり名作書いちゃう」作家になりた い。 「西さんたら、さっきからレシートの裏に何を書いてるんで・・・・・・・に、西さん、これは……・!」 それがあの「カラマーゾフの兄弟』『百年の孤独』を超える名作、『ケニアの犬』です。知らんまに世界中の文学賞総なめやってん。 ・しかし、たまに気になることがある。「それ私も買ったんです」の一言だ。 その言葉は、どういう効果を生むのだろう。「私ほどハイセンスな人間も購入するほどの代物なのだ」ということ?それとも「私ほどイケてない人間が購入するほどの流行のものなのだ」ということか。「つまり買え。イケてないお前」? それならば、よくぞそれを手に取った、その価値が分かるのはあなただけである、と言われたほうが、確実に買いたくなる。 「私この店に200年いますけどね、それを手に取ったのは、あなたが初めてです」しびれる。 ・例えばパスモ。あれは何だ。キップのかわりになるのはまだなんとなく理解出来るけれど、あれで「ピッ」とやってジュースやガムや何やらが買えるのって、我に返ったらすごい。 パソコンで銀行の金を振り込むのって何だ。ゲンナマに触れもせず、パスワードを入れてカチャカチャやったら、もうどこかの口座に金が移動している。そもそも「パスワード」を使っているところが未来だ。この原稿を今からメールで送るのって、何だ。今日の前にあるこの文字たちが、何の何を伝わってダ・ヴィンチ編集部に届くのだ。QRコードって何だ。あの排水口のゴミみたいな模様が「情報」って、どういうことなのだ。赤外線通信って何だ。街のいたるところで男女が赤外線を飛ばし合ってるってこわい。 今になって横井庄一さんのような方が現れるとは思えないけれど、何十年かのブランクがあって現在を目の当たりにすると、声をあげるに違いない。 「めっちゃ未来やん!」 ・今までの人生で一番すっきりこなかった「譬えるなら」がある。友人4人、居酒屋で酒を呑んでいたときのことだ。その居酒屋には本棚があり、オーナーが選んだ本が並んでいた。センスの良い本ばかりで、中にいかりや長介さんの『だめだこりゃ』という本があった。泥酔した友人のひとりは、すでに件の「どや顔」で、「『だめだこりゃ』を置いてるこの店のセンスだよ!分かるかなぁ?」などと一席ぶちだし、祈る私をよそに戦慄の「譬えるならー」を始めた。恐怖におびえながら聞いていると、これ以上出来ぬ「どや顔」で、彼は言った。 「この店はー、『だめだこりゃ』から零れた木漏れ日なんだよ!」ものすごく見知った人だったけれど、思わず敬語で聞き返した。 「え、どういう意味ですか」 その人はもう一度、 「だからー、譬えるならー、この店はー、『だめだこりゃ』からー、零れたー、木漏れ日なんだよっ!」 と、同じことをゆっくり言った。 怖かった。 ・今は、フランケンシュタインなんて、何も怖くない。でも、飛行機が怖くて仕方がない。少しでも揺れたら「落ちる」確率を考え、シートを掴む。飛行機だけではない。人に嫌われることが、災害に巻き込まれることが、孤独に死ぬことが、怖い。襲いかかってくる現実が怖くて、仕方がない。だから子供を見ると、私はたまに泣く。 今では、あなたたちのように、フランケンシュタインをちっとも怖いと思わないけれど、だからって、無敵になったわけではないのだ。私はどんどん、弱虫になっている。 ・・小説でも音楽でも映画でも、優れたものは、必ず「個」を描いていると思う。社会や歴史や、その他、大いなるものを結果描いていたとしても、決してひとりの人間の、その「個」の感情を、おろそかにしていない。だから、全く政情が違った100年前の名作が読みつがれるのだし、思いもよらない未来に、残ってゆくのだ。人間は、これまでもこれからも、ずっと人間なのだから ・『まにまに』というタイトルが、私はだいすきだ。 「間に間に」と書けば、合間に、適当に、というようなニュアンスがあるし、「随に」は、なりゆきにまかせるさま、という意味があって、「随」は「随筆」の「随」でもある。「マニマニ」って、なんだかかわいらしいおまじないのようでもあるし、「まにまに」と声に出すと、「に」のところで自然と口角があがっている。 大げさではなく、かみさまにもらったタイトルだ、と思う。最近、すごく思う。 私にはかみさまがいる。 私はこれからも、ずっとこの体で生きてゆく。泣くだろうし、怒るだろうし、ふて腐れるだろうけど、それでも最後には口角をあげていたい。そのときどきの私として、口角をあげて、生きてゆきたい。 まにまに。





























